1333 変だなと思ったら、まず自分を疑いましょう。
月曜日の戸口に立って、わたしは率然、自覚した。
教室後ろの出入り口からまっすぐの位置。そこに、吉田くんと、前まではわたしより遅く登校していた早明浦が、前後の席に座って笑いあっている。
忘れていた。金曜日の放課後、早明浦が堂々の犯行予告をしたことを。金曜の午前授業につづき、土日の好天、コタツ布団や絨毯を片づけ、布団をほして部屋の掃除をし、料理をしたりテレビを見たりで母親とおもしろおかしく過ごしてしまったために。近ごろまれに見る満ちたりたお休みだった……。
おはよう、と室内へ声をかけ、自分の席に向かう。二人の席を迂回する際、早明浦が、にこやかにわたしを見上げて挨拶した。
いやみったらしい。その前でおどおどとはにかむように挨拶する吉田くんのいじらしさよ。
わたしはことさら吉田くんに笑顔を振りまき、吉田くんの様子にきわだった変化がないのをみとめた。
次に、一つ前の席の松本くんをチェック。机に向かって一所懸命、宿題の漢字ドリルをやっている。休暇はゆとりがなかったのかしら。
振り返って吉田くんとしゃべったりしていることから、早明浦の破壊宣言はまだ実行にいたっていないようだ。
油断していただけに、わたしは胸をなでおろした。
それにしても、早明浦の、吉田くんへのねんごろな態度は見過ごせない。
全校集会が唯一、わたしが早明浦の後ろを取れる時間であった。背丈の順だと奴は男子の前の方、わたしは女子の真ん中後ろ寄りだ。しかしここでは吉田くんと早明浦のあいだに人が入るから、どうも間違いは起こりにくい。
それ以外は敵に背を見せつづける構図である。わたしは気が気でなかった。
悪いことに、相手は奥ゆかしい吉田くんと、影そのものの奴である。教室で席についているうちは、万が一にも、最前列で前を向いているわたしに二人の会話が聞きとれるわけがない。
そわそわした。
振り向けば後ろは有巣だ。何か話しかければいいのだが、用なんてそうそうない。有巣が呼んでよこしたときや、プリントを配るとき、たまぁになんでもないときになにげなくしか、後ろを見れない。
スキをついて吉田くんに近づき、忠告することを考える。でも、何と言おうか。《早明浦には気をつけて》だ。そんなばかげた話はない。
吉田くんがしたがう理由はないし、わたしが単に早明浦の悪口を言っているみたいでもある。そうとわかって愚策を弄するおかしな勇気を、わたしは持ちあわせていない。
立場が逆転してしまった。
不安を押し隠しながら、わたしは折につけ早明浦を監視した。
早明浦も、先日のわたしの要望を聞き入れたのかどうか、目があうのは三回に二回くらいになっている。七回に六回だった先週よりましか。ましって言えるか? わたしがみずから奴を見る機会がふえたせいで、局面は混乱している。
早明浦との接近遭遇を谷川に見られたのは先週末。それがせめてもの救いである。有巣がわたしに何も聞いてこないということは、それはまだクラスの女子全体の噂にはなっていないのだ。だがこんな不自然かつ不愉快な行動をつづけていれば、話題にのぼるのも時間の問題だ。
早明浦は、いつ吉田くんを破壊するのか?
授業中も、気は休まらない。
すくなくともわたしが見るかぎり、登校生活に復帰したての吉田くんは、早明浦と楽しそうに話している。早明浦が今まで以上に親しげな態度をとっているせいもあって、何かといそがしい松本くんよりも余程、早明浦に近しくなりそうだ。
新学年のスタートに出遅れた者として、同病あい憐れんでいるつもりかもしれない。
でも早明浦のあの態度は、完全に計算だ。
吉田くんは、松本くんとのつながりを絶ってはいけない。
松本くんは、吉田くんを教室につれてきた人なのだ。ほかの男子や、他のクラスとの交友関係も、ほとんど松本くんの仲介によって成り立っている。
転入したての早明浦にそこまでの人脈はない。松本くんを切り離せば、吉田くんのたよりとするところは早明浦たった一人にしぼられてしまう。早明浦が他の男子と吉田くんを結びつけなければ、友だちは早明浦ただ一人のまま。早明浦が絶交すれば不登校に舞い戻る。
すべて計算づくでふるまう早明浦の、手のひらの上でころがることになる。
「可炒ちゃん?」
有巣に呼ばれ、わたしはぱっと視線をずらした。
「何見てるの?」
「んん、なんでもない。ちょっとぼーっとしてた」
有巣は目をぱちぱちさせ、背後をかえりみて、眉を八の字にしてこちらに向き直る。
「もしかして、早明浦くん? また可炒ちゃんを見てたの?」
およ、と思う。
有巣はどうやらわたしを被害者だと思っているらしい。早明浦の視線を気にしていると見なしてくれているみたいだ。
ありがたいというか、何というか。
この見解も長くはつづかないんだろうな。
「違うよ。ほんと、なんでもない」
どちらかといえば吉田くんを見ていたのだ。早明浦と、何よりも自分のために、わたしはきっぱり否定した。
そう、とつぶやいて、有巣はもう一度後ろを振り返る。
これで先週わたしと早明浦が下校をともにしたと聞けば、またたく間に違う仮説を持ち出すんだろう。
机に向かって座り直し、わたしはため息をついた。
吉田くんが心配だ。
誰か、あの影を、吉田くんから引きはがしてくれ。
昼休みが終わっても、早明浦の予告が実現した様子はなかった。
なぜかというに、たった今、体育館から帰ってきた松本くんと吉田くんが、ごく自然にしゃべっていたからである。
五時間目は社会科だ。教科書、ノート、ペンケースを出し、授業の準備をしていると、柴崎先生がやってきて、通常の授業を始めた。まずは前回のおさらい。すでに聞いたことなので、あまりおもしろくはない。
ノートの最新情報を見下ろしながら、わたしは物思いにふけった。
早明浦は、本気で破壊するつもりなのだろうか?
