お茶会の準備なのです
森の奥にひっそりと佇む古びたお屋敷。
これはそのお屋敷に住むリリアの、ちょっとしたお話なのです。
*午前九時*
リリアの朝はお腹の衝撃から始まります。
「ぐえっ」
変な声を出しながら目を開けると、掛布団の上から黒い物体がにゅるりとリリアを覗き込んでいました。
よく見てみるとそれは何かの動物のようでした。見覚えがあるよな、ないような……。ぼんやりとしていると、その黒い物体はいきなりリリアの顔にぶつかってきました。
「痛っ」
寝ぼけていたリリアには、その衝撃は強すぎました。思わず声を上げてしまいました。でもそのおかげで目が覚めました。ピントを黒い物体に合わせてみます。動物の顔でした。これは……うさぎさんの顔です。とても見覚えのある顔なのです。
「……イヘヤ?」
リリアがそう言うと、うさぎさんは鼻をひくひくせました。どうやら当たりのようです。
上に乗っかっているイヘヤを落とさないように起き上がります。リリアが起きたのを確認するや否や、イヘヤはぴょこんと掛布団の上から降りてしまいました。そして扉の方に向かって走っていき、下の方についているイヘヤ専用の小さな扉から出て行ってしまいました。
せっかく気を付けて起き上がったのに……。イヘヤにはリリアの気遣いが伝わらなかったようです。
イヘヤはリリアが飼っている、黒くてふわふわしたうさぎさんなのです。触り心地がとてもいいので、よくもふもふしています。もふもふしすぎるとたまに噛みついてきます。
今朝みたいに起こしてくれたり、一緒に遊んでくれたりお昼寝したり、リリアといつも一緒にいてくれます。いいお友達なのです。
そんな風にイヘヤのことを考えていると、ドアをノックする音がリリアの部屋に響きました。
「リリアー。起きましたか? 入っていいですか? 入りますね!」
朝からテンション高めの男性の声がドアの先から聞こえました。リリアが返事する前にその声の主は部屋に入ってきました。不法侵入されました。訴えたいのです。
「おはようございます、リリア。今日も可愛らしいですね!」
丁寧な口調でリリアに話しかけてきたのは、シルクハットを被り、タキシードを着たお兄さん。クリーム色の髪から覗く、眼鏡をかけたお顔はいつもニコニコしています。でもそのニコニコはリリアの前だけのようで、他の場所ではあまり笑っていません。不思議な人なのです。
「おはようなのです、ハタ。いつも言っていますが、リリアが返事してから部屋に入ってほしいのです」
「そんなっ……! 僕は一分一秒でも早くリリアの顔を見たいのに……返事が返ってくるまで待てと言うのですか!?」
ハタは絶望したかのようにそう言いました。実際、絶望しているのかもしれません。でも毎朝ノックするくせに、入っていいか聞くくせに、答える前に入ってくるのです。リリアが怒るのも当然なのです。
「もし、次にリリアの返事を待たずにドアを開けたら、一週間必要最低限しかおしゃべりしません」
こう言えば、返事をする前に部屋に入ってくることはなくなるはずです。ハタは悲しそうに俯きました。ハタのニコニコしている以外の表情を見るのは久しぶりなのです。
「リリアと……一週間話せなくなる……。それだけは……避けなければ!」
「なら、ちゃんとリリアの返事を聞いてから部屋に入るのです」
「わかりました……。リリアが言うなら、僕は従います。僕はリリアの為に生きているのですから」
顔を上げそう言うと、ハタはにっこりとしました。いつものニコニコに戻ったようです。
「ではリリア、今日はお茶会です。どのようなお洋服がよろしいですか?」
「お茶会?」
「今日は毎週恒例のお茶会の日ですよ?」
そうでした。リリアのお屋敷では毎週お茶会を開きます。リリアは身体が弱くてお外に出られません。学校に行ったことなんてないので、リリアにはお友達がいません。それを寂しいと思ったことはありませんし、ハタたちがいるので毎日楽しいのです。
けれどハタが言うには、リリアと同じ七、八歳くらいの子たちとも遊んだ方がいいそうです。そこでハタはお茶会を開こうと提案してきました。リリアは平気と言ったのに、ハタは色々と準備をして、お客さんを呼んでお茶会を開くのです。
毎週土曜日、午後六時から。大広間でみんなとお茶会。最初は緊張や不安がありました。けれどハタたちが色々手助けをしてくれたおかげで、今では楽しみになりました。
「どうしますか? いつも黒いお洋服ですから、今回は明るめの色にしてみますか?」
「今日も黒いお洋服でいいのです。リリアには黒が似合っているのですよね?」
リリアのお部屋には鏡がありません。絵本の中では自分の姿を映してくれるものとかいてありました。でも、リリアのお部屋どころか、お屋敷のどこにも見かけたことがないのです。リリアが見つけられないだけなのでしょうか?
