6
アンネリカの気分は最悪だった。もちろん、体はすでに死体となっているため、気分が悪いとは体の調子のことではなく心の問題である。
意識が戻ってしばらくは、思考が定まらず、周囲の状況を把握することはできなかった。ただ、自分は死んだ筈なのに、とぼんやり考えていただけだ。
体は死体とはいえ自分のものだと宣言できるのに、なぜか自分の意思とは関係なく動いていた。
傍らにはローブの人物がいる。古めかしい杖を持ち、フードを目深くかぶっているせいで顔は見えない。かろうじて口元が見えるぐらいだ。
一体誰だろう。そう考えている時だった。
「それが侵入者ですか」
男性の声が聞こえる。そこから先はだんだんと頭の中が晴れてきて、自分の状況を理解し始めていた。
その部屋にはアンネリカ以外に6人の人物がいた。
相変わらずローブの人物が横にたっている。身じろぎもせず、声も立てず、その様はまるで人形のようだ。
声を出したのは部屋の奥にいる男性、顔の造形は優男といった風貌なのに鋭い視線がそれを裏切っている。 明るいブラウンの髪、着ている服は高級そうで、まるでどこかの貴族に仕える執事のようだと思った。
その男性の視線はアンネリカに向けられている。侵入者とは、どうやらアンネリカのことを指しているようだった。
「そ。人間の冒険者。それなりに実力があって自信があったのか、一人で俺に挑んできた。自分の実力も正確に把握できない愚か者さ」
そして、次の声に心臓が跳ね上がった(心臓はすでに止まっているので、言葉の綾というやつだ)。
ゆっくりと目玉だけを動かし、その声の主を視界に収める。予想していた通りの姿が見えた。
魔人だ。
無謀にもアンネリカが単身で挑み、そして実力の差を思い知らされた、あの電撃使いの魔人である。
椅子に腰掛け、行儀悪く足も椅子に乗せている彼はアンネリカを見ていない。そのことに安堵と怒りが心に産まれる。
彼が私を攻撃しそうにないことに安心する。
だけど、歯牙にもかけないその態度が気に食わない。
いけない、落ち着かないと。まだ周囲の状況を把握しきれていない。彼ばかりに気を取られているわけにはいかないのだ。
彼に気をとられている間に、話は進んでいたようだ。ローブの人物が部屋の奥の少年に一言、了解、と伝えて歩き出す。
アンネリカの体はまたしても自分の意思とは関係なく、そのローブを追って部屋を出てしまった。
ローブの人物は歩みを止めない。延々と続く薄暗い廊下を黙って進み、アンネリカにはまったく興味を示さない。
アンネリカはその時点で、今までは声を出すことすらできなかったのに、それが自由になっていることに気がついた。
「ちょっと。ちょっと、待ちなさいよ!」
アンネリカに初めて反応し、前を行く背が止まる。顔だけ少し後ろへ向け、アンネリカを振り返り、やはり黙っている。
「ここはどこ? あんたたちはなんで魔人なんかと仲良くしてるのよ。あなたは誰? というか、私はなんで動けているの!?」
矢継ぎ早に繰り出される質問に答えず、ローブの人物は黙っている。答えなさいよ、と怒声をだそうとすると、ローブの人物の口が動いた。
「黙れ」
その言葉に逆らうのは簡単なはずだった。
威圧感のないソレに逆らって怒声を出せばよかったのに、しかし、アンネリカは途端に声を出せなくなる。
恐怖で出せないのではない。強制的に、出せなくなっていた。
「お前の自由はもはやどこにもない。ただ、俺の命令に忠実に動け」
彼の怒気に反応するように、杖の先についている黒い石が光る。あの光が自分を縛る根源だと、アンネリカは直感した。
あれは魔法だ。しかも、死体にかけられる魔法となると答えは1つ。
(こいつ、死霊術師か!)
