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黄昏の女神たち  作者: AF
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1106 裁きの目




 朝、教室に入ってみると、谷川が有巣(ありす)と話をしていた。有巣は座席に腰かけて、谷川はそのかたわらに立って。


 わたしは二人の横を通り、有巣の前の自分の席についた。

 挨拶を交わし、場所も近いことで、なりゆき二人の会話にくわわる格好になる。


 谷川へ、短い夢だったね、と言うのはひどいかな。

 わたしはそれとなく、教室の後方、沢西が松本くんや類友(ルイトモ)たちにじゃれている風景を見やった。

 テキセツなヒョウゲンをさがした。


「あっという間にもとどおりだね」


 つぶやくように言うと、谷川は顔をこわばらせた。

 わたしは気づかうように見上げる。

 谷川は泣きそうな表情で、うん、とこたえた。


百合江(ゆりえ)ちゃん……」


 有巣の心配そうな声。

 谷川はわたしに向かって言う。感情をおさえた、しずかな口調で。


「でも、いいの。松本くんがやさしいのは、知ってるから」


 歯がうわつくような感触を、わたしはばれないように噛み殺す。


「松本くんはね、あかねちゃんだけじゃなくって、吉田くんにも、気をつかったのよ。吉田くんが、松本くんとあかねちゃんが別れたことに、責任を感じないようにって……」


 悲劇のヒロインの余韻に、わたしはひたるつもりなどない。

 さとるのは、違和感。


 こんなに割りきれた性格だったか?


 切り替えが速すぎる。ほんとに割りきれた人間が、片恋(かたこい)相手をとられたどうのでぐずぐず騒ぐまい。

 不自然に思って、わたしは聞いてみた。

 気づかわしげなおもむきをつくるのも、忘れずに。


「それ、松本くんが言ったの?」


 ううん、と谷川はかぶりを振った。

 たまたま、聞いたの、と。

 言った。


「昨日ね、午前中に、松本くんと吉田くんがしゃべってたの。トイレの近くで、ほんとに、聞こえてきちゃっただけなんだけど。松本くんが、部活もあるし、しかたなかったんだって言ったら、でも、松本くんと沢西さんが別れちゃったら、吉田くんも責任を感じちゃうだろうって」

「それ、誰が言ったの?」


 わたしは低い声でたずねた。


 谷川の話では、今のところ松本くんと吉田くんしか出てきていない。

 しかし最後のセリフは、どう考えても、どちらのものでもないだろう。


 谷川は目を見開いて、


早明(さめ)(うら)くん」


 ――必中(ひっちゅう)


 谷川は、無理矢理っぽくほほえんだ。


「だから、いいんだ。このままで。わたしの気持ちに、変わりはないから」


 ドラマに出てくる、けなげな女キャラクターの顔だ。


「元気出してね、谷川さん」


 白々しい言葉をかけると、谷川はうなずいた。


「百合江でいいよ。可炒(かいり)ちゃん」


 わたしに呼ばせると万人呼び捨てますけど。


 まだその段階じゃない気がするんだよな、と思っていると、有巣が谷川と別の話を始めた。わたしは会話をところどころ聞き、きれいに掃除された黒板をながめた。


 ついさっき生じた確信を、頭の中でなでまわす。


 全部、早明浦のせいじゃねえか。






 学校生活の中で、不自然な行動は、何一つしていない。

 だが、破壊活動の目標が二件達成されたのち、ことごとく早明浦の手によって修繕されたのだ。早明浦の存在を意識しないわけにはゆかず、わたしは日ごろの自然な動作すら、つつしみぶかくなりそうであった。


 潜伏期間をおくのは、悪い案ではない。わたしの趣味じゃあないが、おろかな案とも言いきれない。そもそも早明浦は、最初に言葉を交わしたときから、わたしにとってはただの転入生でなかった。