そんな理由で、リリアには本当に黒が似合っているかどうかわからないのです。だからたまに、不安になってしまいます。そんなリリアに気付いたのか、その不安をかき消すかのように、ハタは満面の笑みで言いました。
「はい、そうです! リリアの可愛さを最大限に引き出すのは黒いお洋服ですよ」
クローゼットの方に近付きその扉を開けると、ハタはフリルの付いた黒いワンピースを取り出しました。そしてリリアの方を振り向いて、興奮気味に言いました。
「これなんてどうでしょう? 今日はキュートさ全開でいきましょう!」
「それでいいのです」
リリアは少し引きました。でもハタは気付いていないようです。ハタのテンションは変わらないままでした。
「では、ネマヤにこれを着せてもらうように伝えておきますね」
「はいなのです。ところで、そのネマヤは起きているのですか?」
「今日はまだ見かけていませんが……おそらく大広間で寝ているのでしょう。いつものことです。では、朝ごはんにしましょうか」
ワンピースをクローゼットに戻し、ハタはリリアの方に近付いてきます。リリアの前に立つと、白い手袋をした手を差し出してきました。リリアがそれを取ると、ハタはニコニコしていた顔をさらにニコニコさせました。そして朝ごはんを食べるために、大広間に向かって歩きはじめました。
大広間の大きな両開きの扉を開くと、少し先の床にネズミ耳をつけたお姉さんが倒れていました。
ハタと同じクリーム色の髪に、同じ色のお耳を付けているので、ネズミには見えません。それをハタに言った時、「そういう色のネズミもいますよ」と言われました。ハタがそう言うなら、そういうものなんだと思います。
倒れているお姉さんに対して、ハタはため息をつきながら呼びかけました。
「ネマヤ、起きてください。ごはんにしますよ」
「いーやー……、おなかいっぱいよー……」
ハタが呼びかけると、お姉さん――ネマヤは寝返りを打ちながらそう言いました。寝言なのに見事にお返事をしています。
ネマヤはいつも眠そうにしています。いや、寝ていると言っても過言ではありません。どこでも寝れるのが特技だと、前に本人が言っていました。ハタは寝ているネマヤを見つける度に、ネマヤの部屋に運んであげているそうです。
そんなネマヤに、リリアも呼びかけます。
「ネマヤ、ネマヤ、起きるのです」
リリアたちはみんな揃ってごはんを食べます。なので、ネマヤが起きないとごはんが食べられないのです。ハタと繋いでいた手を離し、ネマヤに近づき屈むとゆさゆさと揺さぶります。
「リリアは早く朝ごはんを食べたいのです。ネマヤが起きないと食べられないのです」
「やめてー……。スパゲティはもうむりー……まきつかないでぇ……」
そう言うとネマヤは身体をくねらせ始めました。いったいどんな夢を見ているのでしょうか?
起きる気配が全くないネマヤ。いつの間にか隣に立っていたハタはため息をつきました。
「仕方ありませんね。最終手段に出ましょう」
「そうですね……。本当はしたくないですが、朝ごはんのためなのです」
「では猫を連れてきますので、リリアはここで待っていてください」
猫、という単語をやたら強調してハタはそう言いました。するとなんということでしょう。今までぐっすり寝ていたネマヤが飛び起きたではありませんか。作戦成功なのです。ネマヤは猫が大の苦手で、単語を聞くだけで警戒心を強めます。
「猫!? やめっ、ちょっ、だめ! 絶対だめ!」
両腕で身体を抱きかかえながら周りを素早く確認するネマヤ。ものすごく怯えていました。そんなネマヤの頭をリリアはそっと撫でました。
「おはようなのです、ネマヤ。猫はいないので安心してほしいのです」
「あっ……、おはよう、リリア。ほんとに? 猫いない?」
「いないのです」
「よかったぁ……」
縮こまっていた身体をほぐし、ほっとした表情を浮かべていました。落ち着いたみたいでよかったのです。これでやっと朝ごはんに――
「安心したら眠くなってきたわ……」
たどり着けそうなのに!
