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黄昏の女神たち  作者: AF
9/12

1527 よくあるあやまち



 なぜ気づかなかったんだろう。


 単純なことだった。()()()()を、仮定として採用すればいいだけのこと。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 どうしようもない凡ミスだ。ばかばかしい。わたし自身を平手でぶちたい。


 その放課後、わたしは、教室の自分の席についていた。


 そう。

 わたしが考えるべきは、その点だったのだ。


 早明(さめ)(うら)は、わたしが破壊神だと、はじめから知っていた。

 転入生が。転入当初から。


 真っ当に考えて、そんなことはありえない。

 それなのに、実際、転入当初から知っていた。

 なら、どうして、そんなことがありえたのか?


 答えは、簡単。

 学校内に、事前に知り合いがいたからだ。


 それも、わたしに近しい位置。

 高い確率で、もと五年一組の内部。

 わたしを破壊神だと、さとりうる立場の者。

 そいつから、すべてを聞いたのだ。


 わたしは呼吸をくりかえす。そのナニガシは、わたしの行動を、詳しく早明浦に報告しただけではない。

 早明浦を使って、わたしの動揺をさそった。

 指摘し、挑発し、攪乱(かくらん)した。

 あわよくば、わたしが尻尾(しっぽ)を出さないかともくろんで。

 わたしの正体を、白日(はくじつ)のもとにさらそうとした。


 ――さて。

 一体、誰が?


 その答えも、おのずから、見えている。


 廊下を歩いてくる軽い一対(いっつい)の足音がして、この教室の後ろ側の戸口で、とまった。


「あれっ」


 聞き覚えのある声。


可炒(かいり)ちゃん。どうしたの、こんな時間まで」


 たっぷりと、時間をかけて、わたしは体ごと振り返る。

 午後のかたむく日ざしの色に()える、白い頬が、かすかに染まっている。

 口もとは嬉しげにほころんで。


「待ってたの」


 わたしが言うと、ぱっと満面に喜色をたたえる。


「本当? ごめんね、中庭の花壇の植えかえが、時間かかっちゃって。すぐ仕度(したく)するね。今日は急いで帰らなくても大丈夫なの?」


 わたしの後ろの席に駆けてきて、せわしなく荷作りを始める。わたしがうなずいてみせると、まぶしそうに、両目を細めて、笑う。


「じゃぁ、一緒に帰ろう」


 はにかむように、ためらいがちに。


 わたしは室内向きに座って、しばらく、荷作りする手の動きを見ていた。

 ふと、思い出したように、告げる。

 それもいいかと、一瞬、思ったけれど。


「一緒に帰るために待ってたんじゃないんだよ」


 ぴくりと、反応して。

 筆箱を持った手が、おもむろに机上へおりた。


「え」

「話があるの。ここで聞きたくて、待ってたの」


 室内には、誰もいない。

 授業はとうに終わっているし、部活が終わるまでは、まだちょっと時間がある。

 この時間に教室にやってくるのは、時間外の活動に従事した、美化委員会のメンバーくらいである。


「ここで……?」


 不安のにじむ声音(こわね)

 有巣(ありす)の気持ちが、わたしには、手にとるようだった。


 それだけクリアに見えるものを、わたしはあえて、無視した。

 戦闘開始。


「有巣はさ、最初から、知ってたんだね。早明浦くんのこと」


 ルールは二つ。

 一つめも、二つめも、遵守(じゅんしゅ)すること。


「え、え。最初、って」


 早明浦は、敵だった。少なくとも、その正体がわかる前は、あきらかに。

 しかし早明浦が誰かの手先だとすれば、本来の敵は、早明浦をあやつっている者である。

 敵に対して、情けは無用。


「転校してくる前からだよ。知ってたんでしょう?」


 わたしは有巣を見上げる。有巣はおびえた色の目をおよがせた。


 わたしに嘘をつくなら、ついてみるがいい。


 早明浦の転入は、非常に急なものだった。クラス名簿に名前も書かれなければ、始業式にも間にあわず、机の搬入すら、転入した日の翌日になるほど。


 そんな飛び入りがいることを、一人だけ、前もって知っていた六年生がいる。


 あのとき、有巣はこう言った。


《男子の後ろの席がね、一つあいてるからね》


 転入生が男子だと、知っていたのだろう。


 視線をさまよわせながら、有巣は両手を机の上で組みあわせた。じき、うつむき、おずおずと顎を引く。


「う、うん。あの、ご、ごめんね、隠してたわけじゃないんだけど」


 隠してたわけじゃない?