先生は前回の授業の後半に説明したことを、黒板を使って手ばやく解説し直している。ノートの記録と、ほぼ同じだ。
なんてえか、遅すぎやしないか。
授業もだが、早明浦のことである。
壊そうと思えば、すぐにでもできるだろう。吉田くんにやたらめったら近いあの立場だ。なにも機を待つ必要はあるまい。
それとも、ハッタリだったのかな?
お、と思う。これは新しい切り口に見えた。
そうだよね、あれだけうさんくさいんだから、奴が言うこと全部がほんとだと思う方がばかげているのだ。
おちついて考えてみよう。
わからないのは、何だ?
一、早明浦は吉田くんを破壊するのか否か。
一、早明浦は何者か。
とりあえずこの二つか。
なんだか、問題の大きさがまちまちだな。
もうちょっと、整理しないと。
わたしはノートの余白に二つのメモを書きつけた。誰かに見られてもそれとわからないように、簡単な言葉で。
《一、破壊。二、正体》
これでよし。
まず、第一に、壊すかどうか。これは早明浦の気分や考え次第だから、わたしには判断がつかない。放っとこう。
難問は、二つめだ。これは、つくづく考えなければならない。
現時点で候補としてあがっているのは、裁判官だ。(漢字が書けず、とりあえず《さばく》と記す。誰が見ても何のこっちゃわかるまい。)
でも、単に裁判官だとも言いかねた。裁判官なら犯行予告はしない。じゃあ、裁判官だと思ったのは、なぜだっけ? 壊れたものを修繕して……いや、悪魔呼ばわりしたからだ。
わたしを《悪魔》と呼んだから、裁判官なのだ。
そうすると、わたしが壊したものをわざわざ修繕したのは、なんだか裁判官らしくない。裁判官なら、罪を言い渡しはしても、事態の収拾は専門外だろう。
そうなのだ。どうも早明浦は、やることが一貫してないのである。
今度は、早明浦がとった行動を、一つずつ書き出してみた。
《悪魔/直す/カンシ/予告》
書けない字をよけていったら、壊滅的なほど意味不明なメモになったが。
行動の順に、悪魔呼ばわり、破壊跡の修繕、わたしの監視、吉田くん破壊予告のことである。
あらためて見る。
なんだコレ。
めちゃくちゃだ。支離滅裂。
直接わたしに関わってきたり、こなかったり。
直したり壊したり。
壊す方は未遂だが。本当は、壊す気ないのかな?
いや、信用はならない。それだけはたしかに言えることだ。
それに、もう一つ。
たしかなことがある。
早明浦は、わたしが破壊神だと、最初から知っていたということだ。
ぞくりと、怖気をおぼえた。
だから、わからないのだ。
早明浦は何者か。
《悪魔/直す/カンシ/予告》
わたしを摘発し、わたしが壊したものを修繕し、わたしの言動をみはって、わたしが壊す気のないものを壊すと言い出した。
これは、裁判官とかじゃなく。
完全に、わたしの株をうばう行為じゃないか?
破壊神を囲いこみ、手足をもぎ、責め殺して、その後釜にすわる意図。
神の上に降りきたり、息の根を止める者。
だとしたら、そんなことは。
好きにさせたら、破壊神としてのプライドにもとる。
しかし……。
冷静になれ、本当か?
こんなこと。一介の転入生に、あたいうることか?
いや、いやいや。
なんだか、飛躍しているふしがある。
もう一度、立ちかえろう。
早明浦は何者か?
そのこたえはまだ、出ていない。
神を取り殺す者だなんて、曖昧だ。
おかしいな。
何だ?
《悪魔/直す/カンシ/予告》
再三、メモを目でさらう。
何はともあれ、分析失敗、と脳裏でこぼした。
悪魔呼ばわり、破壊跡の修繕、わたしの監視、吉田くん破壊予告。
うまく、まちがいを見いだせない。
何か。
あきらかに何か、思い違いをしている。
早明浦は転入生で。
破壊神の仇敵で。
ちょっと待て。これじゃ、整理する前と変わらない。
考えるポイントが、違うのだ。
的外れな考察をしている。
予感はある。
そう、おかしい。
鍵は、そこに見えているはずなのに。
……何だ?