安心したネマヤはまた寝始めようとしています。それだけはいけません。リリアの朝ごはんがかかっているのです。ネマヤには起きてもらうのです。
「ネマヤ、寝ちゃダメなのです! 起きるのです!」
リリアはそう言うと、ネマヤのほっぺをつねります。容赦なく、つねります。そうしないと寝てしまうくらい、ネマヤの寝たいという気持ちは強いのです。
「や、やめっ、わかった、わかったから! ほっぺつねないでぇ!」
涙目でネマヤがそう訴えてきます。ちょっとかわいそうですが、ここで甘やかすとまた寝てしまうでしょう。リリアは心を鬼にして、ネマヤのほっぺをつねります。
「ごはんなので、寝ない。絶対に寝ちゃダメなのです。おーけー?」
「おーけー! おーけーです!」
「寝たら、猫さんを飼います。おーけー?」
「おーけーです!」
最初の返事よりもはっきりと言いました。それほど猫さんがダメみたいです。珍しくネマヤの目がぱっちりと開かれています。
さすがにここまでくれば寝てしまうことはないでしょう。リリアはつねっていた手を離しました。ネマヤはほっぺをさすりながら立ち上がって、自分の席へ向かいました。リリアも立ち上がって、自分の席へ行きます。ハタはいつの間にかいなくなっていました。きっと朝ごはんを持って来るために厨房へ行ったのでしょう。
椅子に座ってしばらくすると、ハタが朝ごはんを乗せたカートを押してやってきました。そしてリリアたちの前に次々と料理を置いていきます。
今日の朝ごはんはフレンチトーストにコーンスープ、デザートとしてヨーグルト。朝からコーンスープは重いような気がしますが、ハタの作るものはとても美味しいので許せてしまいます。
並べ終わったらハタも椅子に座ります。ちょうどイヘヤも大広間にやってきて、ごはんの入ったお皿の前に座ります。これで、このお屋敷に住むみんなが揃いました。やっと朝ごはんが食べられます。
「それではいただきましょうか」
「はいなのです」
こうしてリリアの一日は始まるのです。
*午後二時*
お昼の一番眠くなる時間から、リリアたちはお茶会に向けて準備を始めます。
お茶菓子などのお料理はハタが一人で用意してくれます。お料理を作れるのはハタしかいませんから、当然と言えば当然なのです。ハタの作るお茶菓子は普段のお菓子と一味違うので、いつも楽しみにしています。
お客さんを案内するのはなんとイヘヤのお仕事。ハタが書いたお手紙を持たせて、森の外にあるらしい村に届けるそうです。うさぎさんが招待状を届けるなんて、ちょっと変わっています。イヘヤは可愛いので、『しゅうきゃくこうか』があると前にハタが言っていました。
大広間をお茶会用にセットするのはネマヤです。不思議なことに、お茶会の準備をするときだけはちゃんと起きています。毎回豪華な飾りつけをして、リリアを驚かせてくれます。ネマヤの意外な特技なのです。
みんなそれぞれお茶会に向けて準備をしていますが、リリアには何もすることがありません。ハタのお手伝いをしようとしても、断られてしまいます。何度か頼んでみましたが、
「リリアはお茶会のためにゆっくりしていてください!」
と言われて、お部屋に戻されてしまいます。そして、ネマヤが着替えの手伝いに来るまで大人しく待ってほしい、と頼まれてしまいます。そうなってしまうとリリアはどうしようもありません。無理を言って押し通そうとしても、ハタはきっと許してくれません。変なところでリリアの言うことを聞いてくれないのです。
なので、リリアはハタの言いつけを守ります。ですが、みんなが頑張っているのに、一人だけ何もしないのは心苦しいのです。だからといって、下手にお部屋から出て、みんなに迷惑をかけるのは嫌なのです。仕方なく、リリアはお茶会の準備が始まると、お部屋で一人遊んで過ごします。
今日もお茶会の準備が始まってしまいました。リリアは自分のお部屋で待機なのです。この時間だけは寂しいのです。一人で遊ぶのも飽きてきました。
そういえば、今日は外が少し騒がしいような気がします。ですが、リリアのお部屋には窓がないので、確かめようがありません。退屈なのです。
「お手伝い、したいのです……」
リリア以外、誰もいないお部屋でぽつりと呟きます。ネマヤが来るまでまだまだ時間があります。リリアは退屈で仕方ないのです。ちょっとお屋敷を探索してみましょうか?
