一話
瑠が帰国したのは、予定よりも少し遅れて七年後の春だった。瑠は十二月生まれなためまだ二十四歳だったが、爽花は二十五歳になっていた。七年の間、爽花がどんな暮らしをしていたのかは全くわからない。立派な嫁、妻、そして母になるべく、アリアにみっちり教え込まれているだろう。瑠も必死に絵の勉強を頑張った。花や風景しか描けなかったが、人や動物も描けるように成長した。
空港を歩いていると、背中から「瑠」と呼ぶ声が聞こえた。振り返ると太陽のように輝く笑顔の爽花が駆け寄ってきた。
「久しぶり。元気だった?」
以前より大人っぽい口調だ。頷いて瑠も答えた。
「七年も待たせて悪かったな」
「本当だよ。もう。どれだけ待たせるんだっていらいらしてたよ」
言葉は相変わらず子供っぽい。けれどそれが爽花の良さなのだ。
「お前、けっこう大人の女になったな」
すると、ぽっと爽花の頬は赤くなり、上目遣いで「えへへ」と笑った。
「わかる? あたし大人になったよ、ものすごく。ドジも治ったし、ちゃんと家事もできるよ。すごい?」
「すごいすごい。ほら、早く行くぞ」
適当に言うと、むっとした表情になったが、すぐに元の笑みに戻った。
電車に乗っている時も歩いている時も、爽花はぎゅっと腕に抱き付いて離れなかった。瑠がどこかへ行かないようにという想いがそうさせているのだろうと、はっきり伝わった。七年ぶりの実家は、特に変わっているところはなかった。ただ慧とアリアがいないのは不思議だった。
「アリアさんは、お友だちと旅行に行ってるの。慧はお仕事」
「仕事? 何やってんだ?」
「女子校で英語教えてるの。毎日ラブレターやプレゼントで大変みたい。慧のかっこよさはいつまでも続くんだね。衰えることを知らない」
話しながらお茶を淹れていた。手際が良く、また大人になったと改めて感じた。
「ふうん……。まあ、あいつは女と付き合うのに慣れてるし、いい仕事に就いたな」
「あたしがすすめたんだ。慧に家庭教師の才能があるのは、あたしが一番よく知ってるから」
そして甘くないコーヒーをテーブルに置いた。瑠が甘いものが苦手なのを忘れていないと、胸が暖かくなった。たとえ距離は遠くても、瑠と爽花は常に繋がって愛し合っているのだ。向かい合わせに座り、爽花は甘い紅茶を一口飲んで話し始めた。
「絵、描けるようになった?」
聞かれると予想していなかったため、少し驚いた。
「まあ、一応は」
「じゃあ、また絵を描いてよ。瑠の絵に癒されたい」
まだモチーフは決まっていない。すぐに答えられず黙っていると、爽花は緊張している表情になった。
「あたしの……。ウエディングドレスのあたしを、描いてほしい……」
つまり結婚したいという意味だ。それについてあやふやだったため、瑠もどきりとした。
「……式を挙げなくてもいいよ。結婚届だけでも。瑠が決めて。あたしはどんな結婚でも構わない」
女性にとって結婚とは大切なイベントで、みんなも幸せに包まれるお祝いだ。できれば式を挙げて、爽花の喜んでいる顔や純白のドレスを着ている姿を見てみたい。瑠も結婚式に嫌なイメージはなかった。しかしその裏で、自分が目立ってもいいのかという不安があった。今まで表舞台に立っていたのは慧の方なのに、いきなり自分が主人公になるのだ。独りぼっちで避けられてきた自分が華やかな場所に現れたら、という迷いが生まれた。爽花のために努力をするという決意はあるが、何か失敗したり事件が起きるのではないか。
「どうしたの? ぼうっとして……」
爽花が覗き込むように見つめてきて、はっと我に返った。ゆっくりと頷き、爽花の両手を握り締めた。
「式は、周りが驚くほど盛大にするぞ。素晴らしい結婚式にしような」
改めて告げると、爽花は大きな嬉し涙の雫を落とし、にっこりと微笑んだ。