12年めのアメジスト~うまれたての天使が、たったひとりのお姫さまにかわるまで~
『あのさ、まいごがいるんだ。たすけてやってくんねっ?』
息せき切って走ってきた、くろねこのような男の子。
その子について駆け出したときから、おれの時間は動き出した。
* * * * *
そのころおれは、ずっとしょんぼりしてた。
十歳上の、大好きなお兄ちゃんが、家を出たのだ。
ざっくりいうなら、エリート戦士養成校への入学が認められてのこと。15歳での入学は、入学可能年齢ギリギリで、めずらしく、名誉なことだった。
でも、それはとても、急なことで。
お別れは言えたけど、それだけで。
基本、卒業までは帰ってこれないし、連絡も届くかわからない。
おれが五歳になったら、いっしょにゲームしてくれるって。バトルの特訓とかもしてくれるって、いってたのに。
そんな小さな約束も、おれの五歳の誕生日を前にして、消えてなくなってしまった。
いや、そんなことよりも。
いつもやさしくて、かっこよくって、たよりになる、大好きな大好きなお兄ちゃんがおれの毎日からいなくなってしまった。そのことが、おれの胸に大きな穴をあけていた。
いつまでも落ち込んでちゃだめだ。みんな、心配してる。元気出さなきゃ。
そんな風に思っても、やっぱりこころがついてかなくて。
保育園から帰ると、うちのすぐそばの運動公園、いつもお兄ちゃんと遊んだ場所にいって、毎日のように夕日を見ていた。
あの日、まっかな夕日を背負って、お兄ちゃんは迎えの車に乗っていった。
帰ってきてくれないかな。あれは何かの間違いだったって。
そんなことを、胸のうちで願いながら。
けれどそんな日々は、唐突におわった。
紫水晶の目をした、うまれたての天使が、おれの前に舞い降りてきたからだ。
夏も半ばを過ぎた、ある日のこと。
いつもよりおそく、日暮れ近くに公園についたおれのもとに、黒いこねこが一直線にかけよってきた。
いや、よくみたらちがう。
ぶんぶん手を振りながら、すっごくすっごくうれしそうにやってくるのは、なんだかふしぎとねこみたいな、黒い髪、きれいなルビー色の目をした男の子だった。
「おーいおーい! よかったひといたー!
おれ、イツカ! おまえは?」
おれとおないどしくらいのこどもなのに、まるで遭難した探検家みたいなことを言ってるイツカ。その勢いにつられて、おれも返事をしていた。
「えっと、ぼく、ミライっ」
「ミライな! よろしくな!!
あのさ、まいごがいるんだ。たすけてやってくんねっ?
カナタって、おれと同じくらいのやつと、ソナタちゃんって超かわいいあかちゃん!」
「え、たいへん!
どっち?」
「こっち!」
イツカについていってみれば、そんなに遠くないところ。
きれいな空色の髪の男の子と、その子に抱かれたちっちゃな赤ちゃんが待っていた。
不安げな顔をしていた男の子は、ぱっとベンチから立ち上がり、おれをじっと見て……こう言った。
「おとこのこ?」
「うんっ!」
おれはよく、女の子に間違われてた。
たよれる男であるお兄ちゃんにあこがれてたおれは、そのことがいつも不満だった。
でもカナタは、おれを女の子として接してこなかった。
きっと、カナタも同じだからなのだ。
なんだか仲間が見つかったみたいで、おれはすごく、うれしくなった。
そんな思いが伝わったのか、カナタの腕の中のあかちゃんも、きゃっきゃと笑い出した。
ぱちり、見開いたのは、生きた紫水晶のひとみ。
その瞬間、おれのこころはすいこまれてしまった。
その子――ソナタちゃんのこころをうつした、澄みきった紫の水面のなかに。
* * * * *
カナタたちきょうだいは、そして実はイツカも、『星の子』だった。
流れ星の降る夜に、どこからともなく現れるこどもたち。
おれたち、ふつうのこどもより、体が強くて頭もいいらしい。
……けれど『星の子』には、お父さんもお母さんもいない。
そのことを知ったおれは、もう落ち込んでなんかいられなかった。
『ぼくが、まもってあげなくちゃ。』
『今日からは、ぼくがお兄ちゃんになろう。』
『お兄ちゃんみたく頼れる、かっこよくってやさしい、最高のお兄ちゃんに!』
決意したその日から、おれは生まれ変わった。
三人がみんなと仲良くなれるよう、保育園の友達や、いろんな人に紹介した。
この町のことをいろいろ聞いて、イツカとカナタに教えてあげて。
ソナタちゃんはじつは心臓に病気があって、入院しなくちゃならなかったので、できるだけお見舞いに行って、遊んであげて。
そうして、一年、二年。一緒に過ごす時間を重ねるほどに、おれたちは仲良くなっていった。
イツカとカナタとは、リアルでもゲームのなかでも一緒にがんばる、最高の仲間に。
ソナタちゃんはもとからかわいかったのが、どんどん、どんどんかわいくなって、おれたち三人の、じまんの妹に。
お兄ちゃんのいったエリート校にいけば、学びながらお給料がもらえるから、ソナタちゃんの手術費用が稼げる。それを知ったおれたちは、がんばってがんばって、お兄ちゃんとおなじ15歳でその学校に入学。
稼ぎ出したお金で、ソナタちゃんは根治治療の手術を受けられ、すっかり元気になった。
その少しだけあと、いっしょに踊ったデビュタントのダンスは、世界じゅうで大好評だった。
初々しい、白いドレスのかわいらしさ。ダンスを始めたばかりとは思えない、堂に入った踊りっぷり。
なにより、輝くようなその笑顔。
ひとよりちょっとどんくさいおれだけど、必死で全力出したのは、無駄じゃなかった。
あの時の動画を見るたび、そう思う。
そして今ソナタちゃんは、おれたちの学校に自分も入る。そして、全世界に元気をあげられる、たたかうアイドルになる! とはりきって勉強し、体を鍛え、歌と踊りのレッスンを重ねている。
* * * * *
ソナタちゃんを一人の女の子として好きになったのは、いったいいつからだったのか。それは、じつのところよくわからない。
気が付いたら、すきだった。
すごくすごく、すきだった。
たったひとりの、とくべつな女の子として。
いまからおれは、それを打ち明けようと思う。
気がついたのだ。おれはまだソナタちゃんに、ちゃんと『言って』ないと。
まちあわせは、あの運動公園。
夏祭りまえのにぎわいのなか、おれはあのベンチにすわって、待っていた。
ソナタちゃん、きてくれるかな。
ゆかた、変じゃないかな。
おれ、ちゃんといえるかな。
いろいろ、ぐるぐる、どきどきしながら。
「ミライおにいちゃ――ん! おまたせ!」
そのとき、待ちわびていた澄んだ声が、おれを現実に引き戻した。
立ち上がってそちらをみれば、ソナタちゃんが手を振っていた。
夏祭りのあかりを背負って、いっぱいの笑顔で、おれに駆け寄ってくる。
うすい水色の地のうえに、黄色い大輪のひまわりをプリントした、かわいらしい浴衣を着て。
いつの間にかずいぶん伸びていた、きれいな空色の髪は、たれみみうさぎ風に結ばれて、ふわふわとはためいて……
「うさぎのくにの、おひめさま」
「うんっ!」
かわいくて、あんまりにもかわいすぎて、ぼうぜんとつぶやけば。
紫水晶の瞳のお姫さまは、勢いよくおれの胸に飛び込んできたのだった。