「……たまには、いいですよね」
反抗期、というやつです。今までいい子にしてきたのですから、今日くらいは出歩いたってバチは当たらないはずです。
……決めました。リリアはこれからお屋敷を探索します。そして、できたらこっそりお手伝いしたいのです。お手伝いがバレそうになったら妖精さんのせいにすれば万事解決なのです。
リリアはお部屋から出るべく、扉の前へ行きます。開けようとドアノブに手をかけようとしたとき、突然扉が開きました。びっくりして、尻餅をついてしまいました。
「わっ、リリア!? 大丈夫?」
開いた扉の先にいたのはネマヤでした。ずいぶん早く、リリアのお着替えの手伝いに来たようです。どうして今日に限って早いのでしょうか? タイミングの悪さを呪います。
「大丈夫なのです」
「よかったー……。リリアに何かあるとハタが怒り狂うからなぁ……」
「ハタの溺愛にはリリアも困っているのです」
「好かれる方も大変ね。それより、どうしてリリアは扉の前にいたの? いつもより早く来たんだけど」
気付かれてしまいました。誤魔化そうかと思いましたが、ハタと違ってネマヤはちゃんとリリアのお話を聞いてくれます。物は試し、です。お手伝いできるかどうか聞いてみることにしてみました。
「実はですね、リリアはハタたちのお手伝いをしたいのです」
「お手伝い?」
「お茶会のです。いつもリリアはお部屋で待っています。でも、たまにはみんなのお手伝いをしたいのです」
「手伝いたいって気持ちは嬉しいし、実際そうしてくれると助かったりするけど……ハタが何て言うかなんだよなぁ」
困った顔をしてネマヤはそう言いました。どうやらネマヤ自身は、リリアがお手伝いすることに賛成のようです。
問題はハタが許してくれるかどうか。ハタは怒ると怖いらしいです。リリアに対して怒ることはないので、本当に怖いかどうかはわかりません。ですが、ネマヤがとても困っている顔をしているので、相当怖いのでしょう。ネマヤに迷惑をかけてしまったかもしれないと、リリアは少し後悔しています。
やっぱり大人しく待っています、と伝えようとしたとき、ネマヤは屈んでリリアの耳元に近付き、そっと言いました。
「今日だけ、お手伝いさせてあげる」
これは驚きです。ちょっぴり後悔していましたが、それが吹き飛んでしまうくらい意外な展開なのです。
ネマヤが顔を離したので、表情が見えるようになりました。ネマヤはまるで少し楽しげに微笑んでいました。
「いいのですか? ハタに怒られませんか?」
リリアはそこが心配です。見えないところでネマヤが怒られるのは心苦しいのです。
「うーん、バレたら怒られるだろうね、きっと」
「やっぱり……」
「でもいいのよ。こっそりすればいいし、いつもひきこもっていちゃつまらないもの」
人差し指を唇に当ててウインクをするネマヤ。これが小悪魔、というものなのでしょうか?
ネマヤは立ち上がるとリリアに手を差し伸べてきました。
「さあ、大広間に行こう。おめかし前にお手伝いだ」
「はいなのです!」
リリアはその手を取りました。そしてネマヤと二人、大広間に向かいました。
その途中、視界の端に黒い何かがいたのは気のせいでしょうか?
