昼の待合室
水槽に魚が泳いでいる。
流れるオーケストラの旋律。
佐和子が通う精神科病院には、毎日たくさんの患者がやってくる。
時刻15:07。「午後休診」の札が入口に掛かっているが、予約時間を大幅にこえて既に「午後」なのに、待合室には人だかりができて座るのも争奪戦だ。
流れてくる水槽の音が心地よく響き渡る。
オーケストラでは低音も高音もバランスよく響いて長丁場に耐えて救いの手を求める人でいっばいだ。
スマホの充電もあと少し。
なんだか心細いがそれでも筆をとる。
「今」を残しておきたいから。
あるおばちゃんはしきりにキョロキョロして「同じ精神病者と語りたい」というような目をしている。
仲間が欲しいのだろう。
ある男性はトイレに行くたびにバックを椅子に残す。
争奪戦への対策だ。
ひとりひとり戦ってきた人達であふれる待合室。
佐和子はそっと文庫本をひらいて、バラパラと読み進める。
家ではなかなか読み進められない現代文学の癖。
でも待合室に物語が読みたい気持ちが勝って、頁を指先で捲っていく。
呼ばれたら何から話そうか。
クビになったこと、社会への不安、指がふるえること、彼氏が出来たこと。
思いつく限り頭の中にストックして、頁を捲る。
過去の恋愛については、ほとんど覚えていない。
というか、本気の恋愛をしたことは数えるくらいしかない。
寧ろ数えなくても明白に少なかった。
いつもは「あと何番目ですか?」と事務員に聞いて不満を思い浮かぶが、今日はこころにゆとりがある。
気の向くまで頁をめくり続ける、そして彼氏からのLINEを返す。
それだけで人に優しい人間になれる。
大事な人ができた時、大事な人から大事にされた時、人は初めて他人に優しくできる。
これもそれも、ご縁だ。
強力な守護神でもいるんじゃない?と少し笑われるほど、なかなか濃い人生を歩んできたが生きている。
生きている━━━ただそれだけで、自分を褒めたい。
そしてあなたも生きている。
それだけで立派なことさ、と魚たちは泳ぎながら伝えてくる。
魚達は泳ぐのを辞めない。
猫は餌を欲しがるのをやめない。
犬は飼い主を待つことをやめない。
動物界の中であやとりで絡まり合うのは人間くらいだ。
もっと、シンプルに、生きよう。
揺らぐこころを蓋することはない。
生き急がなくても大丈夫。
きっと、良くなるから。




