1259 破壊活動独占禁止法
手をこまぬいていると、金曜も終わってしまった。午前授業だから早い早い。休日までカウントダウン。わたしはクラスメイトに別れを告げて教室をあとにする。
早明浦が邪魔で学校にも身が入らないし、休みには早明浦の監視から解放される。お休み、万歳。最高の休暇を送ってやるぜ!
「萩山さん」
ダダダーン。
……ものものしいピアノの音が。時代遅れの効果音だなあ。
ってか、あっぶねえ、階段踏みはずすとこだったぜ。
ふう。
「驚かせちゃったかな。今帰り?」
人影はわたしを自発的階段落下フリースタイルにおとしいれようとした挙げ句、謝りもせずわたしのそばに来た。
小憎らしい。何をナチュラルにしゃべりはじめてやがる。
わたしは無言でうなずいてそっぽを向き、踊り場をまがって階段をさらにおりる。早明浦はなぜか横につけてきた。
裁判官がみずから動くんじゃねえよ。捜査か。宗旨替えか。刑事か検事に転身したのか。
証拠あつめを密着型に切りかえたのだろうか。早明浦は何も言わず、わたしの隣を歩いている。
最悪の週末の幕開けだ。
わたしは憂鬱になった。
なんでだよ、と思う。
おまえはわたしを監視するだけ、わたしは全体を傍観するだけ。お互いあい接することなく、あのころはしあわせだったじゃないか。
「下駄箱、行かないの?」
二階で廊下に出ると、早明浦は不思議そうに聞いてきた。わたしは目でうなずき、足をとめた早明浦を置きざりにする。
「どこ行くの?」
できなかった。
「販売」
「販売? そんなのあるんだ。どこにあるの?」
どうせついてくるんだろうに。うう、憎々しい。
そこの廊下の真ん中辺だよ、朝と昼と放課後やってるよ! とか言ったら、満足して帰ってくんないかな。
くれないだろうなあ。
「そこ」
顎をしゃくる。早明浦の反応はない。
この野郎。
販売スペースに入り、算数用の方眼ノートをえらんだ。うっかり買い忘れていたのだ。
「あれ、可炒ちゃん」
うえっ。
「……早明浦くんも。いらっしゃい」
わが身の不幸よ。
カウンターの中に、谷川百合江が立っていた。ああ、販売委員になってたのか。そうなのか。そういえばそうだったかもしれない。これはお客さまの個人情報に関する守秘義務にあたらないものでしょうかね。
「百三十円です」
事務的なことしか言わないが、何度もひやかしの早明浦に視線をやっている。
あんなの影だよ、実体なんかないよ。わたしのこと見てるふうに見えるのも、目のまわりが暗いから黒目がどこ向いてるかわかんないからなんだよ。
と、言いたい。
でも言えない。プライドと道徳の問題で。
「二十円のお返しです。ありがとうございました」
おつりとノートを受けとり、ばいばい、と手を振ると、谷川はほほえんで手を振り返してくれた。
身をひるがえしながら、わたしは言いしれぬおそれをいだいた。こわいこわい。彼女はこわい。かっちり女らしいところが、忌みさける気にさせる。
「ここでやってるんだ」
ちゃっかり後ろにつけた黒影が、転入生ぶった感想をのべる。わたしはコメントしなかった。
すぐ近くの階段をおりて、昇降口前に出る。上履きから下足にかえ、校門をめざす。
どれだけ手ばやく動作をすませても、早明浦はそこらの女子のようには遅れをとらなかった。
わたしはなんだかどうでもいいのと、冷静なのと、変わらず鬱々とした気分をかかえた。
快晴だ。
足音はほぼ聞こえないが、目のはしに影がちらついた。
「なんでついてくるの?」
わたしはそっちを見ないで聞いた。
感情をこめない、ニュートラルな発音を心がけた。
「だめ?」
……絶句。
この際、泣きだしてしまえればよかった。
むっつり歩く。歩道に入ると、早明浦は横に来る。
「まっすぐ帰るの?」
調子が……狂うっていうか。
こたえていいのかなあ、この質問は。
「ううん。買い物してく」
「どこで?」
「あっちのスーパー」
「ぼくも行っていい?」