大広間は普段の静かな雰囲気と打って変わって、豪華に飾りつけをされていました。お花がたくさんあって、独特の匂いを漂わせています。テーブルのセッティングはお茶会仕様になっています。白いティースタンドが、シャンデリアの光を反射していてとてもきれいです。お菓子を乗せてお客さんが来れば、今からでも始められそうです。
……あれ? それではリリアがお手伝いすることがないような気がします。
「ネマヤ、リリアは何をお手伝いすればいいのですか?」
視線をネマヤに移して、リリアは聞きました。するとネマヤはリリアを見て言いました。
「リリアにはもっとお花を持ってきてほしいんだ。花瓶にさしてあるから、あとはここに持って来るだけ。小さいからリリアにも持てるはずだよ」
ネマヤと手を繋いだまま、大広間から小さなお部屋に連れていかれました。普段は使わない、倉庫のようなところでした。そこには花瓶がいくつかあって、お花がさされていました。
「この花瓶を持っていけばいいのですか?」
「そう。どこに置くかはいつもセッティングしてあるのを見ているからわかるよね?」
「はいなのです」
「じゃあ、私は他にやることがあるから離れるよ」
そう言ってネマヤは足早に倉庫っぽいお部屋から出ました。
「あ、ここと大広間以外には行っちゃダメだよ? ハタに見つかったら怒られちゃうかもしれないから」
お部屋から出る前にネマヤはそう言い残しました。ハタに見つかったらリリアもネマヤも怒られてしまうでしょう。リリアは怒られてもいいけれど、ネマヤは怒られてほしくないのです。ちゃんと言いつけを守ります。
倉庫っぽいお部屋から大広間までは、そんなに遠くありません。花瓶も重くありませんし、数も六つぐらい。すぐ終わってしまうかもしれません。
「よいしょっ」
扉を開けなくてはならないので、一つずつ運びます。水を零さないように、足元に注意しながら大広間に向かいます。慣れないことだったので時間はかかりましたが、無事に一つ、大広間に運ぶことができました。すごく気をつけながら動いたので疲れました。リリアにはハードなのです。でも、リリアからお手伝いしたいと言ったのです。挫けるわけにはいきません。
二つ目、三つ目と運んでいくうちに慣れてきて、最後の一つはスキップをしながら運びました。
「これで最後、なのです」
コトン、とテーブルに花瓶を置きます。これであのお部屋にあった花瓶を全部、大広間に運ぶことができました。ミッションコンプリートなのです。
そういえば、ネマヤに運び終わったらどうするのか、聞くのを忘れてしまいました。このまま大広間に残っていたら、お茶菓子を持ってくるハタとばったり会ってしまいそうな気がします。それはとってもよくないのです。
どうしようか悩んでいると、急に大広間の外が騒がしくなりました。ハタやネマヤじゃない、聞いたことのない人の声がいくつか聞こえました。何を言っているかまでは聞き取れません。お客さんがもう来たのでしょうか? 初めて会うお客さんにリリアはわくわくしました。どんなお客さんか気になります。
扉を開けようとしたとき、突然悲鳴が聞こえました。それにびっくりして、リリアは扉から手を離してしまいました。悲鳴の次に、聞き覚えのある声がとぎれとぎれに聞こえてきました。
「――を――いますか? ほう、――と。では、あなたたちは――――ということですね?」
ハタの声はあまり歓迎しているように聞こえません。さっきから聞こえてくる初めての声はお客さんではないのでしょうか? 泥棒、なのでしょうか?
大人しく自分のお部屋に戻ったほうがよさそうです。そう思ったのはいいですが、お部屋に戻るには声がした方の扉から出る以外、方法がありません。つまり、リリアはほとぼりが冷めるまで大広間から出られないのです。ピンチなのです。
「ここに――――って本当だったんだ……」
「あなたたちには――――」
「な、なにを言って」
その続きは聞こえませんでした。そのかわり、何かが暴れまわって、物を壊しているような音が聞こえてきました。扉の先がどういう状況なのかよくわかりません。
物音と一緒に、また悲鳴が聞こえてきました。ハタと他の人たちの間で何が起きているのでしょうか? よくないことが起こっているのは間違いなさそうです。もしかしたら、ハタがピンチになっているかもしれません。
そう思った瞬間、ハタの呻き声がリリアの耳に入りました。
「ハタ!」
心配になったリリアは扉を思いっきり開き、大広間から飛び出しました。その先に広がっていた光景は、リリアにとって衝撃的でした。
目の前には見慣れたハタの背中がありました。よく見ると、肩に不気味なシミと切り傷が出来ていました。
ハタの前には人が三人いました。女の人が二人、男の人が一人です。女の人たちは怯えた顔をしてハタを見ていました。男の人は女の人たちを背中に庇いながら、ナイフをハタに向けていました。この人は頬に殴られた痕がありました。
「ハタをいじめないで!」
この状況、どう見てもハタが襲われています。ナイフは怖かったですが、大切な家族が襲われているのです。リリアは震える身体を無理矢理動かして、ハタの前に出て庇いました。
それまで、その三人はリリアの存在を認識していなかったようです。リリアを見た瞬間、目を見開いていました。そして一言、
「……化け物!」
と言いました。
「ばけ、もの?」
