転生。
── 魔王城 デスペア
膨大なる絶望と無限の闇で造られた城。
この城には人間が立ち入る事は愚か、魔物など闇に属する者ですら不可能とされている。
城の主である魔王 コシュマールは圧倒的強さを持つものの、信頼に足る者以外は忌避している。それに関しては彼の過去が関係しているのだが、今は置いておく。
コシュマールの容姿は、大きく立派な黒い角が生えておりそれを覆うかのように、しっかりとした深い紫の肩にかかるほどの髪の毛が生えている。紅い瞳と褐色の肌に長い爪、極めつけはトカゲの如く立派な尻尾である。上半身には黒いインナーの様なシャツのみで、下半身には漆黒の西洋甲冑によく似た甲冑を身に付けており、その上から縁を金であしらったローブを肩にかけている。
城の一室、コシュマールの自室にてそれは起こった。
薄暗く、然し完全な闇ではない部屋は広く、部屋の奥には天蓋の付いた寝具もある。その部屋の中央に大きな棺桶が置かれている。当然、インテリアの類では無い。コシュマール自身が用意したものだ。
棺桶の中には一体の悪魔が眠っていた。
その姿は漆黒の髪を持ち、前髪はその顔の半分程を覆う程長く襟足は短い。肌は驚く程に白く、耳はエルフのように尖っている。また、細かく、然し鋭い牙を有しており、おまけに大きな尻尾を生やしている。身長は恐らく180cm程だろう、程よい筋肉を持ち合わせているようだ。
コシュマールが呪文を唱えると、棺桶の下にそれを上回る程の大きな魔法陣が広がり、辺りが光に包まれる。流石の眩しさに彼は目を瞑ると、再び開く。暫く棺桶の中身を観察するが、特に変化は見られない。
「…、また失敗か。」
小さく呟くとコシュマールは近くのソファへと腰掛けた。大分前に世話係に用意させた水はとうに温くなっており、喉を下る感覚は実に不愉快そのもの。
溜息を吐きながら頭を抱える彼の傍らで、棺桶の中身は静かに目を覚ました。
── 静寂。悪魔が目を開けると広がるのは薄暗い天井と静寂だった。
身に覚えのない天井に狭い箱のようなものに押し込まれた感覚、何一つ理解が追いつかない悪魔は何とかそこから出ようと藻掻く。然し、どういう訳か身体が上手く動かない。
助けを求めるべく声を出そうにも、それすらままならない。そうしている内に、溜息の音が彼の耳へと届き耳を澄ませる。どうやらこの空間には何者かがいるようだ。スッと息を潜めて様子を伺うが、それ以降にこの空間への大きな変化はない。
(ここは一体……、それにこの状況。どうなってるんだ?)
悪魔は身を捩り、この箱を動かす事で溜息の主の意識を此方へ向かす事とした。然し悪魔は自分を悪魔だと知り得ておらず、身を捩ったことで覗いた己の尻尾にただならぬ恐怖を覚えた。
そう、彼は前世の記憶がある。前世はサラリーマンで、リストラされて自ら命を捨てたのだ。そして生前の世界では、この様な異形の尻尾を持つ者は存在しなかった。否、空想上の生き物にはこの様な尻尾を持つものがいた事を知っているのだが。
どうやら自分が謎の生物として生まれ変わった、そう理解した彼は焦りと恐怖で心を満たし始めていた。
その時、コシュマールが棺桶を仕舞おうと中を覗いた。悪魔と魔王は目を合わせる。悪魔の瞳は蒼く、魔王の瞳は紅く光っていた。
「…成功、したのか……?」
悪魔は禍々しいオーラを感じ取ると、何度も口を開閉しては目の前の魔王へと視線を送った。
「おい、意識はあるか。」
コシュマールが悪魔へと言葉を投げ掛ける。実はこの悪魔、コシュマールがとある目的で生み出したものなのだ。
目的の為には意思疎通が可能でなくてはならない為、確認する様に悪魔を見詰める。
「……ぁ、」
「あ?」
「……、あ、る。」
「おお!そうか、あるのか。ご苦労。」
