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さよなら スニッカーズ

挿絵(By みてみん)


 スニッカーズに乗り始めてから二ヶ月が過ぎ、私達は益々ラブラブ絶好調だった。

 シャワーを浴びながら上機嫌で「ル〜ルル〜 ♪ スニック・スニック・スニッカ〜ズちゃ〜ん ♪ アイ・ラブ・ユ〜 ♪」と自作のスニッカーズのテーマを歌う私にジェイちゃんがアブナイヒトを見る眼を向ける。


「あ、あの馬ってスニッカーズに似てるね」 馬場に遊びに来たジェイちゃんが白地に茶色の斑点模様の雌のアパルーサを指差す。

「冗談でしょ。スニックのポツポツ模様の方が綺麗にムラなく散らばってます! 尻尾もスニックの方が長いし白い!」

 そうだそうだ、とでも言うようにスニッカーズが鼻を鳴らす。

「……イズミって黒鹿毛が好きなんじゃなかったの? アパルーサ種みたいな模様のある馬は嫌いとか言ってなかったっけ?」 スニッカーズの前で余計な事を言って、私達の仲を裂こうとするジェイちゃん。男の嫉妬は実に見苦しい。

「私はスニックと出会って水玉模様の愛らしさに目覚めたの!」

 ムフフ、と甘えた顔でスニッカーズが私の胸に鼻面を擦り付け、ついでにジェイちゃんをハエでも追い払うかのように尻尾でバシリと叩く。

「……この馬、どことなくエンジュに似てるよね」と呟くジェイちゃん。


 私とスニッカーズのパートナーシップは抜群で、今シーズンはかなり上のクラスの複合競技に出場できそうだった。昨年は乗っていた馬がシーズン直前に怪我して駄目だったけど、今年はいけるぞ! 目指せ上位入賞! 目指せブルーリボン! ル〜ルル〜 ♪


 そんなある日。


 私は乗馬友達からスニッカーズの黒い噂を聞いた。


「ねぇ、イズミってばよくそんな馬に乗るね」

「は? スニッカーズは超いい子だよ。乗り心地もいいし、才能もあるし」

「知らないの? スニッカーズって乗馬クラブのレッスンプログラムから外されたんだよ。先週5人も落馬させたんだって。おまけに鞍上げの時も蹴ろうとするし、ハミも噛ませないし、近付くと噛もうとするし、危なくて使えないから売りに出されるらしいよ?」


 ぎょぎょぎょっ?! まさに青天の霹靂。売りに出されるとか、それは困る。私はスニッカーズが大好きなのだ。今シーズンの競技にはスニッカーズと参加しようと思っているんだ! ってか、私達は相思相愛、a match made in heaven、もう離れられない仲なのだ!


 オーナーにそれとなく聞いてみたところ、ハッキリと言われた。

「ごめん、スニッカーズは元々馬としてのマナーがなってなくて、イズミに任せば改善されるかと思ったんだけど、でも返って悪癖に拍車がかかってイズミしか乗れない馬になっちゃったんで、残念だけど使えない馬をキープしておくワケにもいかないから」


 でもスニッカーズは私の前では悪癖の片鱗すら見せないのに。本当かな? 何か裏があるのでは…? と思い、ある日私は隠れてスニッカーズを観察することにした。


 レッスンプログラムからは外されたものの、忙しい日はスニッカーズも引き出され、インストラクター達が外乗に使う。(外乗とは、複数のヒトと馬をインストラクターが引き連れて、馬場でなく野山などをピクニック気分で散策することです。)勿論スニッカーズに乗るのはプロのインストラクター達だけだ。


 鞍を持って近付いたインストラクターをスニッカーズがジロリと睨み、耳をピタリと伏せた。あの意地悪そうな眼つき、私の前では決して見せない顔だ。鞍帯を締めようとしたインストラクターをスニッカーズが噛もうとした。ヘルパーが慌てて飛んで来てスニッカーズを抑える。ハミを噛ませようとすると、スニッカーズは頭を激しく上下に振ってヘルパーの手を振り払い、後退った。スニッカーズの後ろにいた馬が驚いて鼻を鳴らした。

 馬は臆病だ。緊張と怯えはあっという間に伝染し、わけも分からず辺りの馬が一斉に騒ぎ始め、子供達が逃げ惑う。こわっ! アブナッ! 走るなコドモっ!