 わたしは眉をひそめた。


 隠してたんじゃないなら何だったっていうんだ。


「サメくんが、できるだけ秘密にねって、言うから」


 やはりその呼び名も、(おぼ)え違いではなかったのか。


《萩山さんになら、そう呼ばれてもいいな》

《きみが鬼神(デーモン)だね。評判はかねがね》


 不自然な転入生。


《萩山さんの鬼神としての行動を、観察してたから》

《松本くんと吉田くん、ぼくが壊してもいい?》


 不可解な現象。


 すべての謎をひもとくヒントが、最初から、目の前にちらばっていた。


 気分が昂揚してきた。血が、どんどん顔にのぼって、脈が異常に速くなっている気がする。

 いや、これが、頭に血がのぼる、ということなんだろう。


 有巣の前で、椅子に座りつづけているのがつらい。ともすれば、立ち上がって向かいあいかねない。


 あのルールがある。

 わたしは、座っていなければならない。


 わたしは室内を見渡した。机と椅子が整列した、夕闇のように薄暗い空間。有巣を一度完全に視野から()め出して、一息つき、気持ちをおちつかせた。


 こんなもんは前哨(ぜんしょう)戦だ。

 これから、本格的なのが、一山(ひとやま)(ふた)山も待っている。


 手はじめは、外堀(そとぼり)か。

 いざ。


「早明浦くんと、昔から、仲いいの?」


 白々しい、とわれながら思う。そのくらい、わたしは今、おだやかな、いつくしむような風情(ふぜい)を表面にうかべている。

 有巣の、ちょっと気をゆるめたような表情で、その偽装がうまくいっていることがわかる。


「うん……うちのお母さんと、サメくんのお母さんが、お友だちでね。仲いいっていうほどじゃなくて、たまに会うだけなんだけど。サメくんも、わたしと知り合いなの、皆に知られたくないみたいだったし」


 いまだに、隠し事をしていたことの言いわけを()っている。そんなことは、無用だろうに。


「学校のこととか、よくしゃべるの?」


 はたから見れば、この会話は、他愛(たわい)のない昔話だ。クラスメイトの交友関係を、今まで誰も知らなかったことを、すこしばかり、打ちあけてもらっている。

 知らないところを減らし、知っているところをふやす。ままごとみたいにととのった、友情を深める作業。

 わたしはほのかに笑みをおびる。有巣はあい変わらず遠慮がちで、じっくり言葉をえらんでいた。


「よくっていうか……」

「それほどでもない?」

「うん。ほんとに、たまにだから」

「悩み事の相談とか、しないの?」

「うっ? うん……やだ……サメくんから何か聞いた?」


 笑みを深め、その裏で、わたしは適当にアタリをつける。


 この道がどんな道かは、わからない。

 しかし外堀を攻略するに有効なことは、察される。


 悩み事、ね。

 さもありなん。


 もと五年一組の惨状。

 あれだけやぶれてほころびだらけなら、相談の一つや二つ、しないわけにはいかないでしょう。


「やだ、ほんとに、何聞いたの? 可炒ちゃん」


 切羽つまった顔つきで、有巣は身を乗り出す。


「なんにも」

「嘘。何か聞いたんでしょ?」

「言ってもいいけど」


 わたしは冗談めかした笑いとともに、のらりくらりと質問をかわす。


「その前に、一つ聞いていい?」

「何?」

「わたしのことは、しゃべった? 早明浦くんに」


 第一の攻略ポイント。

 外堀の核心だ。


 え、と。

 小さく、小さくつぶやいて。


 有巣はそれきり黙った。


 当たりだ。

 有巣は黒。


 わたしはしずかに息をつく。


 この沈黙の、雄弁なこと。


 わたしが早明浦から何を聞いたか?