コシュマールの確認に震えた声で何とか回答を捻り出すと、悪魔は再び眠りに落ちた。
悪魔を棺桶から抱き上げると自らのベッドへと置き、コシュマールは棺桶を片付ける。片付け終えたところで部屋のドアを叩く者がおり、招き入れた。
部屋に訪ねてきたのは、魔王 コシュマールの世話係、スライムのビズである。晩餐が出来たと報告に来たようだった。
「今日は自室で摂りたい。持って来い。あと、お湯とタオルもな。」
「畏まりました。お湯は桶に入れて参りましょうか?」
「ああ、そうしてくれ。」
「承知致しました。少々お待ちを。」
やり取りを済ませるとビズは部屋を後にした。コシュマールは再びベッドの方へと向かう。
相変わらず眠っている悪魔の鼻を摘んだ。
息苦しさから悪魔は目を覚ましてその手を払う。すると、その身に電流のようなものが走りくぐもった声が漏れる。その様を観察していたコシュマールは思わず笑い、悪魔の右頬を軽く叩いた。
「ッ、痛……っ!」
「ふむ。痛覚も備わっているか。」
「は、ぁ?」
「言葉も理解し、自らの意思で動く事も可能という事だな。なるほど。」
「何の、話だ……。」
悪魔は目の前の男が何を言っているのか全く解らず、首を傾げるばかりだ。それに反して、魔王は自分の子とも言えるそれに感動しているようだった。
「ああ、貴様は自らを理解していないようだな。良いだろう、教えてやる。」
どこか上から目線に語る姿は非常に腹立たしいが、何故か逆らう気が起きないのが不思議なものである。
そんな悪魔の様子を無視してコシュマールは彼に説明を始めた。
「貴様を生み出したのは、この私だ。私は魔王 コシュマール。魔王として絶対的な力を持つ者だ。」
「ま、…おう?」
「ああそうだ。然しながら私に従わない者も多くてな……それらの監視係として貴様を作ったのだ。」
「監視係……?俺が?」
「そう何度も言わせるな。私は魔王だが、前魔王と “ いざこざ ” があってな、貴様には反対勢力である前魔王派の者達を監視し粛清して欲しいと考えている。」
「……ちょっと待て、色々と頭が追い付かない。」
悪魔は魔王の言葉に耳を傾け、戦慄した。自分の身の上に恐怖からか、背中を冷や汗が伝う。
その時、この部屋にノックの音が転がった。
ビズが晩餐とお湯を持ってきたのだ。コシュマールは先程まで棺桶が置いてあった、部屋の中央にあるテーブルにそれらを置くように指示を出すとビズを追い出した。
コシュマールはテーブルから湯の入った桶とタオルを持ちベッドへと戻ってくる。桶の湯にタオルを浸け、きっちりと絞る。そして、服を着ていない悪魔の身体を丁寧に拭き始めた。
(いや、どんな状況だよコレ!)
悪魔は脳内でツッコミながらも自らを労わる様な相手に戸惑いを感じていた。魔王にしては優しい手付きに恐怖の念は徐々に薄れ始める。
一通り拭き終えるとコシュマールは満足気に頷いて湯桶とタオルをテーブルへと戻しに向かう。その様子を悪魔は眺めながら、現状をおさらいする。
この男は魔王、自分は悪魔。サラリーマンから異世界に転生し悪魔となった。更には魔王の反対勢力を粛清しなくてはならないらしい。
思わず溜息が零れそうになるのを堪えると、悪魔はこの状況を何となく飲み込み、改めて理解した。
(逆らえば殺されるんだろうか……。)
一つの考えが浮かぶと途端に恐怖が蘇る。幾ら優しいとは言え、今の所優しいだけであり、本質は分からない。
それ以前に、現状を考えると前世よりも遥かに過酷である事は間違いないと言える。前世の地獄など地獄では無かった。そんな思案を巡らせていれば、魔王がベッドへと戻ってくる。
そして、悪魔へと両腕を伸ばして来るので悪魔は両目を思わず瞑るも刹那、自分の身体が宙に浮いた。否、魔王が抱き上げたのである。
(いやだから、どんな状況だよコレ!?)
