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十二話

 爽花が教えたのか、さっそく慧から電話がかかってきた。

「ついに抱き合ったんだな。一歩前進だな」

 祝福しているのか、からかっているのか、複雑な気持ちになったが、とりあえず素直に答えた。

「まだ妊娠はしてないから一歩前進とは言えないだろ」

「俺にも、姪か甥ができるんだな。……で、ちょっと頼みがあるんだけど」

「頼み?」

 慧が瑠に頼みごとをするのは一度もなかったし、これからもないと考えていたため、かなり驚いた。

「子供の名前、俺が付けちゃだめかな?」

「えっ?」

 さらに驚いた。目を丸くして聞き返した。

「名付け親になりたいのか?」

「それくらいいいだろ。爽花はあげたんだから名付け親はさせてくれても。いかした名前つけるからさ」

 確かに慧は瑠の双子の弟なので無関係ではない。死んでも爽花はやらないと叫んでいた慧の姿が蘇った。

「……そうだな。じゃあ名前はお前に頼む。変な名前はやめてくれよ」

「もちろん。爽花にも伝えておいてくれ。よろしくな」

 短く言い、一方的に慧は電話を切った。

 以前より仲が良くなったとは瑠も慧も感じているが、まだぎくしゃくしている。家に爽花がいなかったら慧は遊びに来ないだろう。慧の目的は瑠に会うためではなく爽花に会うためだ。

 受話器を持ったまま立ち尽くしていると玄関から音がして、買い物袋を両手に提げた爽花がリビングに入ってきた。疲れた顔でにっこりと笑った。

「ただいま。ちょっといっぱい買い過ぎちゃった」

「呼んでくれれば荷物持ちに行ったのに」

「いいよ。瑠も絵で肩凝ってるでしょ」

 ふう、と息を吐きながら、爽花は持っていた買い物袋をテーブルの上に置いた。

 その姿を見て、早く免許を取らなくてはという強い焦りが生まれた。家族が増えるなら車が運転できないと不便だ。慧はすでに持っていて、おしゃれな車でドライブしている。子供が産まれる前に運転できるようにしておかなければ。

「あたしが免許取るよ」

 瑠の性格を心配して爽花が話したが、護られてばかりは嫌だ。世の中は持ちつ持たれつで、人は誰かと繋がらないと生きていけないと知ったのだ。はっきり言って車にほとんど乗った経験がない。いきなり乗れるか不安だったが、いちいち気にしていては進まない。教官は三十代前半の女性で「かっこいい」「素敵」と褒めたたえられ少し鬱陶しかったが、丁寧でわかりやすい説明はありがたかった。同じく免許を取ろうと勉強をしている仲間たちからも「モデルですか」としつこく聞かれた。彼女はいるのかと恋愛事についても聞かれ、妻がいると答えると若い女の子たちはショックを受けていた。

 爽花の励ましや慧のアドバイスなどで瑠は見事免許を取った。車はどうしようという悩みも一瞬で消えた。慧が二台持っていて、「ほとんど乗ってないから」と一台譲ってくれたのだ。この時はさすがに瑠も感謝を告げ、爽花は慧に抱き付いて喜んでいた。

 爽花の体調に合わせて、その後も数回抱き締めあった。だんだん慣れてきて、不安や迷いも消えて子供が産まれる日はいつなのか待ち遠しくなった。慧は子供の名前について悩んでいた。まだ男か女かわからないのに、瑠と爽花以上に期待していた。

 三人の願いが実り、ついに爽花の腹に小さな命が宿った。医者に言われた時は嬉しすぎて爽花は泣き、周りにいた人たちは「おめでとう」と祝福してくれた。悔しいのか慧は視線を合わせないまま「よかったな……」と瑠に言った。本当なら自分との子供が産まれるはずだったのにという言葉がしっかりと顔に書かれていた。そのため瑠も特に答えず、小さく頷いて終わらせた。

 日に日に爽花の腹が大きくなっていくのを感じながら、ふと先生の姿が蘇った。先生は子供を産む前に妻が亡くなって、また孤独に戻り寂しさと苦しさと戦って生きてきた。とりあえず瑠は孤独に戻ることはないと考えていた。これからたくさんの人たちと関わって暮らして行く。数え切れないほどの出会いをする。急に、どきりと胸が鳴った。幼い頃から放っておかれ、家族にさえ相手にしてもらえなかった瑠が他人と仲良く付き合えるか。爽花と結ばれたのは、爽花が瑠に興味を持ち正体を知りたいと動いたからだ。何もきっかけがない人と良い関係など作れるだろうか。実際に結婚式で爽花の両親を脅かすことを言って慧に叱られた。どれが正しくてどれが間違いなのか瑠にはわからない。ぼんやりと不安定な状態で、ただ時間だけが流れる。やがて爽花から子供の性別は男だと教えられた。

「ええ……。女の子がよかったなあ……。絶対姪だって信じてたのに」

 残念そうな慧に、爽花は苦笑いをした。

「さすがに性別は決められないよ。男の子でも可愛いでしょ?」

「まあね。じゃあ男の子の名前、探してみるよ」

「ありがとう。かっこいいのにしてね」

「もちろん。頑張るよ」

 そう言って、ちらりと瑠の顔を見てから慧は家から出て行った。



 夜、ベッドの中で爽花は囁くように聞いてきた。

「ねえ、瑠は女の子がよかった?」

 慧の言う通り、確かに女の子の方がよかったような気がしたが、いちいちわがままや不満を言っても仕方がない。

「父親は娘の方が可愛いっていうしな。でも別に俺はどっちでもいい」

「そっか。油絵は教えるの?」

 予想していない質問だった。油彩がここで出てくるとは思っていなかった。

「それは子供に任せる。描きたいって言うなら教えるし、興味ないならそのまま好きなことさせる。俺は子供に、あれをやれ、これをやれって口うるさく言う親になりたくない」

「あたしも一緒。親が子供の自由奪うなんて酷いもんね。子供も一人の人間なんだもん。いけないことは注意するけど、余計な話はしないよ」

 微笑んで、そっと腹を撫でた。少しずつ大きくなっていく。いつかこの腹から愛の結晶が飛び出してくる。

「瑠は、父親になる覚悟はできてる?」

 さらに聞いてきて驚いた。真剣な爽花の口調に心が揺らされた。

「……曖昧だな。父親って、どんな風に子供を可愛がればいいのか知らないから」

「曖昧じゃだめだよ。どんな風になんてないよ。やり方なんて決まってない。とにかくそばにいておしゃべりしていっぱい優しくしてあげればいいの。絶対に独りぼっちにならないように、ちゃんととなりにいてあげる。悩んでたらきちんと話に付き合って、いけないことは注意して、真っ直ぐ歩いて行けるようにする。それだけだよ」

 つまり先生や爽花がしてくれたことを手本として、次は瑠が努力するという意味だ。自信はゼロだが爽花も慧もいる。もし瑠が冷たくしても、子供は立ち直れるだろう。

 黙っていると、微かに爽花の寝息が耳に入った。腹が重いから毎日疲れているはずだ。柔らかな爽花の髪に触れ、瑠も眠りについた。



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