 そんなこと。

 あなたが。

 わたしに問うまでもないでしょう。






 有巣は答えないでいる。わたしのことを、早明浦にしゃべったか否か。イエスかノー、どちらが返ってくるかは些細(ささい)なことだから、答えにくいなら答えないでかまわない。わたしは次の目標に向かう。


「早明浦くんがね。わたしのこと、悪魔だっていうんだよ」


 びくんと、有巣が上半身をふるわせた。

 わたしは、自分の口から出て、思いのほかわたしに打撃をくわえるその言葉を、内心もてあました。


 おそるおそる、といった様子で。

 有巣は首の角度を変え、前へかたむけていた体を立て直す。


「え……?」

「わたしは、関係を壊すんだって。沢西さんと谷川さんの関係や、沢西さんと松本くんの仲とかを。五年生のとき、吉田くんが学校に来なくなったのだって、わたしが壊したからだって、早明浦くんは言ったの」


 表層から笑みは消えている。意に反して、相当、深刻な気分になって、わたしは足もとを見下ろしていた。


 なにやら悩み相談の様相を(てい)しているが、これも自然な流れだ、まあいいだろう。実際、泣きそうな心情になって、それがやむなく顔にまでしみ出してしまっているが、これこそ自然だ、無理に流れを変える必要もあるまい。


「どう思う?」


 正直、本当に、今自分がどんな道を歩いているのかわからないが。


 たしかめなければならないことは、もう一つある。


「本当に、わたしが、壊したのかな」


 わたしを悪魔と断じたのが、有巣かどうかだ。


 有巣がどう出るか、見ものだった。わたしを悪魔と断じたのが有巣だった場合、仮に有巣が、今のわたしに《そんなことないよ》と言ったとすると、それは嘘をついているときなのである。逆に本当のことを言うなら、《そうだよ》で(こと)たりる。ちょっとめったにない問答だ。


 悪魔と断じたのが早明浦で、有巣はわたしのことを話しただけだった場合は、どうなるかな? とりあえずわたしの懸念(けねん)をとりのぞき、わたしをはげまして、早明浦に対して義憤(ぎふん)をおぼえるんだろうか? 現実にそうなるかどうかわからないが、それはいかにもつまらない仮定である。是非とも有巣には、完全なる黒であってほしい。


 別に、有巣がまるっきり黒だったからといって、へへいそうですか、おみそれしやした、と、へいこら頭をさげておそれいり()いあらためる予定はない。わたしは、()()()()()()()()()()()()()と聞いたのだ。

 もちろん、わたしは一つとして壊していないのである。


 主義に反するから。

 ルールを外れるから。


 最近思うのは、悪口も、物理攻撃にふくまれるのかな、ってことだ。

 声も、空気の振動で、目に見えなくても物理現象だからね。


「可炒ちゃん……」


 有巣は眉根を寄せ、気弱そうな表情で、無難(ぶなん)な一言を口にした。


 うん。それじゃ、わかんないんだよな。破壊活動に従事するときのわたしじゃあるまいし、当たりさわりのないことばっかり言わないでくれないだろうか。


「可炒ちゃん、本当に」


 奇妙な音が聞こえて、わたしは視線をひろった。机の上の、ペンケースの飾りを、有巣の指先がもてあそんでいる。爪が飾りにぶつかる都度(つど)、軽いかすかな音をたてるのだ。