 正体は、まだわからない。向こうはこっちの正体に勝手なアタリをつけているようだけど。


 わたしは淡々と日課をこなした。たびたび、背中に視線を感じた気がしたが、用がないのでかえりみなかった。自意識過剰。そうでなかったら無視である。


 もとより、わたしの破壊活動は、飛んで火に寄ってくる夏の虫がないかぎり始まらない。

 今日の六年二組は、昨日までの騒動を腹の底に押しこめ、なまぬるい(まく)のようなもとの姿をえがこうとつとめている。


 それにしても、心中おだやかでない。気のせいとは思っているが、片や一番後ろの席、片や最前列である。相手に背を見せつづけなければならないのがなんともいまいましい。

 早く席替えをすればいいのにと思いながら、しきりに居住まいをただしてしまった。あきらかに動揺している。


 しっかり、わたし。熱視線でストレスを与えて学校に来れなくする算段か。やるな、敵め。おまえが休め。


 算数の授業中、有巣に呼ばれて後ろを向くと、はちあわせた顔があった。

 ……早明浦だ。今回ばかりは奴にもスキがあったと見え、わたしと目があうとあわただしく机上へうつむいた。


 なんだよ、一体。ご苦労なこって。


 有巣の質問に応じ、わたしはノートに指をのせて解説する。先生は、皆の席の合間をぬって、状況をたしかめつつ放浪中だ。


「あ、あ、そっかー」


 有巣の得心(とくしん)をしおに、わたしは顔をあげて室内を一望した。


 さすらいの柴崎先生は、向こう隣で立ちどまっている。これでいいんだよね、と言う有巣に、ふたたび目線をくれると、またしても黒い影が目についた。


 有巣のノートの文字を目で追ってから、早明浦を観察する。今度は奴ははずかしげもなく、こっちに視線を固定して動かさない。


 ――有巣を見てるのか?


 ふと、そう思った。

 せかせかとシャーペンの芯をかえている有巣の、ちょっと天パの肩までの髪を、最後尾の影と見比べる。


 だとしたら、どうだろう。早明浦が有巣のことを好きで、こんないたたまれない情熱を注いでいる。

 わたしは早明浦の弱味をにぎれることになる。


 だが確証はない。こりゃ使えないな。却下。


 早明浦を見ると、黒い両目がまっすぐ前にあった。

 あわせても一向にそらさない。


 ……みはっているのか。


 なんとなく、合点がいった。


 早明浦は、有巣がわたしに情報をもたらしているのに感づいているのかもしれない。

 有巣がわたしとどんな会話をするか。わたしが有巣以外からどんな情報を得るか。

 そこをおさえるだけで、わたしの監視は容易になる。


 早明浦は、わかっているのだ。

 わたしは暗い気持ちをいだいた。


 先生が教卓に戻る。わたしは前に向き直るおり、冷たい一瞥(いちべつ)を後ろになげる。


 ふざけるなよ、転入生。

 いつかおまえを壊す日が来る。






 まあ、とにかくなにもかもあからさまだったので、同じ部屋で暮らす皆が気づかないわけがなかった。


「早明浦くんってさ、いっつも可炒ちゃんのこと見てるよね」


 図工の時間、遥子(ようこ)と一緒にやってきた女子が話しかけてきた。伊福部(いふくべ)……だっけ? 福っちとか福ちゃんとか呼ばれている。名前何だっけ。


 今日は天気がよく、皆で画板をひっさげて近所の公園まで来て、スケッチだ。お題は《春だなあと思ったものを》。漠然(ばくぜん)としまくりだが自由度が高い。こういう課題は、わりあい好きだ。


