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十四話

 瑠と爽花の一人息子、玲也れいやは、目の大きな男の子だった。とは言ってもまだ赤ん坊のため、これからどう成長していくのかはわからない。アリアによると「にこにこ笑っているのは慧にそっくり。すやすやとよく眠るのは瑠にそっくり」らしい。

「とにかく慧は泣き虫で、夜泣きが大変だったわ。でも瑠は一度寝たら朝までずっと起きない子で、赤ちゃんの時からすでに正反対だったわね」

「へえ……。俺って泣き虫だったんだ」

 少し意外そうな口調で慧が言うと、アリアは大きく頷いた。

「もう、早く泣き止んでって、私が泣きたかったわよ。大きくなっても泣き虫さんかしらって心配してたけど、にっこり笑う性格になってよかったわ」

「正反対ってことは、瑠は困らない赤ちゃんだったんですね」

 すぐに爽花も言うとアリアは目を丸くした。緊張しているのか、ちらりと瑠の方に視線を向けて、こっそりと息を吐いてから答えた。

「いいえ。むしろ瑠の方が大変だったわよ。夜泣きはしないしすぐに眠ってくれるけど、ものすごく寂しがり屋で……。あまりミルクも飲んでくれないし。一番は必ず誰かに触れていないと不安になること。お散歩も、慧はベビーカーでもいいけど瑠はいつも抱っこだったわ。瑠はきっと大人になっても親離れできないわねって、それが心配な子だったわよ。ママが大好きすぎちゃって……」

 瑠だけではなく、爽花も慧も驚いて言葉に詰まっている状態だった。

「瑠が……寂しがり屋?」

 掠れた声でようやく慧が呟いた。しっかりと頷きアリアはまた話した。

「だから、瑠が独りぼっちで過ごしてるなんて知ってショックで立ち直れなかった。友だちもいないなんて……。瑠だけでもここに連れてこようと悩んだけど、もしそうしたら慧を裏切るみたいじゃない。かといって瑠と慧二人を育てる余裕なんてない。やっぱり無理にでもフランスでママをすればよかった。ようやくアメリカにやって来たら、私は母さんって呼ばれない母親になっていて……」

 アリアの声は弱々しく震えていた。後悔の念と悲しい気持ちが胸いっぱいに溢れているようだ。逆に爽花は勢いよく瑠に聞いた。

「でも、もうアリアさんをお母さんだって思ってるんでしょ?」

 はっと瑠も目を大きくした。慧も視線を向けてきた。

「育ててはいないけど産んだのはアリアさんなんだから。いつも遠くから瑠を愛してたんだよ? 子供を産むのがどれほど辛いのか、あたしも経験したけど、本当に本当に痛くて怖かったよ。頑張って産んでくれたアリアさんをお母さんって思わないのは酷すぎだよ」

 ここまで言われては反論できない。母さんと呼べる勇気はなかったが微かに頷くと、ぱっとアリアは明るい顔になった。

「私を……母親だと認めてくれるの……?」

 直接聞かれ、もう一度頷いた。嬉しいのか、アリアはぎゅっと抱き締めた。

「ごめんね。ちゃんとそばにいて育ててあげられなくて……。寂しい思いさせて……。本当にごめんね……」

 アリアの肌は、とても懐かしく感じた。先ほど話した通り、瑠はずっと抱っこをされて可愛がられていたのだ。母親が子供に注ぐ愛情は計り知れない。爽花と同じく、アリアの愛も瑠の胸を暖かくした。

 爽花が大声を出したからか、玲也が起きてしまった。お腹が空いたのかと慌てて爽花はミルクを飲ませた。

 爽花のためにできることは何か考え、玲也のおむつや風呂などは瑠が行った。爽花が疲れている日は散歩にも連れて行き、近所からは「とても素敵なイクメンさん」と有名になった。爽花は羨望の眼差しを毎日向けられ、さらに瑠を大事に思い、父と母の熱い愛は玲也にも影響されていく。成長していく我が子をデッサンし、瑠は玲也の絵ばかり描いた。やはりフランスで人物画の勉強をしておいて正解だったと改めて考えた。長身の瑠に抱かれると遠くまで見渡せられるため、玲也は何度も高い高いをせがんだ。ほとんど子供と触れ合うのは瑠で、もちろん爽花も面倒を見たがそばにいる時間が多いのは瑠の方だった。瑠が父親らしくなってきたので、爽花も瑠を「お父さん」や「パパ」と呼ぶようになった。慧も「父さん」と呼び方を変えた。双子だから一緒だと慧も抱っこをして高い高いをしてあげたが、なぜかあまり楽しそうな顔をしなかった。