「本当に、サメくんが、そんなこと言ったの?」


 そう来たか。

 肩すかしをくらって、わたしはがっかりした。期待していただけに無念もひとしおだ。いや、悪くないよ、その流れも自然だし、よくあるパターンだと思う。


 なかなか、世の中、不自然にはいかないな。

 なんだ……すごいんじゃないか、早明浦は。


 わたしは有巣を見上げ、さっきまでのつらそうな表情をつくるのに苦労して、うなずいた。


 そうだよ、と言う。

 ふと、有巣の指がとまった。


「だとしたら、ゆるせない……ね、可炒ちゃん、ほんとにそう言ったの?」


 何だろう、この反応。


 選択肢は、《三、義憤にかられる》かな? やたらしつこく聞いてくるのが、気になるっちゃあ気になるけど。


 ええと。

 正確には、伝えてないな。


 口にするのもはばかられるけど。

 有巣が《悪魔》すら()んでくれるから、わたしのたよりない精神も、なんとかもちこたえられるだろう。

 芝居がかってて、うさんくさい上、はずかしいけれど。


「デーモン」


 有巣の目が、ぱちりと見開かれた。


「デーモンって、早明浦くんは言ってた。わたしのこと。悪魔って意味だよ」


 有巣はまばたきもしないまま、しばらく固まって。

 そう、と、わかってんだかわかってないんだか、どっちつかずな返事をよこした。


 えーっと……。


 われに返って、わたしは現在の位置を見直す。

 外堀から内側へ攻めこんで。

 わたしはどこに、立っているのやら。

 五里霧中。

 道を、見失いました。






「早明浦くんに、何しゃべったの? わたしのこと」


 そうだよ。相手は有巣だったのだ。問題をなあなあにしてたら、からめとられて戦意を喪失するのがオチだ。知ってたはずじゃないか。

 ここはもっとアグレッシブに。気持ちだけでも。


 問題は、ただ一つ。

 わたしを悪魔と断じたのが、有巣かどうかだ。


「何も」

「何もってことはないでしょ? 早明浦くんは、有巣から聞いたような言いかたしてたよ?」


 椅子を引き、すとんと腰をおろして、有巣はわたしに目の高さをあわせた。


「ほんとに……ほんとだよ。わたし、可炒ちゃんの悪口なんか、一回も言ったことないもん」


 苦虫(にがむし)を噛みつぶすって、シチュエーションが不相応だろうか。心の底から、そんな気分なんだが。


「じゃあなんで、早明浦くんがあんなこと言うの」

「それは……」


 黙りこんだ。


 まったく、とわたしはにがりきる。こんな、なまくら刀で彫像をきざむようなマネ、したくないんだ。みっともない。

 有巣は好きなだけ沈黙をたもってから、ぽつりぽつりと、またしゃべりはじめた。


「わたし……可炒ちゃんの悪口、言ってないよ。可炒ちゃんは、やさしくて、頭よくて、おちついてて、悪いとこなんか一つもないもん」


 運動音痴で、(そこ)意地悪くて、破壊神だけどね。

 なにが楽しくて、しょうもない自分の褒め言葉を拝聴しなきゃならないんだろう。

 我慢大会でもないなら、(しり)まくって逃げ出したいぞ。


「わたしはただ……サメくんに、そのまんま言っただけだよ。可炒ちゃんが、クラスの中で、どんなことをしてたか」


 道は長いなあ、と思う。

 道のりは長く、道はけわしく、本丸(ほんまる)は遠いみたいだ。


「可炒ちゃんが誰かをほめると、そのたびに、誰かがケンカするんだって。ケンカして、仲が悪くなって、どんどんそれがひろがって、最後には誰かが学校に来なくなる……」


 ――聞き捨てならないな。


 わたしは有巣をにらんだ。有巣は机上で両手を組みあわせ、なかば目をふせて、そらんじるように言葉をついだ。


「可炒ちゃんは、ちゃんと、そうなることがわかっててやってる。本当に最後まで、思ったとおりになるか、確認していく。一つ一つ、皆の仲が悪くなっていくと、本当に楽しそうに笑って……だあれも、可炒ちゃんの思いどおりに動いてることに、気がつかない。だから、可炒ちゃんは、とっても頭がいい」


 随分近くに、本丸が出てきたものだ。


 知らず知らず、腰をうかせていた。

 床に立ち、向き直り、有巣を見下ろす姿勢になっていた。

 有巣は手をほどき、手のひらを机につけて、両手をつつましくそろえて置く。


「かっこよくて、綺麗で。ステキでしょって、自慢してたの……自分のことみたいに」


 告白を終えると、まぶたをあけ、わたしの目を見上げて微笑した。


 悪口じゃない?

