初恋少女
「ねぇ、別れよっか」
「……え?」
桜が満開に咲き誇る通学路。春の到来を告げる香りを乗せた風に背中を押され、ついさっき中学を卒業した私はその帰り道に3ヶ月ほど付き合っていた彼氏に別れを切り出した。
「僕、なにか嫌なことした?」
「うーん……特に?」
「え、じゃあなんで……」
「んー。物足りなくて、かな。なんとなく」
「…………そっかぁ」
そう漏らした彼の顔は酷く崩れていて、頬を伝う涙がまだ高い日の光を反射する。無理に笑顔を作って誤魔化そうとしているのは伝わってくるが、大きく鼻をすすった音がその悲痛な心中を吐露していた。
「じゃね。まぁ……楽しかったよ」
「うん。じゃあね……僕も楽しかったよ。ちとせ」
その言葉を最後に私は彼に背を向けて歩き出した。もう中学も卒業してしまったから、進学先の違う彼と会うこともないだろう。
私は家につくまで一度も振り返らなかった。
これが、あの日起こった全てだ。
私が青崎浩司という男子に恋をして、恋をした気になって、恋をしていた自分に酔って。彼から返ってくるソレが、私の期待した、私の理想の『恋する私』に向けられるべきソレではない事を察してしまった私の最後のケジメ。
こうして私、紅田ちとせの初恋は終わった。
彼が決して嫌いだったわけではない。好意的に思っていたのは本当だ。ただ、彼が『恋する私』の『理想の彼氏』の像とはズレていた。そんな彼を私は彼氏として受け入れられなかった。それだけの話だ。
彼は真面目な性格だった。
成績はいつも学年上位をキープしていて、部活動ではサッカーをしていた。彼は決してサッカーが上手くなかったけど、しんどい練習を文句の一つも言わずにひたすらに取り組んでいた。そんなクソ真面目という言葉が似合う奴だった。私もそんな彼を誇りに思っていた。
そんな彼に、いつか聞いたことがある。
『ねぇ、今日の私、どう?』
『えと……かわいいよ?』
『どういう風に?』
『んー……なんかかわいい』
彼は、女というものにそこまで興味を持っていなかった。分かりやすい思春期の到来を迎えていなかったのだ。男子特有の下ネタに笑うことこそあれど、実際に女子をそういう目で見ることはなかった。彼女の私に対してもだ。
それが、女子としての魅力がないと言われているような気がして、曲解して受け取ってしまって。
そんな下らない理由で、私は……
◇
「…………で、フった。そして今に至るわけ」
「ふーん……」
高校に入学してはや3ヶ月。浩司と付き合っていた期間よりも別れてからの期間が長くなろうとしているこの7月にわざわざこんな話をしているのは、中学と高校が同じ唯一の親友、翠との下校の途中でのことだった。
「……聞いてきた割に興味なさげじゃない?」
「んー、なんだか腑に落ちなくてねー」
「なにが?」
「ちとせって青崎をフったこと後悔してたんじゃないの?」
「うぐっ……それは……そうだけど……」
浩司の事が恋しくなったのは高校に入ってすぐの事だった。入学式を終えてのクラスでの自己紹介。みんなの前に立った時の男子の品定めをするような視線に晒されて、
『そういえば、浩司はこんな目で見てくることはなかったな』
自然にそう思い返した。当時は屈辱にすら感じていたが、男子高校生のより具体性を持った下心をぶつけられて、浩司の混じりっ気のない好意がどれだけ貴重だったのかを思い知った。そんな性欲に左右されずに紅田ちとせ個人に好意を向けてもらえていた環境がどれだけ恵まれていたものだったのかを思い知らされた。
「でも、別れたことを後悔してる割には彼氏欲しがらないよね、ちとせは」
「うん。なんか違うんだよねー」
入学から3ヶ月も経てば1年生の間でもちらほらカップル成立の噂も聞く。一部の子は既にそういう事を済ませたという話も聞くほどだ。でも、私は新しい彼氏を作る気にはなれなかった。私にとってはあの時浩司としていたものこそが、『恋』の形であったから。
私はいまだにあの日終わったはずの初恋に縛られていた。
「で、青崎とはもう連絡とった?」
「いや、とってないけど」
「……なんで?」
「ほら、私がフった手前なんか申し訳ないし」
「へたれ」
「ほっとけ」
