第4部
「おっす、お疲れぇ」
ひょろんと背の高い眼鏡男が店の玄関から入ってきた。彼がベースの一郎。一郎はウチらの中で唯一の既婚者で子供も二人いる。一番色々落ち着いてて大人だ。俺には真似できん。結婚なんてまだまだ。男は30過ぎて漸くだ。
「うっす、お疲れぇ」
「誠、顔真っ赤じゃないか? いつから来てるんだよ?」
「うーん、何時からだっけ? 昼過ぎかな?」
「はやっ! で、ずっと一人で呑んでたん?」
「まーねぇ」
「そんな時間から呑んでてこの後大丈夫かよ?」
「ヒデには連絡つけてあるから。後は頼んだ」
「ったく。ヒデ来る前に飲み潰れるなよ。で、茂はまだ来てない?」
「おお、まだ」
「リハとか見た?」
「おお、見たよ」
「ヒデが素直に引っかかるかな?」
「そうだなぁ、それは微妙だな、正直。でもとにかく中に入れちゃえばなんとかなる。そんな感じ」
「そこ一番難しいよな」
「まぁ失敗したらしたで店先でハッピーバースデーでいいじゃない?」
「まぁな」
「そういえば彩乃さんいないな」
「おお。彩乃さん用事で昼から出てる」
「そっか」
「お疲れさん!」
「おー、茂! お疲れー」
もう一人の眼鏡男、茂だ。ウチらの中では一番小柄だけどドラムはすんげぇーパワフル。茂のリズム感は最高だ。始めた頃なんてメンバーの中で一番音楽に興味ない奴だったけどこれがバンドやり始めて一年くらいしたら一番音楽センスある奴に成長してた。俺なんて半分惰性と女ウケでやってるんで申し訳ないくらいだ。
「もう準備は万端?」
と言った茂の手にはいつもここに来ると食べてるガリガリ君があった。
「おお。もう随分酔っぱらってるわ」
「そっちじゃないよ! で、ウチらは何をやればいいの?」
「おお、そうだそうだ。それをみんなに言わなくちゃ」
店の時計を見たら7時ちょい前だった。ヒデには8時にここで待ち合わせをしている。早く来たとしてもせいぜい30分前ってとこだろう。30分もあれば二人には十分説明できる。
桂介の考えたプランは実にシンプルだ。まず店を閉店状態にして真っ暗にしておき、とにかくヒデを搬入口へと誘き出し表現会場へと放り込む。
その為にヒデが玄関口にいる時に店の中で椅子を倒すとかして店内に誰かいるように思わせる。そして搬入口から自分で入るのを待つ。これがプランA。もしヒデが搬入口で躊躇ってたら後ろから俺達が無理矢理押し込むオプション付き。
しかし不審に思って警察にでも連絡したらどうするんだ? と桂介に聞いたらアイツは「それは絶対ない」と根拠なしに言い切った。怖っ!
プランB。もし音に気付くことなくヒデが帰っちゃうようなら俺がゴメンゴメンと現れて「今日は彩乃さんいなくて休みなんだけど特別に裏の鍵預かってるから」と言って一緒に表現会場に入ると見せかけヒデ一人を閉じ込める作戦。の2プラン。
さて、ヒデちゃんはどう来るかな? わくわくしてきた。
時間は7時半。まほろばの役者連中は表現会場の中でそれぞれスタンバっている。俺と茂は表現会場に直接入る事ができる搬入口を出た所にある物置の陰に潜み待機。一郎は店内で待機。そして俺とトモちん、ヒメちゃんはインカムを持ち、まほろば一座で音響を担当している田中さんが司令塔として俺たちへ指示を出す。
『誠くん、東条くんから連絡はあったかな?』
「いえ、今のところは。ヒデは大きく遅れる時は連絡くれるから早ければもうそろそろ来るころかと」
『了解。じゃ皆、以後、私語は厳禁で待機お願いします』
『了解』とみんなの声が耳に聞こえ一旦通信は途絶えた。
そして8時。
きらめくあまたの玄関の方でヒデらしき声が聞こえた。
「来た!」
と俺と茂は揃って囁き声を出し顔を見合わせた。お互い怪しいニヤつき顔だ。こういうイタズラはやっぱり面白い。久しぶり事でホント、わくわくドキドキする。
そして田中さんからの連絡。その声はかなりの控え目で耳をしっかり澄まさないと聞こえないくらいだ。
『東条くん来店。A計画開始』
「了解」
とここで突然、俺の胸ポケットにあったスマートフォンが振動し慌てた。
「うわっ! ヒデからだ!」
「え? バイブ切ってなかったの?」
意識して抑えながらもつい声に出た俺達の動揺の声がヒデに聞こえてないことを祈りつつ息を潜めた。
店内で玄関の監視カメラを確認している田中さんから連絡が来た。
『東条くん彩乃さんの自宅へ移動した模様。しばらく様子見ます。Bプラン移行の可能性あり。誠くん、そのまま待機で』
「了解」
そして数分後、田中さんから『そっちへ行った。ヨロシク』と連絡が。それを聞いた俺は茂へ「来るぞ」と小声で伝えると緊張しながらヒデを待った。
すると連絡通りヒデの奴が搬入口へとやってきた。とにかく俺たちは物音を立てないようにと息を潜める。茂がしゃがみ込んで物置の陰から搬入口を観察している。俺はその後ろでヒデの行動が気になるけど少しでも目立たないようにとジッと口を閉じて物置から体が出ないように立っていた。
『表現会場に入った!』と田中さんの声がイヤホンから聞こえると同時に茂も「入った!」と小声で叫んだ。
俺は「急げ!」と茂の肩を叩いて言うと搬入口にあるヒデが入って行った小さな扉を勢いに任せ閉めるとカギをかけた。
「まさかまさか、桂介のプラン通りに事が運ぶとは……」
と笑って茂へ言った時、ドンドン! と強烈な勢いでドアを叩く音に俺たちは驚き二人揃って一歩後ずさりした。そして茂と顔を見合わせると声を出して笑うのを抑えハイタッチをして玄関口へ向かった。すると玄関のカギを開けて美由紀ちゃんが俺達を待っていた。
まだ完全に気は抜けないが俺たちの仕事はここでほぼ終わっている。俺達は美由紀ちゃんと笑顔で「イェーイ」とハイタッチをして店の中へと入った。あとは店内でモニター越しにヒデを観察するだけだ。
意外なほどあっさりとヒデが桂介の考えた罠にかかった。もっと想定外な事が起こると思っていたけど。
恐るべし、桂介。それともヒデが単純なのか?