自分の主となった彼に怒りがわく。誰の許可を得て、自分の体を無理やり操っているのだ。
第一、死霊術師など禁忌とされ、その魔法は教会によって封印されているはずだ。なぜその魔法が使えるのだ。
「ひとつだけ答える」
平淡な口調になった彼が告げた。
「俺の名前はケネト。我が主である魔王《枯れ水源の魔水伯》に従う4番目の」
アンネリカの気分は最悪だった。
生前には一度も味わったことのない屈辱は、死後に訪れたのだ。
「魔人だ」
ケネトとアンネリカは会話なく扉をくぐり抜けた。
アンネリカが入ってきた時と同じく、真っ暗な穴に出る。違うのは、ケネトの持つ杖から発せられる淡い光で照らされていることだろう。
「ここからは俺の知らぬ土地。お前が街まで案内しろ」
誰が魔人を案内なんてするものか、そうは思っても隷属化された体は勝手に動き出す。確実に街へと向かう己の足を呪った。
縦穴にはまだロープが垂れ下がっている。降りるときに使ったそれを、今度は登るために握り締める。
ケネトは1回の跳躍で垂直の穴を過ぎていった。きっとアンネリカが必死に登る穴の付近で余裕をかましているに違いない。
今のアンネリカにはケネトの行動すべてが苛立ちの原因だった。
「街に行く前にいくつか答えろ」
穴を登りきり、ロープを片付けている時だ。
「この穴はお前が初めて見つけたのか?」
「違うわ」
「では、なぜお前が穴へ来た? なぜその発見者が来ない?」
ここまで来て、アンネリカは質問にはちゃんと答えなくてはならず、また嘘もつけないことを悟った。しかしそれは同時に 、嘘ではなく、事実の一部だけを話して質問の答えとすることができるのではないかと考えられるのではないだろうか。
アンネリカは心情的に未だ人間の味方である。ならば、少しでも人を救うために小癪な真似ぐらい、やってみせなくては。
「穴の調査を依頼されたからよ。あの縦穴が魔物の巣だったら危ないから、中を見てくるようにって」
「魔物の巣だったら、冒険者のお前が駆逐していたと?」
「私は見てくるように頼まれただけよ」
もっといい受け答えがあったかもしれないが、これがアンネリカの精一杯だ。これなら、穴がそこまで脅威に見られていないと思うだろう。少しは油断してくれるかもしれない。
ケネトはしばらく思案しているようだったが、やがて再び口を開いた。
「その依頼、何も危険はなかったと報告しろ。報告が終わったらお前は元の生活に戻れ」
元の生活に、戻る。
それは予想だにしていない言葉だった。これからはこのケネトとか言う魔人のそばで人間相手に戦わされると思っていたからだ。
不思議そうな顔をするアンネリカに、ケネトは説明する気はないらしい。いつの間にか盗られていたギルドカードに何やらスキルを使用している。
「何やってるの! それ私のギルドカードじゃない!」
制止の言葉を聞かず、ケネトはギルドカードをひとしきり弄り、返却してきた。
ふんだくるように受け取って何をされたのか確認する。見ただけでは特に変化を感じられなかった。
そしてケネトは今度はアンネリカ自身に手を伸ばしてきた。体が一瞬強ばるが、逃げられない。これも隷属化の影響だろう。
ケネトの手は胸の上に置かれた。
「ちょっ、何して…………!」
『偽装』
死人なのに顔を真っ赤にするアンネリカにまったく反応を示さず、淡々とスキルを使用する。
その時、アンネリカは体に温かみがよみがえったことに気がつく。自分で自分を触ってみれば、体は死人のように冷たくはなかった。
「死人だとバレたら、その場の人間を皆殺しにしろ」
「はぁ!? そんなことできるわけ」
「できるできないじゃない。お前はやるんだ。お前の意思は関係ない」
それきり黙ってしまったケネトは、しかし、アンネリカをじっと見続けている。どうやら街への案内を要求してるらしい。
これ以上、この魔人に何を言ったところで取り合ってはくれないだろう。この魔人、どうも必要最低限しか声を出さないようなので、文句を言ったところで反応があるかどうかも怪しい。
「どうしてこんなことに…………」
仕方なく街へと歩きだす自分についてくるケネトに、怒りが募り続けるアンネリカだった。
2015/05/02 : 誤字を修正しました。