化け物と言うと、絵本の中に出てくる、人を襲ったり物を壊したりする悪い生物を想像します。どうして初対面の人に、リリアは化け物と言われているのでしょうか? リリアは何も悪いことをしていません。むしろナイフを持った男の人の方が悪いと思うのです。
「リリア!? どうしてここにいるんですか!?」
「ご、ごめんなさい……。でもハタが――」
「ああもう、細かいことは後です。リリアは逃げてください!」
「ハタも逃げるのです!」
リリアはそう言うと、ハタの手を掴んで自分のお部屋に向かって走り出しました。追いかけてくるかと思って、後ろをチラリと見てみます。男の人たちはこちらを見るだけで、追いかけては来ませんでした。
リリアのお部屋に着いた途端、走った疲れがどっと襲ってきました。扉を閉めるのも忘れて、お部屋に入って二、三歩歩くとハタの手を離し、その場に座り込んでしまいました。ハタもハタで、少し息が上がっているようです。
「大丈夫ですか? リリア」
「大丈夫、なのです。でもすごく疲れました」
「リリアはあまり走りませんからね。よく頑張りました」
そう言うとハタはリリアの前にやって来て、目線を合わせるように屈みました。そして、リリアの頭を撫でてくれました。ハタに撫でられると落ち着きます。
「ところでリリア。どうして大広間にいたんですか?」
やはり、問い詰められてしまいそうです。リリアはあの状況になるまでのことをハタに話しました。ハタは呆れた顔をしていました。ネマヤには申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。せめてネマヤが怒られないように、ハタを説得します。
「ハタにお願いがあります」
「なんでしょうか?」
「ネマヤのこと、怒らないでほしいのです。お手伝いしたいと頼んだのはリリアなのです。ネマヤは悪くないのです」
「リリアは、優しいんですね。ネマヤがいいと言わなければこんなことにはならなかったと思わなかったんですか?」
そう言ったハタの顔はとても悲しそうでした。どうしてそんな顔をしているのでしょうか?
それにハタの言っていることがよくわかりません。手伝いたいと頼んだのはリリアなのに、ネマヤが悪いような言い方をしています。ネマヤはリリアのお願いを叶えてくれただけなのに……。
「ネマヤは悪くないのです。お願いしたリリアが悪いのです」
「そう、ですか」
ハタは腕を組んで考え込んでしまいました。どんなことを言われてしまうのか不安です。しばらくして、ハタがゆっくりと口を開きました。
「今回だけは、リリアに免じてお咎めしません。実際、あのままだったら僕は重傷を負っていたかもしれませんし」
「ありがとうなのです!」
ネマヤが怒られずに済んでよかったです。ホッとしていると、ハタは真剣な表情で言いました。
「そのかわり、約束してください。もう準備の時間に出歩かない、と」
「どうしてなのですか?」
「たまに、先程のような賊が入ってきます。彼らは容赦なく僕たちを襲います」
「だからリリアにはお部屋で待っているように言ったのですか?」
ハタは静かに頷きました。リリアを守るために、ハタたちは色々考えていたのですね。
そのことを知って、リリアは恥ずかしくなりました。ただ単にリリアが邪魔だからとか、このお屋敷の主だからとかじゃなかったんですね。ハタたちがリリアのことをここまで想っていてくれて、うれしいのです。
気づいたら、リリアの目から雫が零れ落ちました。次から次へと落ちてきます。
「リリア? 泣いているんですか?」
「ありがとう、ハタ」
困惑しているハタを見るのは初めてかもしれません。あたふたしているのが新鮮です。
そんなハタにリリアはそっと抱き付きます。ぎゅーってすると、抱き付いた方も抱き付かれた方も安心する、とネマヤが言っていました。使いどころが違うような気もしますが、リリアは今ハタをぎゅーっとしたい気分なのです。
抱き付いていると、ハタもリリアをそっと包み込んでくれました。
この落ち着いた時間が続けばいいのに……。
そう思ったとき、突然首元に痛みを感じました。何かで殴られたような痛みでした。ハタに抱き付いたままだったので状況が全くわかりません。ハタの悲痛な声が聞こえたような気がしました。
そのまま、リリアの意識はどこか遠くへ行ってしまいました。
*午後六時*
目を開けると、黒い物体がにゅるりとリリアを覗き込んでいました。見覚えのある光景なのです。
「……イヘヤ?」
ぼんやりとした視界がはっきりしてくると、覗き込んいるものの正体がイヘヤだとわかりました。イヘヤはリリアの問いに頷くかのように鼻をひくひくさせました。
「リリア、体調はどうですか?」
ハタの声が聞こえてきました。横を見ると、ハタが椅子に座って心配そうにこちらを見ていました。
「なんとも、なさそうなのです」
ゆっくりと起き上がると、リリアは手をグーパーさせたり、周りを見渡したりしました。身体に変なところを感じることはありませんでした。
リリアは何をしていたのでしょうか? たしか、お茶会のお手伝いをしたいと思ったら、ネマヤが早く来ました。だから、お手伝いしたいと頼んでみました。そしたら、意外にもしていいと言われました。花瓶を小さなお部屋から大広間から運んで、それから……。
それから、何があったのでしょうか? 記憶がそこだけぽっかりなくなってしまっています。途中で寝てしまったのでしょうか?
