マゾにヒーロー
神様がいるというのなら。
不快な安眠の間に力を貸して欲しい。
「このマゾに!!どうか!!ヒーローらしくできる力をくれないでしょうか!!」
マゾヒストな自分。それだけが取り得の性格。ドクズで罵られて、痛めつけられて、心地よく爽やかに晴れる自分の心。
そんな自分だからこそできる。役に立てるヒーローらしきパワーを追い求めて、遠くにあるかどうか、そもそも人類の想像によって立てられた神様に叫んでみた。
反響は薄い。
周囲が暗くて、自分だけが白い光りを浴びる夢という中でだ。それでも叫ぶ。痛む喉の心地が良いのだ。
「神様!!私はマゾにヒーローになりたい!!」
言葉を間違えている。”マゾ”ではなく、”マジ”と言い換えるべきじゃないかと、
真っ当な神様がいるのなら、彼を病院に通う事を進めるだろう。しかし、真っ当などと。人間がそうであるはずがないように、神様もまた真っ当ではない。
『デカイ声を出すんじゃない。神様には聞こえている。ちゃんと聞くだけな』
「!なんと気持ちいい、正しきご注意」
現れるのだ。”マゾ”の神様ではない、”マジ”の神様。
『神様とは勝手な総称だがね。私の名はアシズムだ』
声こそ聴こえても、その姿を見る事は適わない。しかしながら、自分にはそれが神様だと直感的に崇めた。
『君は、ヌジャール・ホル・シスタという名か。魔法の異世界で頑張る子か』
「その通りです!神様!!どんな裁きを下してくださるのですか!?」
自らをマゾと語りながら、会話は常にその変態的な言葉で主導権をとりにくる姿勢にアシズムは少し飽きれた声を出した。
『君を創造した馬鹿に会ってみたいものだ』
「はい?」
『こちらの話だ。気にするな。ともかく、なんだ。君、ヒーローになりたいの?』
まるで、入社試験を受ける人に尋ねるような質問の仕方だった。その熱意を調べるかのようなもの。
「はい!憧れます!民のため、ヒーローとはその身を削ること!私もそのような魔法使いとなりたい!しかし、私の能力ではまだ叶いません!一刻も早く、この身を民のために削りたいのです!いえ、自分のために削りたいのです!!」
『つまり、過労死したいってこと?』
「私が理想とする最期でございます!」
ただの自殺よりかはマシだと思うと、アシズムは自ら納得しながら取引する。
『分かったよ。なら、丁度良い能力を持っているからあげる。きっと、君のためになるよ』
「ありがとうございます!神様!!では、私はこんな快楽から目覚めます!!」
『うん。もう会わないと思うけど、達者に死んでね』
◇ ◇
あらゆる異世界の中でも極めて異質な生物がいた。
「死から逃れる能力とはまた別。”生きている定義を確定させる”能力」
どんな生き物にも、生きていると死んでいるが分かれている。不死の生物とはやや違った定義となるが、彼は生き続ける。
心臓を抉られ、脳を焼かれ、腸をみじん切りにされたとしても、彼は生きている定義を確定させている。
修復や再生のしようがない損傷を負ったとしても、死と同義の痛みを本体は感じながら、ゆっくりと人間レベルの自然回復力で身体が戻っていく。しかし、人間とは思えない傷からの生還を何百と繰り返す内に、彼の身体はすでに人間という外見を保てなくなった。
今、どんな生物か、例えようがない。
ヌジャール・ホル・シスタ
スタイル:魔術
スタイル名:I AM HERE
スタイル詳細 : I AM HERE
常に”ここで生き続けること”ができる能力。自らは死ぬことができないリスクを背負って、可能にした能力。老化はするし、能力が封じられたりすれば死ぬ。
簡単に言えば、不死身の能力である。自らの能力を完成させたとき、自らの性癖も相まって素晴らしき力を手にしたと核心した。その身を削り続けて至福、快楽の頂点にイケた。
しかし、イク度にイク度に。この幸せを周囲に広めたかった。しかしながら、ヌジャールはこの能力にほぼ全てを捧げているため、もう一つの能力を得ることはできなかった。普通ならば。神様と出会うまでは。
「おかしなことだな、アシズム」
喫茶店で一つの本を読みながら、この続きを読んでいく広嶋健吾という男がいた。その彼にコーヒーを差し出したのは、アシズムと呼ばれた喫茶店のオーナー。
「どうやって、こっちは死に追いやったんだ?」
「彼の能力はあくまで自分のためだし、生きているかどうかは個人個人が決めることでしょ?」
「そりゃそうだ」
一口頂いてから、その続きを読んでいく。
ヌジャールは神様と取引をした。自分が痛むこと、傷つくことで喜ぶとしたらどんな能力が必要か?その手段によって、背負うリスクがあるとしたら喜んで受け入れてしまう性癖だ。その手段がちゃんと成せるかだけが重要だった。
痛みを背負うことをより良く表現するのなら、負担を背負うと言葉を変える。
神様がヌジャールに提示した能力は、”請負者”。
スタイル詳細 : 請負者
他者の行動によるリスクを代わりに自身が請け負う能力。
科学的なことにしろ、魔法的なことにしろ、超人的なことにしろ。全ての行動にリスクは存在する。歩く事すら、寝る事すら、そこにリスクはある。些細過ぎて、慣れ過ぎて気付かないくらいだ。
”請負者”という新たな力を手にしたヌジャールは、この世界の人間の行動のリスクを背負った。
火をつけられた蝋燭は熔ける。その熱さを背負い、蝋燭は残った。寝る事で失う時間を代わりに請け負い、人々の睡眠を奪い去った。放たれる魔法のために使われる魔力を代わりに請け負い、また無限に近い数を放てるようにした。空腹によって苦しむ身体を請け負い、人々は満腹感だけを残した。走ることで痛む心肺機能や筋肉の刺激を背負って、疲労を取り除いた。水圧の衝撃を背負って、自殺をする人を生かした。病気の進行を請け負って、苦しんだのはヌジャールだけにした。
世界中のリスクを背負って、ヌジャールはこれ以上にない快楽を味わいながら崩壊していく。こうして、人々に幸せを沢山作り続けていった。全てのリスクを背負って、世界を守った。
そんなヒーロー的なことをしてきた。人のリスクを背負い続け、全てを幸せにし続けた。
これがヒーロー。民の幸せのためにいるのだ。ヒーローは人のためにいる。たとえヒーローがマゾだってなれる。
「だが、ヒーローってのは平和じゃないから生まれるもんだ」
彼がいる世界の物語は、ヒーローが完成されてから十数行で閉じてしまうのだった。
あらゆるリスクを背負ったヌジャールは死ぬことも、変えることもできなくなった。
負担がなくなれば、そこに成果が生まれるわけがない。傷付かないからこそ、生きることを訴えるような波が起きない。幸せを求めるならば、不幸を知らなければならない。どこかに不幸があるから幸福という定義がある。差別と区別があり、互い互いが忌み嫌って、恍惚な好意を生み出す。
ヒーローがいればアンチヒーローもいる。それを表したような世界に成り果てた。
ヌジャールはヒーローになった。同時に憎まれるべき、アンチヒーロー。その憎みが彼にとっても、その世界にとっても、何も意味がないのは分かるだろう。
パタンッ
終わった物語を。広嶋は、閉じた。
このお話は無くなったことで、初めて幸福になれたのかもしれない。アシズムはそう思っている。