 福さんは遥子と二人、わたしの反応待ちでいかにも興味津々(しんしん)だ。

 ひとまず、そらッとぼけてみた。


「え、わたし? 有巣を見てるんじゃないの?」

「え、え、何言ってるの。わたしじゃないよー」


 そばにいた有巣がおおあわてで否定。

 そんなにあせんなくても。うぬぼれてもいい場面だぞ、ここは。


 わたしは周囲を見回した。先生が見えるところでかきなさいという指示が出ていた。


 先生より左手、先生を中心に約百度の角、わたしたちよりは中心に近いところで、早明浦は吉田くんらとかたまって座っている。

 顔をあげ、わたしと目があうと、ふいと視線をそらした。


「ほら、また」


 福さんが言う。


 それより下の名前なんだっけ、伊福部さん……。


「有巣じゃない?」

「可炒だと思う。有巣ちゃんがいないときでも見てるよ、早明浦くん」


 遥子はやわらかく笑った。


 ああ、言い(のが)れしづらい。ずるいよ、遥子。ステキだなあ。


「絶対、可炒ちゃんが好きだよね」


 言うのは伊福部さん。

 またまた。世の皆さまお得意の断定である。

 わたしはなるべく()()なくこたえた。


「違うよ、きっと」

「えー。そんなにいやがんなくても」


 福さんには悪いが(名前を思い出せなくて)、わたしは押し問答を切り上げた。

 えがこうとしたポイントを見つめる。ベンチと、葉が生えだしたアジサイの株がある公園のすみっこだ。さっきまでそこに散歩中らしきおじいさんが腰かけてひなたぼっこしていた。お邪魔して申しわけない。


 有巣は草むらに向かって座り、薄むらさきの名も知らない花に悪戦苦闘している。有巣はわたしのマネをしたり、とやかく口出ししたりしない。その点、気がくさくさしなくてたすかった。


 はじめから何かをかきうつしていた遥子はもちろん、伊福部さんも遥子と同じ方向を見て絵をかきはじめた。


 わたしは音をたてないようにため息した。


 やかましい。

 福さんがというより、まとわりつく早明浦の視線が。

 それにまつわるもろもろが。


 ここ三日、始終見られている。


 女子たちの噂のまとになるのも作戦の一環だとすれば、早明浦もたいしたものだ。四面(しめん)ストレッサー。ただしもろはのつるぎである。


 学校にいるあいだ中、わたしは早明浦の監視下にあった。正直いって、気持ち悪い。腹立たしい。うっとうしい。けがらわしい。連日注視されつづけて、女子らが取り沙汰しはじめたのがやっとこさ今日なのは、敵の影があまりにも薄いことの(しょう)()である。ていうか影そのものみたいな奴なのだ。タチが悪い。


 六年二組は、今はまだ人間関係形成の段階で、棲み分けが決まるまでもうちょっと時間がかかる。

 そのあいだ、わたしは個々人のクセや性格を把握し、傾向と対策をねっておく。


 沢西、谷川その他その他の渡りに船ならぬ船があったから渡っちゃいました的ケースは、あっておかしいわけではないが、頻繁にあるものじゃない。


 つぎの活動は、しばしおあずけだ。


「可炒ちゃん」


 ささやくような小声。

 わたしは画用紙から顔をあげ、有巣を振り向いた。


「気にしてる? 早明浦くんのこと……」


 心底、懸念がある顔つきである。

 どうかしたんだろうか。


「別に」

「ほんと?」


 いや、ものっすごい気になってるけどね。


「うん」


 (あご)をひく。


「そっか」


 つぶやいて、有巣はほっとしたようだった。


 気にならないわけもなし、気にしないわけにもゆくまい。わたしは画板に目をおとし、行ってしまったおじいさんを思いえがいた。


 早明浦は監視だけするのではない。


 わたしが壊したものを直し、壊れる前の状態にかえした。

 わたしを悪魔と名づけ、わたしのやりかたに気づいている。


 ばれているのだ、早明浦には。

 ただ、証拠がない。それだけのこと。


 枯れ枝みたいなアジサイの茎。


 彼は裁判官だろうか?

 正義の鉄槌を振りかざし、判決を言いわたすのか。

 彼が悪魔と断じた者に。


 はてさて、わたしは。

 どうあるべきかな。




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