「リリアは寝てしまったのですか?」
「そうですよ。ネマヤの手伝いをしている途中で寝てしまったんです」
「まるで、ネマヤみたいなのです。人のこと、言えなくなってしまいました」
「リリアはいいんですよ。でも、こういうことがないように、今度からは部屋で大人しく待っていてくださいね?」
「はいなのです」
この約束、前にもしたような気がします。でも思い出せません。デジャヴのようです。
「お茶会の時間ですが……どうしますか? 今日はやめておきますか?」
たぶん、リリアの体調を気遣ってくれての発言なのでしょう。そんなハタの優しさを感じながら、リリアは笑顔で言います。
「するのです。せっかくみんなが用意をしてくれたのです。お茶会、したいのです」
「わかりました。では、ネマヤを呼んできますね」
そういうとハタは立ち上がりました。イヘヤはいつの間にか扉の前にちょこんと座っていました。まるで、ハタが扉を開けるのを待っていたかのようでした。
「少し待っていてくださいね」
そして、ハタとイヘヤはリリアのお部屋から出ていきました。
その後、お部屋にやってきたネマヤにお着替えを手伝ってもらって、二人で大広間に行きました。お手伝いしたときとは違い、三段あるティースタンドにはお茶菓子が乗せられていました。
ハタはシルクハットを取り、綺麗なお辞儀をしました。そして、空いている手をティースタンドに向けました。
「本日のお茶菓子は、普段のものとは少し趣向を変えてみました。スコーンはいつも通りのバター風味でございます。ジャムは新しい材料で作ってみました。何を使ったかは秘密です」
一番上の段にあるスコーンはこんがり狐色に焼き上がっていて、香ばしい匂いを漂わせています。ティースタンドの横に置いてある白い容器には、真っ赤なジャムが入っていました。所々茶色っぽいのはおこげでしょうか?
「そして、今回はミートパイを作ってみました。お茶に合うかはわかりませんが、美味しさは保障しますよ」
真ん中の段にはこんがりと焼かれたミートパイが並べられていました。食べやすいように切り分けられてます。お茶会に出すなんて珍しいのです。試してみないとわからないこともありますよね。
「最後に、たまにはインパクトがあるものを思いまして、目玉のゼリーを作りました。お茶とゼリー、合いそうにない組み合わせですが、こういう趣向もいいかと思いまして。食べるのに抵抗があるかもしれませんが、慣れれば平気ですよ」
一番下の段には目玉がごろごろと乗っていました。正直、気持ち悪いです。ですが、ハタの作った料理です。きっとおいしいのでしょう。慣れるのに時間がかかりそうですが……。
「では、お茶会を始めましょう。今回もお客さんは来ませんでしたが、ごゆっくりとお楽しみください」
ハタが椅子を引いて、リリアに座るように促します。リリアが座るとネマヤも椅子に座ります。ハタもお茶を注ぎ終えると自分の席に座ります。
リリアとハタ、ネマヤにイヘヤ。今日も三人と一匹だけのお茶会が始まりました。
ハタの言う通り、今回もお茶会にお客さんは来ませんでした。実は、お茶会を開いてから一度もお客さんが来たことはありません。ハタたちだけのお茶会も楽しいですが、お客さんがいた方がもっと楽しいと思うのです。
だから、リリアたちは何度もお客さんを誘います。リリアのお友達になってもらうために。リリアたちと楽しくおしゃべりするために。
もし、黒いうさぎさんが招待状を持ってきたら、それはリリアたちからのお茶会のお誘いなのです。是非、遊びに来てほしいのです。最高のおもてなしをしますよ!