そうなんだよなぁ。私から浩司にまたアプローチするのは気が引けるし、しばらく私が恋愛することはないだろうなって思う。
「青春、短いぞ、大事にしろよ」
「同じく彼氏の居ない翠に言われたくないなぁ」
「私この間E組の男子に告られたけどね」
「マジで!?」
「まぁフったけど」
「え、なんで?」
「私同級生よりも年上の方が好みだし。今私バスケ部の先輩狙ってんだよね!」
「へ、へぇ……」
そう言って翠が見せてきたスマホを覗き込むと、そこには明るめの髪の男子の写真が写っていた。
「かっこいいでしょ?」
「えー、なんかチャラそう」
「言うほどじゃないと思うよ?高身長だしスタイルもいいし、実際にめっちゃモテてる」
「へぇ……」
確かにイケメンだとは思う。思うんだけど……
「やっぱ私のタイプじゃないわ」
「うんうん!恋敵が増えなくて私は安心だよ!」
「ちなみに、私がこの先輩タイプだって言ったら?」
「…………」
「怖い怖い怖いその目やめて!大丈夫だから!」
やっぱり私は見栄えのよくてかっこいい男子より取り繕わないで接してくれる男子の方が印象いいな。なんだか緊張しちゃいそうだし。
「でも、ちとせもある程度耐性つけないと高校生なんてみんなこんなもんだよ?中学生じゃあるまいし」
「そう言われてもなぁ……」
「まぁある程度自然なかっこよさが必要っていうのはわかるけどね。私でもあれくらい露骨にかっこつけてるのはナシかな」
翠が反対側の歩道を指さした。そこに歩いていたのは一組の高校生くらいの男女。女子の方はシャツの胸元を大きく開けてきっちりと焼いた肌を晒したちょっと前のギャルみたいな子。男の方はまだ新しさの残る制服にやたらと陽の光を反射してキラキラ光るアクセサリーがちょっと浮き気味に見える……
「……」
え、待って……うそでしょ……
「ねぇ、あれ、青崎じゃない?」
「……」
「うわー!!めっちゃ雰囲気変わってんじゃんアイツ!!ガキっぽさこそなくなったけど。そっかー。高校に入るとああなるのかぁ……!!」
確かにソイツは浩司だった。私の元カレの青崎浩司だった。
でも、それは私の想像してた浩司とは全然違くて。
分かりやすくワックスで固めた髪の毛、胸元で存在感を放つネックレス、かつて好きなキャラのキーホルダーをつけていた鞄にはジャラジャラとよくわからない金属がたくさんついていた。
オシャレを身に着けた。それはわかる。浩司だってもう高校生だ。
でも、浩司、そんな顔、したことなかったじゃん。
「あちゃ~……でもあれは完全に隣の子に鼻の下伸ばしちゃってるね……ちとせ、大丈夫?」
「……うん。大丈夫」
二人は私たちに気づくことなくすぐにどこかへと歩いて行ってしまった。
「ちとせ?……ちとせ!!!」
浩司の視線はもう私に向いていない。私の知っていた浩司ももういない。じゃあ、私が捨てたものは、私が切り離したものは、私が追い求めたものは……
「ちとせ……ほら、しょうがないじゃん。もともとはあんたがアイツをフったんだし……確かに青崎の変わり様を見て動揺するのもわかる。もうちとせを好きだった青崎がいないかもしれないって不安もわかる……でもこればっかりはさ、しょうがないんだからさ……」
「だからさ……そんな泣いてもしょうがないよ。ほら、泣き止んで……」
「……え?」
翠に言われて自分が涙を流していたことに気が付いた。
「……いや、これは、ちがっ」
「あぁもう……ほら、ハンカチあるから……」
翠から受け取ったハンカチに目元を押し付ける。
「だいじょうぶだから……これは……うれしなみだだから……」
「もう何言ってるかわかんないよ……ほら、少しでも落ち着いて……」
だいじょうぶ。確かに悲しい気持ちこそあれど、これはきっと嬉し涙だ。
もう既に変わってしまった浩司。その変わってしまう前の、私がかつて好きだった、最近また惚れ直したその浩司の純粋な好意を受けられたのは自分だけだったんだって、そんなつまらない独占欲を勝手に満たして、ちょっぴり嬉しくなって涙が出ちゃっただけなんだ。
訳の分からない感情。翠にはきっとわからない、私だけの嬉し涙。
…………そうでも思いこまなければ、やってられなかった。
今日、私の初恋が二度目の終わりを告げた。