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新緑色の繭

 過去にこのエッセイ・シリーズを幾つか読まれた方は既にご存知とは思うが、私には生き物を怖いとかキモイとか思う感情がかなり欠落している。私が此の世における存在を認めないのはナメクジだけだ。そして職業柄、臓物とか体液とか排泄物だとか、そういったモノに対する感覚も鈍い。他人が何を恐れ、何を気味悪く感じるのかよく分からない。だからこのエッセイ上でも、特になんの脈絡もなく様々な生き物の様々な話が入り乱れる。


だから先に一言。

芋虫系は怖気をふるうほどキライッという方は読まない方がイイかもしれない。

あ〜、でも出来ることなら読んで欲しいなぁ。だって、これは只の芋虫の話ではないのだ。本当に本当に、初夏の新緑をその身に溶け込ませたように綺麗な虫の話なのだ。

 ……ナニカの気配がする。


 五月の新緑に包まれた公園で、私はじっと考え込んでいた。

 我が家から30秒程の所にある通称三角公園(又はフラワー公園)は、公園と呼ぶのもおこがましいような小さなスペースだ。黄色いペンキを塗った丸いコンクリート製の腰掛けが三つほどあるだけで、無論遊具など無く、ヒトが立ち寄ることも少ない。手入れのされていない花壇にはツクシとぺんぺん草とドクダミとホタルブクロくらいしか生えておらず、そしてその狭い三角形の周りはボウボウに伸びたツツジに囲まれていた。


 ……ナニカがいる。


 大人になってだいぶ鈍くなったが、子供の頃の私の生き物レーダーの性能は素晴らしかった。特に意識していない時でも近くに生き物がいると、ピピピ、とレーダーが反応する。その日もお菓子を買いに行った帰り道、公園を通り抜けようとしたらピピピ、と来た。レーダーに従い公園を一周してみたが、特に目につくモノはなかった。

「おっかしいなぁ」 と首を傾げつつもう一周。そしてもう一周。幼少期から生き物に関してはかなりシツコイ性格なのだ。まぁ公園と言っても一周60秒程の小さな雑草スペースですから。


 ダメだ。見つからん。せっかく買ったアイスが溶ける。

 諦めて家に帰ろうとしたその時、ボウボウに伸びたツツジの枝が目に入った。


 ……ナニカいる。


 むむむ、と顔を近づけてビックリ。全長5センチ程の幼虫発見。それくらいなら驚かない。驚いたのはその色だった。

 半透明の鮮やかな翡翠色。シャクシャクと懸命に食べているツツジの新緑をその身に映し、本当に、ただひたすらに綺麗な虫だった。

 アイスが溶けるのも忘れて、うっとりと新緑色の幼虫に見惚れた。そして私は彼をムシムシ君と名付けた。


 翌日から私のムシムシ君詣りが始まった。


 毎日最低2ー3時間はムシムシ君を眺めて過ごす。学校から帰って来たら玄関にランドセルを放り込み、即公園へ向かう。雨の日は傘を差して公園に通った。ぐうたらサボリ気質だった私はあまり学校に通った記憶が無いのだが、公園に通った記憶だけははっきりとある。


 何度も言うが、全身が透けたような柔らかなグリーン。半透明なので、食べた物やフンなどが身体を通っていく様子がうっすらとわかって面白い。

 ふっくらとした体の節はクッキリと分かれ、それぞれの節の背には一対の角があった。それが頭からお尻まで綺麗に二列に並んでいる。角の中心から数本の毛がピンピンと生えている。頭部の4本の角は他よりも大きく、毛も僅かに太くて長い。

 体の真ん中から後部にかけて4対のもっちりとした脚があり、顔の近くに3対の小さな手があった。正しくは手とか言わないのかもしれないが、でも葉っぱの切れ端などを持って口のそばでモグモグやる様子はどう見ても手としか言いようがない。


 植込みのツツジの枝を調べたところ、ムシムシ君は全部で4匹いた。ムシムシ君1号2号3号4号だ。初めは大きい順に1ー4号と呼んでいた。しかし連日のムシムシ詣りの成果だろうか、私はオソロシイことにムシムシ君達の顔の区別がつくようになった。たとえ彼等が脱皮して大きさや顔つきが変わっても、やはり面影というモノが残っておりまして、やっぱりちゃんと見分けがつくのだ。

 毎日必ず4匹全員の安否を確認するまでは落ち着かず、植込みの中を探し回って全員カウントすると、ホッとひと安心した。


 父が昆虫図鑑を買ってきた。

 ムシムシ君の正体は、ヤママユガ。野蚕の一種で、綺麗な薄緑色の繭を作るらしい。幼虫の姿形から察するにオオミズアオのようなのだが、食べてる樹の種類がちょっと違うんだよね。まぁ割と何でも食べるらしいが、もし詳しいヒトがいたら是非教えて下さい。