「スニッカーズ!!!」

 思わず怒鳴るとスニッカーズがハッとした顔で私を見た。

「アラいたの?」といった表情で急に大人しくなるスニッカーズ。インストラクターから馬具を受け取りスニッカーズに装着する。いい子の顔でふんふんと私の匂いを嗅ぐスニッカーズ。しかしインストラクターが私から手綱を受け取ると、なにやらムッとした顔で僅かに耳を寝かせた。その顔に嫌な予感がした。でもまさかこんな所で…と思ったが、そのまさかだった。


 インストラクターが乗った瞬間、スニッカーズが後脚を跳ねあげた。

 手練れのインストラクターがその程度で振り落とされるわけはなかったが、しかし彼女はかなり本気で怒っていた。まぁそりゃそうだろうな。


 ブルックリンは私がリースしてから性格がかなり改善され、他のヒトでも少しなら触れるようになった。反対にスニッカーズは悪癖に拍車がかかった。

 ヒトを選ぶ馬、というのは特に珍しくはない。たった一人のヒトだけに懐き、そのヒトの前では完璧な馬を演じてみせる。そしてそのヒトがいないところでは手の付けようのない暴れ馬と化す。スニッカーズが私個人の馬なら問題ないのだが、乗馬クラブのように不特定多数の人間に使われる場合は大問題だ。下手すれば訴訟問題にもなりかねない。


「イズミが買うなら半額にするよ」とオーナーに言われ、私は本気で悩んだ。

 半額なら数千ドル。これ程のクオリティーの馬をその値段で買えるチャンスはおそらくこの先ないだろう。スニッカーズの事を最悪のバカ馬と呼んだ口の悪いインストラクターなどは、「私だったらタダであげるわ。イズミにしか乗れない馬なんて500ドルの価値も無い」とか言っていたが。


 しかし問題は馬の値段ではなく、維持費なのだ。私が今住んでいる町は全米でもイチニを争う物価の高いところ。馬の維持費に月最低7ー8万はかかり、そしてもし病気や怪我をしたら…。今の私には最高レベルの医療の治療費は払いきれないだろう。馬の治療費は犬猫の比では無い。肝臓と腎臓を売っても間に合わない。


「臓器を売るなんて!」とか言ってはいけない。これは私の個人的意見だが、動物を飼うならそれくらいの覚悟と責任を持つべきだと思う。飼い猫が腎臓病になった時(猫の腎臓病は多いのですよ)、250万円の腎臓移植費用が払えないヒトは猫を飼うな、と言っているわけではない。腎臓移植なんて大層な事をしてもらわなくても、とても大切にされて幸せな動物は沢山いる。ただ、自分が持てる力を最大限に使って動物を助ける覚悟が無いなら、ペットなんて初めから飼うなと思うだけだ。そして私の覚悟とは大してあるとは言えない貯金と臓器なのだ。


 獣医をしていて一番ムカつく人間は、ぐったりしたペットをさも心配気に連れて来て、こちらが聞きもしていないのに如何に自分がペットを可愛がっているかベラベラ喋っておきながら、「MRIが必要ですが、2500ー3000ドルです。その後に手術をするとなると、更に数千ドルかかります」と言われた途端に目の色を変えて文句言ってくる輩。払えないなら仕方無い。しかしお前の指の馬鹿でかいダイヤモンドは何だと言いたい。お前の家の本革ソファーよりもこの犬の命は安いのか。自慢気にピカピカのメルセデスSクラスで病院に乗り付けたの知ってるんだからな!


 一ヶ月間悩みまくり、給料と貯金と愛犬二匹の健康状態を計算し尽くした挙句、私はスニッカーズを買うのを断念した。


 スニッカーズはとても良い馬だ。気難しいところはあるが、心を許したヒトとは上手くやっていける。私と同じくらい彼と気が合い、彼を大事に扱い、そして私よりもお金のあるヒトの元に行く方がいいだろう。良い馬だからこそ、今スニッカーズが私のところに来るのは、彼にとってフェアではない。

 スニッカーズの為と己に言い聞かせ、無理矢理自分を納得させた。


 スニッカーズが市場に出される日の朝、私は鞍無しでスニッカーズにまたがり外乗に出た。途中、野生の梨の木の下に立ち止まり、スニッカーズの背から手を伸ばして頭上の梨の実をもいだ。普通の馬は頭上で揺れ動く枝に怯え逃げようとするが、スニッカーズは大人しく待っている。私が彼のために梨の実を取っている事を知っているのだ。小さくて甘い実を一緒に食べ、帰って来てからシャンプーをしてピカピカに馬体を磨いた。タテガミを整えながら、「きっといいヒトに逢えるよ」と耳許に囁くと、スニッカーズは私の首筋をはむはむと唇で突ついた。


 そしてスニッカーズは売られていった。


 今でも時々考える。

 もしスニッカーズに口が利けたとして、私が「君が病気や怪我をしても、私はどこかの大金持ちみたいな金額は払ってあげられないけれど、それでも私のところに来たい?」と聞いたら彼は何と答えただろうか。


 ヒトは動物の言葉が解らず、動物はヒトの言葉が話せない。

 だからこそ、彼等にとって何が一番幸せなのか、ヒトは真剣に考えるべきなのだろう。


 トラックに乗せられたスニッカーズは、走り去るトラックの小さな窓からずっと私を見つめていた。


 あの眼が忘れられない。


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