再度ツッコミを果たすと、彼の腕から逃れる様に暴れた。然し魔王の腕の力は強く、ビクともしない。おまけに再び全身に電流が流れるような衝撃が走る。やがて部屋の中央に来るとソファに投げ出された。
「…あまり手間をかけさせるなよ、悪魔。大人しくしておけ。」
「……く、はぁ。」
先程よりも強く走った痺れに息を切らしていると、悪魔の頭に魔王が右手を乗せて何やら呪文を垂れる。
その瞬間、痺れはなくなり先程までよりも気分が良くなった。
「良いか、貴様は私の支配下にある。私の意に反する行いをすればペナルティが発生するのだ。今のようにな。」
「ペ、ペナルティ…。今のが…。」
「自業自得ではあるが、今のはこちらの説明不足だったのでな。一先ず回復魔法を使わせてもらった。使いたくは無かったがな。」
「回復魔法……、え、と…ありがとう、ございます。」
「うむ、気にするな。それで?起き上がれるか?」
「…ッ、は、はい!」
全く起き上がれなかった身体が嘘のように軽く、ソファに凭れていた身体を起こすと立ち上がった。大きな声のおまけ付きである。
その様子を見て楽しげに笑うと、魔王は彼に座れと人差し指で示した。すると身体が勝手にソファへと座し、尻もちをつく形となった。悪魔は頭にクエスチョンマークを浮かべては首を傾げる。
「ふふ、今のは私の指示に身体が従ったのだ。貴様は私の下僕……すなわち、私が指示を出せば身体が勝手に動くというわけだ。凄いだろう。」
「え、えー……。」
(何その褒め待ちな感じ…凄いけど、迷惑なんですけど!?)
悪魔が動揺していると大皿を差し出される。そこには多くの肉と肉、肉が乗っており、非常に腹の音を誘惑する香りが漂っている。その料理と魔王の顔を交互に見遣ると、魔王はまたおかしげに笑った。
「食え、私はもう肉は食い飽きた。」
「……い、いただきます。」
いまいち掴めない男に困惑しつつも、悪魔はその料理を口に運ぶ。いわゆる焼いただけの肉のようで素材本来の味を楽しむ感じである。これだけの肉、慣れない食事でもあり味の善し悪しは付け難い。然し柔らかく、食べやすいそれをどんどん胃袋へと収めていく。
「口に合ったようで何よりだ。さて、それを食べ終えたらそこに掛けてある服を着てくれ。」
「むぐ…は、はい。」
「私は所用がある為、少しだけ部屋を空ける。間違っても外には出るな。緊急事態が発生した際は、通信魔法を使って知らせろ。」
「はい…つ、通信魔法?」
「ん?知らないのか?」
「し、知りません…。」
「そうか…、頭の中で『コネクト』と念じた後に俺の事を思い浮かべろ。」
「こね……え、あ、はい!」
悪魔が言われた通りにすると、脳内に魔王の声が響いた。どうやら、通信魔法とやらが使えたようだ。ホッと胸を撫で下ろす悪魔に魔王がそのまま伝える。
『この魔法は遠くに離れていても会話が出来る魔法だ。無駄遣いはするなよ、魔力は多少なりとも消費するのだからな。』
『はい、分かりました。』
『良いぞ。それでは、何かあればこれを使うように。』
脳内でやり取りをすると、その言葉を残し魔王は部屋を出ていく。それを見送ると残りの肉を食べ進め、置いてあった水を飲む。温い水に思わず溜息が漏れた。
改めて広く薄暗い部屋を見回すと、彼の生活環境が見て取れる。金銭面、力、全てにおいて余裕がありそうだ。自分とは真逆である。
そんな魔王も反乱分子には手を焼いている様子。力も何も無い、作られた存在である自分にどうこうできるものかともう一度溜息を吐く。
── どうやら自分は、更なる地獄へ来てしまったようだ。
この様な所まで閲覧頂き、ありがとうございます。
いかがでしたでしょうか?
拙い文章でお恥ずかしい限りです。
一応補足のようなものを失礼します。
魔王 コシュマールは悪魔に対して自らの子供だと思っている節があります。しかし、下僕として作った為不用意に甘やかしてはいけないという思いもあり、迷走している段階です。
また、悪魔は自分の立場と状況に対応しきれておらず、面倒臭い奴になってます。
どちらも今後の展開で色々と変化していく予定です。
何はともあれ、この度は読んでいただきありがとうございました。