 褒め言葉?


 ――なんだ、その、こじつけは。


 まったき黒。

 のぞむところだ。


 歓迎すべき。

 有巣は、黒。


 わたしは、息を吸い、剣呑(けんのん)な目つきをした。


「それのどこが、悪口じゃないの?」


 直接。するどい刃物を、ふりおろそう。


 相手は、有巣。

 普段のわたしは、指の腹でなでる程度にしか行動しないが。


 錆びた刀でぼろぼろの木彫りをつくるより。

 鋭利な刃でなめらかな切り口を生み出そう。

 その方が、うつくしい。


 有巣はきょとんとして、にわかに表情をくもらせる。


「え……だって」

「わたしには、悪口にしか聞こえないよ。結局、有巣が、吹きこんだんだね。わたしが関係を壊すとか、わたしのせいで学校に来なくなった人がいるとか」


 わたしがかたい声で言うと、有巣は顔をこわばらせた。いまさらになって、おかしたあやまちに気づいたのかもしれない。


 でも、もう遅い。

 これは正論だ。

 怒って当然。

 反論してしかるべき。

 冤罪(えんざい)


 まごうかたなく、事実上は。

 正義は、わたしにある。


「わたしが何をしたっていうの? わたしが誰かほめるとケンカになる? 言いがかりにもほどがあるよ」


 有巣は絶句して、身をかたくしている。わたしは(ほこ)をおさめない。いきどおらないわけにはいかない。


「あんなことまで、言わせて……!」


 可炒ちゃん、と呼びかけて、有巣はあわただしく立ち上がった。


「可炒ちゃん、違うの、ごめんね。サメくんが言ったのは、そういうんじゃないの」


 何だっていうの、と切り返し、わたしはのびてきた有巣の手から遠ざかる。

 椅子を立ってしまったことを、今ごろ後悔する。

 何があっても、立つべきではなかった。岩のように不動であらねばならなかったのに。


「わたしだって、可炒ちゃんのことは、悪いなんて全然思ってないよ。勝手にケンカして、勝手に学校に来なくなって、皆の方がバカみたいなんだもの。わたしはちゃんと、知ってるんだ」


 何を、と思う。わたしの行動と皆の仲(たが)いに相関があるという説をくつがえさないあたり、有巣は滅亡的なほど()()()()()()()()()()()()


「可炒ちゃんは、やさしいってこと……可炒ちゃんは、皆がケンカして、可炒ちゃんの思ったとおりになると、ほんとに楽しそうにするよね。それは当たり前だと思う。だって、可炒ちゃんは、頭がいいもの。答えがあってると、嬉しいよね。それは、わたしも、頭悪いけど、ときどきは答えが当たるから、なんとなくわかると思う」


 本当に……何を、言い出したんだ。


 めずらしく、わたしは途方に暮れた。


 どうするつもりなんだろう。

 相手は有巣だ。こんなに、手にとるようなのに、どこに向かうかわからない。


 違う。

 手にとる?

 わたしは無視していた。

 有巣のようなタイプは、四年生までで見飽きていたから。


 問題にしていなかった。

 壊す価値がないと判断したから。


 だから生かした。

 こんな、あやぶむべきものを。

 それとも。

 無意識に――おそれていたのか?


「けど、可炒ちゃんは、皆がケンカして、誰かが来なくなって、ずうっとそのまんまになると、悲しそうにするでしょう? 仲が悪くなった人や、来なくなった子の席を見て、ときどき、心配そうに、泣きそうな顔をするでしょう? 可炒ちゃんは本当にやさしいんだって、わたしはずっと、思ってたの。可炒ちゃんがケンカさせるのは、絶対、()()()()()()友だちなんだって。可炒ちゃんは、間違ったところを直しているだけで、それがそのあと、正しいようにならないのは、皆の、努力とか、気持ちが、たりないんだって。でも可炒ちゃんは、間違いを直すことでいそがしくて、()()()()()()()()()まで動かすことができない……」


 だから、と、有巣はつないだ。


「可炒ちゃんは、なんにも悪くない」


 ――めまいが、する。


 立ちくらみだろうか?