 もうひとつ、図鑑やネットの情報と微妙に異なるのが彼等のサイズだ。

「脱皮を繰り返して成長した幼虫は7ー8センチ、身体を伸ばしている時は9センチにもなります♪」 とか書いてあるが、成長したムシムシ君たちは身体を縮めていてもゆうに10センチ以上あった。太さも最終的には直径2.5センチを超えた。

「子供の時は何でも大きく見えるものよ〜」 とか思うかもしれない。私もそう思う。しかし私は定規で定期的に彼等の身長を測ったのだ。愛する子供の成長記録をつける親と似た感覚だ。


 公園とは名ばかりの雑草の生い茂った植込みを毎日熱心に見つめる私の姿は、さぞかし異様に映ったことだろう。


 ある日のこと。

 公園を通りかかった大工のお兄さんが、「毎日ここにいるけど、ナニ見てるの?」と声をかけてきた。

「ムシ」 ムシムシ君2号を指差す私。

「虫……?」 なんだ、只の虫か、とでも言うように少し笑いながら植込みを覗き込んだお兄さんは、のんびりと葉を食べる2号を目にした途端に、うわあっっ!と盛大な悲鳴を上げて後ろに飛び退いた。

「なななな、ナニコレッ?!」

「ヤママユガ」

「ヤママユガって、蛾の幼虫?! こんなデカイの?!」

 芋虫系の苦手なヒトだったのだろうか。おぞましげに腕や肩を掻き毟りながら更に何か言いかけたお兄さんに、私はにっこりと微笑んで、「可愛いでしょ?」 と言ってやった。

「……え。えっ?! 可愛いって、可愛い?!」


「何騒いでんだ?」 と言いながら年輩の大工さん登場。

「カワさん、虫ですよ、虫! すっげーデカイんですよ!」

「虫〜? 虫くらいで騒ぐな」 などと言いつつお兄さんの指差す枝に顔を近付けたカワさん。緑色の保護色で分かり辛かったのか、それとも単に近眼だったのか。鼻先20センチくらいまで近付き、ようやく2号に気付いたカワさんが息を飲んだ。

「……でけえなぁ」

「ヤママユガですって!」 何やら得意気なお兄さん。

「ヤママユガって野生の蚕だろ? こんなにデカくなるのか?」

「知らないっすけど、でもこの子が……」

 振り向いた二人に向かって私はにっこりと微笑み、「可愛いでしょ?」 ともう一度言った。

「う〜ん、可愛い……かなぁ?」

 ちょっと困ったようにカワさんが笑った。


 私は心底ムシムシ君達を可愛いと思う。他人が何故この可愛さを理解出来ないのか、全く理解出来ない。もしかしたら私は少し変わり者なのかもしれないが、しかし大馬鹿というわけではない。多くのヒトにとって、ムシムシ君達が『可愛くないモノ』であることは知っている。

 だから何か言われる前に、わざと言っているのだ。「可愛いでしょ?」って。


 ムシムシ君達の食欲は半端無かった。ぼうぼうに伸びたツツジは数週間のうちにスカスカになってきた。ツツジなら我が家の庭にもある。ムシムシ君達の移住を提唱したが、「ぜっっったいダメッ!」 と目を剥いた母に一蹴された。


「市に連絡して消毒を!」 と言うご近所さんの声もあったらしいが、「まぁイズミちゃんがあんなに熱心に見ている事だし……」 と呆れと諦めの混ざった意見も多く、お陰でムシムシ君達はホロコーストの危機をまぬがれた。


 梅雨が明け、ムシムシ君達は益々でっぷりと太って立派になってきた。

 植込みのそばで耳を澄ますと、シャクシャクシャクと彼等が葉を食べる小気味の良い咀嚼音がする。そして高級マスカットゼリーような薄黄緑色の体は、成長するにつれて益々透明感を帯びてきた。その新緑のように光に透ける体を見て、なんとなく、あぁ、もうすぐお別れなんだな、と思った。


 そしてある日、一番大きくなっていた2号がいなくなった。

 翌日、1号がいなくなった。2日ほどすると3号がいなくなり、その更に2日後に一番小柄だった4号もいなくなった。


 オオミズアオの終齢幼虫は透明度が落ちて薄茶色になるはずなのだが、我がムシムシ君達は綺麗に透明に澄んだまま、何処かへ行ってしまった。彼等が去った後には完全にハゲハゲになったツツジの植込みだけが残った。


 緑色の繭が見たくて、そして出来ることなら立派な蛾になる彼等の姿が見たくて、一生懸命繭を探した。しかしいくら探しても、どうしても見つけることは出来なかった。


 彼等は何処に行ってしまったのか。

 ちゃんと繭を紡いだのか。

 無事に越冬し、そして繭から脱することは出来たのか。


 わからないけれど、でも、彼等が新緑に染まった繭に眠り、やがて春の陽のなか、柔らかな翡翠色の蛾になって飛びたっていったと信じている。


翌年以降、春になると公園の植込みは凄まじい勢いで消毒されるようになりましたとさ。

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