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その日は朝から良い天気だった。いわゆる快晴というやつで、雲一つない青空はどんな気分でも清々しいものへ変えてくれる。
前はこんな青空を見れる日が来ようとは思いもしなかったという。空には大きな灰色の雲がかかり、どんなに風が吹いてもその雲は流されず、毎日見上げれば灰色の空、人間はその空に不快感ではなく恐怖を抱いた。
その雲があったのは今から80年も前、私、 アンネリカがまだ生まれていないころの話だ。
雲はただの雲ではなく、魔王のいるダンジョンの一つだった。足場の不安定なダンジョンだったらしく、また、当の魔王も雲のように気体の体をしていたという。倒した人の名前はアンネリカ、そう、私は勇者アンネリカから名前をとってつけられたのである。
世界に現れたダンジョンの数は24個、ダンジョン1つにつき1人の魔王がいるので要は24人の魔王がいたことになる。そして、魔王を倒したものは勇者の称号が与えられ、聖地に建てられた石碑にその名を刻まれる。
その石碑は人の勝利を体現したものであり、長らく人々の憧れとなった。とりわけ子供の熱望は強く、勇者のほとんどが冒険者であることから、子供たちはこぞって冒険者を目指した。ただ、家族が許さずに口論になることも増えたそうだが。
勇者の名をもらったアンネリカもまた、石碑に憧れて冒険者になった口である。ただ今現在、あの石碑に名を刻むのは難しい。
もちろん、魔王を倒すということ自体が難しいことではあるのだが、そもそも今は魔王がいないことが問題なのである。いないのなら倒せない、当然のことだ。
「せっかく冒険者になったのに」
アンネリカは不謹慎だとは理解しつつも、魔王討伐の名誉を諦めきれない。そのために冒険者になったようなものなのだから。
お金は今まででそれなりに貯めた。なのでそんなに齷齪して働く必要もないのだが、如何せん何も趣味のないアンネリカは時間を潰すことができない。
気がつけばギルドの依頼ボードの前に立っていた。
「面白そうなやつないかーな、っと」
真剣に依頼ボードとにらめっこしている男性の隣で、呑気に声をあげた。恨めしそうな視線もなんのその、アンネリカは依頼ボードの全体をさっと見る。
そうして1つ、何やら奇妙な依頼が目に付いた。
「穴の侵入調査?」
それはこのギルドがある街、リフォアに隣接する小さな村からの依頼だった。報酬はそこまででもない、依頼内容も森の奥にある謎の大穴がなんなのかを調査するだけの簡単なお仕事だ。
森にはダイアウルフという魔物の狼が住んでいるのでそれを対処しつつ依頼をこなさなければならない。報酬の殆どはこのダイアウルフによるものだろう。
ダイアウルフぐらいなら群であっても1人で逃げるぐらいできるし、数匹なら退治もできるだろう。調査と言っても何も専門的知識が必要なわけでもないだろうし(必要ならわざわざギルドに頼まない)、そこそこ頑張ってそこそこの報酬をもらえるなら丁度いい。
「それになんだか面白そうじゃない」
こういう時、ソロというのは便利だ。自分の気分だけで仕事が選べる。それに報酬も全部自分に入るから、報酬の分配でもめることもない。
アンネリカは依頼の紙を乱暴に引きちぎり、その紙を持ってギルドの窓口へと進んだ。
「クリスタ、今日はこれをやるわ」
窓口に座っていたショートカットの女性職員に紙を渡す。乱暴にとってきたせいで破れかけている依頼書を見て、その女性職員は苦笑いと共に受け取った。
彼女はアンネリカが懇意にしている新人のギルド職員クリスタ、心配症でちまっこくて可愛い。アンネリカはクリスタのことを妹のように可愛がっていた。
「アンネリカさん、こんにちわ。今日は休むって言ってませんでした?」
「予定変更よ。どうせ休んでも暇で退屈だもの。それに、この穴ってのが気になるわ。面白そう」
「あんまり危ないことしないでくださいね、ギルド職員の私が言うことじゃないですけど」
「心配してくれるの? でも大丈夫よ、あなたも私の実力は知っているでしょう?」
アンネリカは自慢げにクリスタにギルドカードを渡す。そこにはギルドランクAという文字がくっきりと印刷されていた。
ギルドランクとはギルドに貢献することで上がっていくものだ。しかし、ギルドに大きく貢献するためにはそれ相応の依頼をこなさねばならない。
つまりは、ギルドランクが上位の人ほど大変で危険な任務をこなしてきたということになる。ギルドランクとはその人の強さを表しているようなものなのだ。
そしてギルドランクAとは上位も上位、特別階級と呼ばれるSランクを除けば最高峰のランクである。特別階級と言うからには、ただ単純に依頼をこなすだけではSランクにはなれない。
ようは、一般的に最高のギルドランクとはAを指すのである。
「今回の敵は森にいるダイアウルフぐらい。私がそんな狼ごときに負けると思う?」
「そうですね、アンネリカさんならこの依頼も簡単に済ませられるでしょう」
クリスタはギルドカードを受け取って魔道具へと通す。どのギルドの窓口にも設置されている汎用型の魔道具である。通したカードの情報を読み取ったり、カードに情報を記載することができる。
クリスタが返したカードの受注欄に、穴の侵入調査の文字が付け足されている。これでアンネリカはこの依頼を正式に受けたことになる。
「それでも気をつけてくださいね。何があるかわかりませんから」
「ええ、もちろんよ。ありがとう、クリスタ。行ってくるわ」
「行ってらっしゃい、アンネリカさん」
心配そうな顔で、それでも笑みを作ってクリスタは見送ってくれた。アンネリカもそれに手を振って返すと、ギルドを後にする。
「さて、まずは隣村に行って詳しい場所を聞かないと。帰るのは明日以降になりそうね」
アンネリカは空を見上げる。やはり雲1つない青空が広がっている。心地良い気温、これなら隣村までの道のりを散歩として楽しめるだろう。
それなら何か立ち食いできるものでも買っていこうとアンネリカはまず街の露店街へと向かった。まるでピクニックにでも行くようなのんきなアンネリカを叱るものはここにはいなかった。