 わたしは、片手で眉の辺をおおうようにした。

 親指と薬指で、こめかみをおさえる。


 いや、まったく……。

 おそれいる。


 何を言ってるんだ、この狂信者は。


 どうも、趣味の活動中に、とんでもないファンを腰にぶらさげる運びとなったらしい。

 その信ずるところを一々、丁寧に切り崩していくのは、厄介である。


 なので、肝心なところだけ。

 徹底的にたたこう。


「それで、人のことを、悪魔呼ばわり?」


 やおら、右手をおろす。

 有巣はふたたび、不安を前面に出して、ぷるぷると小刻みに首を振った。


「どこが《なんにも悪くない》なの。人を悪者(わるもの)あつかいして」


 否定のジェスチャーは、まだ続いている。有巣はかぶりを振りつづけている。バカの一つ覚えみたいに。


「勝手な幻想を押しつけて、変な烙印(らくいん)を押すの、やめてよ。ものすごく不愉快だし――」


 まっすぐ、見すえて。

 見下す。


「気持ち悪い」


 これは、早明浦にこそ、ふさわしい文句だった。


 弁明をすれば、有巣をさして言っているのじゃなくて、その前にあげた行動について言っているのだよ。

 見苦しいから、言わないけどね。


 解釈は、ご自由に。

 どうせ世の中、十割、幻想だ。


 でもね、それが不快なんだ。

 たまらなく。

 気味が悪いんだ。


 机に寄りそい、かたわらに掛けたカバンをとって、わたしは背に負って立ち去ろうとする。

 首振りをやめ、かたかたとその場でふるえる有巣を、視界の外に置いてけぼりにする。


「か……」


 知らない。


「可炒ちゃん」


 知らないし、いらない。


「違うの……」


 関係を壊す。最高じゃないか。


 ()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()


 やあ、正解。会心だよ。

 賞賛に値する。


 きみが言ったとおりだ。

 おしみない拍手をおくろう。


「違うの、可炒ちゃん。デーモンの、意味はね」


 まだ言うか。


 わたしは立ちどまり、片目でかえりみて、さめた視線を向けた。


「デーモンは……悪魔って意味もあるけど、そうじゃないの。もっと別に」


 手間とヒマのかかる奴だ。わたしは片足のかかとをあげ、くるくると、足首をときほぐす。


「守護神っていう、意味があるんだよ」


 ――刹那。

 体表全部があわだつほど、カンにさわった。


「くだらない」


 反射的に放つ。


「言うに事欠いて、それ? もうちょっとマシなこと言いなよ」


 どこかで聞いたのをそのままおぼえた、独創性のない買い言葉。

 それだけじゃ、おさまらない。


 ()()()――()()()


 それは《悪魔》以上の。

 最悪のそしりだ。


「バカにしないで。わたしはただの、破壊神だよ」


 ……


 最低だ。


 きびすを返す。

 敷居をまたぎ、廊下に出たところで、壁ぎわに黒い影が見えた。


 咄嗟(とっさ)に振り向く。

 影。影のようなたたずまい。黒髪の奥の暗い目。

 目があった。


 ――最低だ。


 わたしは九十度方向転換し、早明浦の前の廊下を、早足で横切った。


 最低だ。

 聞かれていた。

 あんな、あさましいやりとりを。

 聞かれていた。

 自白を。

 ひとりよがりの主張。

 怒気もあらわに。

 あのクラスメイトを。

 それとの関係を。

 明確な凶器でもって、壊滅せしめた。


 わたしと、誰かの、関係を壊す?

 悪いことに、こんなに身近なのは、これがはじめてだよ。


 見られた。

 証拠。

 決定的な、現場。


 言質(げんち)をとられた。


 最低だ――!