「何で俺は喜ばないんだろう? やっぱり父さんの方がいいのかよ。俺も一応、叔父なんだぞ」

 悔しげだが、やはり父親と叔父では愛情の深さは違うのかもしれない。しかし嫉妬をしている態度は全くなく、ただ単に残念がっているだけだ。もう爽花を奪われたという妬みは消え失せているとしっかりと伝わり、ほっと安心した。子供に、父親と叔父がぎくしゃくして仲が良くないという事実は見せたくない。過去の出来事も何もかも教えたくはなかった。自分が孤独だったことも、また今でも少し孤独な想いに駆られるということも、決して悟られないように気を付けようと無意識に考えていた。玲也には孤独という言葉も、その意味も聞かせたくない。

 子供はいつの間にか大きくなるというのは本当で、玲也が立って、歩き、話をするのはすぐだった。一番最初に覚えたのは「パパ」だった。

「もしかしたらお父さん子になるかもね」

 爽花が期待する口調で言い、やっと自分でも父親になったという気が生まれた。

「ねえ、僕ね、パパが大好きなんだあ。パパも僕が大好き?」

 毎日、繰り返し聞いてきた。優しく抱き締め、「大好きだよ」と答えてあげた。

「じゃあ、ママは大好き?」

「ママも大好きだよ」

「慧ちゃんも?」

「慧ちゃん? ……ああ、慧ちゃんも大好きだ」

 まだ若いのに「おじさん」と呼ばれたくないから、慧は「慧ちゃんと呼んでね」と玲也に伝えたようだ。慧ならやりそうなことだと、ふと感じた。

「みーんな大好きなんだね。うふふっ。ママにも聞いてくる」

 そう言って、玲也は太陽のように輝く笑顔で爽花のいるキッチンに向かって走った。我が子の可愛い声や仕草に、瑠もじんわりと胸が暖かくなった。

 幼いからか、どんなものにも好奇心旺盛で、ある日アトリエに行くと描きかけのキャンバスが汚れていた。小さな手形があり玲也がいたずらをしたとはっきりわかった。甘やかし過ぎるのはよくないと爽花と決めていたため、玲也の部屋に大股で向かった。

「玲也、お父さんのアトリエに入っただろう」

「えっ?」

「お父さんの絵にいたずらしただろう。どうしてそんなことをしたんだ?」

 さっと玲也は顔を青くし、怯えて首を横に振った。

「そ……そんな……。い、いたずらなんかしてないよ、僕」

「嘘つくんじゃない。お父さんはわかってるんだぞ」

「違うもん。僕やってないもん。ママに、パパのアトリエには入っちゃだめって言われてるから……」

 もごもごと呟く玲也の頭をぽこんっと軽く叩いた。せっかく描いた絵を汚されたから怒っているのではなく、悪いことをしたのに黙っていたことに怒っているのだ。うえ~んと泣いて玲也は爽花の元に走って行った。こうするのも父親の仕事だ。正しい人間にするべく厳しいこともしなくてはいけない。

 汚れたキャンバスを片付けているとアトリエのドアが叩かれた。開くと玲也が俯いて立っていた。

「パパ……。さっきごめんね。汚したの僕だよ。ママにもいたずらしちゃだめって怒られたんだ。パパに謝ってきなさいって……。ごめんなさい……」

 きちんと話した玲也に、ふっと笑みが生まれた。ぎゅっと抱き締めて「もうするんじゃないぞ」と答えた。



「キャンバス、汚されちゃったらしいね」

 玲也が眠ってから爽花が聞いてきた。素直に頷いて答えた。

「あともう少しのをな。予定では明後日完成だった」

「あらら……。またずいぶんとできあがってたキャンバスだったんだね。よく怒鳴らなかったね」

「俺は、キャンバスなんかどうだっていいんだよ。いつでも描けるしな。どれだけ汚されても構わねえよ」

「もし汚したのがあたしだったら、怒鳴ったでしょ?」

 じっと見つめられて、首を横に振って即答した。

「お前が傷つくことは、もう二度としないって決めてる。こんなに愛してるのに怒鳴ったりしねえよ」

 爽花は頬を赤くして興奮したようにぎゅっと抱き付いてきた。瑠の胸の中に顔をうずめてくる。さらさらの心地のよい髪に触れ、また愛で全身が熱くなった。

 

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