「好きにすれば」
スーパーは、わたしの家じゃない。
母親にたのまれた食料と雑貨を買い、袋につめ、店を出た。持つよ、と早明浦が言うので、重い方をあえてまかせた。使えるものは敵でも使え。
かるい袋をぶらさげて歩いた。
何か、しゃべってもいい気分になってきた。
一つには、わたしに非がないのを思い出したからである。
悪魔呼ばわりされた以外、早明浦にうらみはない。悪魔よばわりも、理由がないことであるから、これ以上黙っているのも少々不自然だった。
「早明浦くんさ」
家がこっちなの、とは聞かない。知るか。
適当にうちの近くまで持たせて、家がわれない場所で追いやるつもりである。
「わたしのこと見てた?」
「うん」
あっさり肯定した。
わたしはにわかに腕や背に生じたむずがゆさをこらえた。
「……なんで?」
ほかに聞きようがない。
早明浦は無表情だった。よく見れば目が大きい。そのせいなのか、表情がとぼしくても、冷たくもかたくも見えなかった。
何を考えているのか、ちっともわからん。
「萩山さんの鬼神としての行動を、観察してたから」
また言った。
意味がわかる今、若干の緊張はおさえられなかった。
そんな、のろいのようなことを、くりかえさないでほしい。
「萩山さんは、関係を壊すんだね」
――たしかめたような口ぶりだ。
「何のこと?」
芸もないが、ここはオーソドックスに返した。
「沢西さんと、谷山さん。それに、沢西さんと松本くんのことだよ」
簡にして要を得た回答。
わたしは内心、感心した。
「吉田くんは対象にしないんだね。それがちょっと不思議に思った。五年生で一度壊したからかな。松本くんと吉田くん。壊す対象としては、絶好の関係なのに」
影はなめらかに語る。顔面同様、感情にかけた、つかみどころのない音声で。
「吉田くんを保護している? 吉田くんに気があるのかな」
挑発だろうか? でも、興奮するべきじゃない。
自然な態度。自然な反応。
かわすのだ。
見くびられても、かまわない。
「色々、考えるんだね」
感嘆。
しまった。
なめられるつもりが、上から目線になってしまった。
口をとじ、早明浦はじっとわたしを見る。わたしは早明浦にぶつからないかと気がねするのをやめ、買い物袋をさげる手を持ちかえる。
「観察は、まだ続けるの?」
とにかく、これを優先して確認しよう。
早明浦はなおもわたしを見つめ、つと、口の端に笑みをのせた。
「うん。多少はね。まだ興味ぶかいから」
「すこし、まわりをはばかってくれない。皆がさわぐから」
「善処するよ」
「よろしく」
「萩山さん」
なに、とわたしは早明浦を見返した。
「松本くんと吉田くん、ぼくが壊してもいい?」
わたしは――言葉につまった。
身におぼえのないことで、許可をもとめられてもこまる。
吉田くんは、復帰したてだ。
「吉田くんと、仲いいんじゃないの?」
「だからこそ壊しやすいじゃない。破壊は、萩山さんの専売特許じゃないよ」
面くらう。
わたしは顔をしかめた。
「……なんだか知らないけど、陰険なのは、好きじゃないな。あと、わたしに聞くのはスジ違いだと思う。わたしに責任を問わないでね。早明浦くんは、一人で決めて、決めたとおりにすればいい」
立ちどまっていた。
塀に挟まれた住宅街の小道。
そこのカドを西におれれば、三軒目がうちだ。
つねに逆光をあびているような、人影、早明浦は、何やら満足そうだった。
「綺麗な理屈だ。本当に、評判どおりだね。萩山さん」
ここでいいよ、とわたしが言うと、早明浦は荷物をわたしに差し出す。
「あのアダ名で、呼んでくれないの? 何日ぶりか、二人きりなのに」
――気色悪い。
わたしが凝り固まっていると、じゃあね、と一言、早明浦は路地の奥へ消えていった。
…………。
……気に入ったのか?
あの、舌足らずなヒツジの鳴き声みたいな仇名が。
ええと……。
考えるより先に、うちに帰って、頭をひやそう。