 わたしは一人、階段をおり、靴をはきかえ、昇降口を飛び出す。

 買い物がないとはいえ、いつもにくらべ、すっかり遅くなってしまった。

 家路(いえじ)をいそぐ。まぶたの内側には、最後の有巣と、早明浦の顔が、交互に映し出されている。


 有巣には、これから、早明浦がついていてやるんだろう。

 よかったね、と思う。

 有巣には、なぐさめてくれる相手がいる。


 わたしのあのこっぱずかしいセリフは、いっときの勢いと、気の迷いだと、そういう解釈というか、言いわけができるに違いない。

 こんなときにも保身である。

 苦笑ものだが、それを何よりも(さき)んじることだ。


 だって、わたしは、一人なのだ。

 それはそれで、一向にかまわない。

 なぜも何も。

 悪は強かるべしと、昔から相場は決まっている。






 家に帰って、夕食のおでんをあたためながら、とりとめのない考え事をした。

 今日の活動の反省。

 第一の議題は、ルールに違反しなかったかどうか?


 罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)も物理攻撃にふくめるとなると、完全に出場停止処分である。


 第二に……うつるより先に、別のことが思いうかぶ。


 ――可炒ちゃんは、なんにも悪くない。

 うるんだような、どこを見てるのか(さだ)かでない瞳。

 自分でないものを信じきった、顔つきと口ぶり。


《なんにも悪くない》


 あのとき即座に、どこが、と聞ければよかった。


 全体、大丈夫かな、有巣は。

 洗脳したおぼえはないけれど。あの異常な心酔、耽溺(たんでき)っぷり、ひとごとながら肌寒いものがあった。

 有巣がわたしにひけらかしたあの論理、あの理屈も、ひねくれ具合が度を超してたからな。


 更生しますように、と、およばずながらお祈りをする。


 つぎ。


 わたしの立場か。変わらないだろうな。明日も、それ以降も。

 ときたま破壊神とか自称しちゃう、やぶれかぶれになるとちょっとイタイ子、みたいな認識が皆の脳みそにアップデートされるかもしれないくらいで。


 関係が壊れたのは、有巣くらいだし。

 あ、有巣が急に手のひら返して、女子全員にわたしの悪行(あくぎょう)をばらしまくったら一大事か。


 ちょっとそれも、笑えるなあ。そうなったらどうしようかな。男子は……男子の方も、早明浦が同じことしたりしてさ。そしたら一人一人()()()()()てつぶしていくか。これは、とっかかりは、吉田くんだなあ。一番弱そうで、手なずけやすそうだもんね。松本くんもそそられるけど。その影響力の大きさにね。


 ――

 吉田くんが復帰したのは、嬉しかった。


《誰かが来なくなって、ずうっとそのまんまになると、悲しそうにするでしょう?》


 ……よく、見ている。


 わたしは、一人になってみてようやく、感心した。


 言われた時点では、急転直下の()(ただ)中で戦々恐々(きょうきょう)とするあまり、有巣の論理のねじれをあげつらうことで手一杯だったけど。

 それに、もしだしぬけにこう言われたとすれば、それはもう礼儀のように(いな)と応じたに違いないけど。


 みとめよう。


 意識したのは今がはじめてだが、みとめざるをえない。


 わたしは破壊して、その跡地(あとち)がほったらかしになっているのを見ると、胸が苦しいような、泣きたいような気持ちにおそわれていた。

 五年一組でも、ずっと。

 みずから破壊をうながして、崩壊を()の当たりにしては、楽しんでいたくせに。

 矛盾しているけど。


 瓦礫(がれき)の下から、何かが()ぶいてくれる瞬間に、()がれていた。

 だから、吉田くんが復帰したのを喜んだ。吉田くんがひきこもりに戻らないことを、願った。


 吉田くんに、特別、思い入れがあったわけじゃないんだよ、早明浦。


 誰でもよかった。

 何でもよかったんだ。


 すさみ、荒れはてた廃墟の中から、新しく何かが生まれいずることを、のぞんでいた。


 それだけの、こと。


 くつくつと、鍋が音をもらす。わたしはフタをあげ、菜箸(さいばし)を手にとって、具を壊さないように、慎重にひとかきする。

 明日は、水曜日だ。

 ふと思いついて、冷蔵庫を振り返った。扉にマグネットで貼りつけた、給食の献立表をチェックする。なんてことない日課である。

 次に現在時刻を視認。ごはんはもう二、三分、蒸らしておいたほうがいい。

 母は、いつ帰ってきてもおかしくない。


 用意してないことに気づいて、わたしはばたばたと食器を出しはじめた。箸、茶碗、中皿二枚、小皿一枚。そうしているうちに、ただいま、と玄関から声がひびいてきて、あわてて鍵をあけにいく。母を中にいれ、おかえりを言い、買い物袋をあずかって台所へ引き返す。


「イチゴ買ってきたのよ。食べるでしょ?」


 流し台で手を洗って、ついでにイチゴを洗いながら、母はそんなことを言って笑う。

 笑ってうなずきかえしながら、わたしは頭の中に、何かがひらめくのを見る。


 うちは、母一人だ。


 たまに会う祖父母は母方ので、母自身は、未婚でも未亡人でもなく、一度離婚している。


 父は生きているはずだ。どこかで別の結婚をしているのかもしれない。両親の離婚は、ものごころつくかつかないかの幼いころだったから、父は顔すら判然としないけれど。

 鼻歌をうたい、大雑把にヘタをとって、イチゴをザルにあげていく母の姿を、わたしは隣に立って見つめた。


 突然、思ったのだ。

 父と母、どっちが、破壊神の親なのかな、と。


 こうして母を見る分には、母は、平穏と安定を重んじ、そのための責務をはたすことに疑問をいだいていないようである。

 でも、これが化けの皮だという可能性だって、否定はできない。


 一方で、名も知らない父である。

 母とかなり前に離婚し、わたしにはどこで何をしているかもわからない。

 顔も性格も、クセも、好みも不明。


 でも。

 父も母も、離婚している。

 そういう、歴然とした()()がある。

 それが。その衝動を引き起こす原因になったのが、わたしの体に流れる破壊神としての血だと。そう考えるのは、突飛(とっぴ)なことだろうか?


 わたしはぼんやりしつつも、おでんが焦げつかないように、火加減を調節し、鍋の中身をかきまわす。


「なあに、ぼーっとしてるの? 学校で変なことでもあった?」


 母はジャーのフタをあけている。時計を見ると、蒸らし時間は十分に経っている。


「ううん。ケンカしちゃった。有巣と」


 えっ、と、びっくりしたらしいリアクションが返ってきた。こうしてあらためて驚かれてみると、そういえば、ケンカもまれだが、有巣となんて青天の霹靂(へきれき)だ。


 母の顔を見ると、わたしが手ひどいダメージを受けたとは、ゆめ疑ってもいないようである。


「まあ……あらら。有巣ちゃん、泣いちゃった?」


 あれ。そう言われてみれば。

 どうかな。見なかったな。

 立ちすくんで、ふるえてはいたけれど。

 わたしがいたときは、とりあえず、泣いてなかったよな。


「さあ。あとから、泣いてたかも」

「あらあらあら。どっちが悪いの? しいて言えば」


 いたずらっぽく、母が問うてくる。

 この人なら壊すかもしれないとも、この人なら壊されるかもしれないとも思う。


「しいて言わなくても、わたし。全面的にわたし」

「えーっ、なあに、自虐(じぎゃく)的ねえ。やめなさい、責任なんか負ったらバカ見るわよ。もうちょっとずぶとくかまえてた方がいいわよ? 人生損しちゃったら損よぉ」


 やっぱりわからんな。


 わたしは、母は破壊神の血の持ち主かどうかという、この場の思いつきを検討するのをあきらめた。


 ごはんをよそった茶碗を二杯、食卓にはこぶ道すがら、こちらに背を向けて母は言う。


「仲直りできたらいいねえ」


 その言葉の意味を、わたしはしばし考える。


 仲直りもよしあしである。

 沢西と谷川の現状みたいなのは、願い下げだ。


 わたしは母に聞こえないように、その気になったらね、とこたえた。




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