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1.絶望の朝

挿絵(By みてみん)

朝日が昇る前の、まだ空が灰色をしている時間だった。


レオン・ブライトは、いつものように鶏小屋の掃除をしていた。


十七歳になったばかりの彼は、農家の三男として生まれ、毎日同じような仕事を繰り返していた。


この村は平和だった。いや、平和だと信じていた。


王国の兵士が守ってくれている。魔物は遠い森の奥にしかいない。自分たちは安全だ。


それは、何の根拠もない思い込みだった。


「レオン!朝飯だぞ!」


母の声が聞こえた。レオンは箒を置いて、家に向かって走った。


家の中では、家族全員が揃っていた。


父、母、長男のトマス、次男のジェイク。そして、レオン。


「今日も良い天気になりそうだな」父が言った。「畑仕事が捗るぞ」


「魔物が増えてるって噂を聞いたけど」ジェイクが不安そうに言った。


「大丈夫だ」父は笑った。


「王国が守ってくれる。俺たちは真面目に働いていればいいんだ」


レオンは黙って朝食を食べていた。


父の言葉を信じていた。いや、信じたかった。


平凡だけれど、家族がいて、友達がいて、平和な日々がある。それで十分だと思っていた。


しかし、その「思い込み」が、どれほど脆く、無価値で、愚かなものか。


あと数時間で、レオンは思い知ることになる。


正午を少し過ぎた頃だった。


レオンは畑で野菜を収穫していた。太陽が高く昇り、汗が額を伝っていた。


その時、村の鐘が鳴り響いた。


ゴーン、ゴーン、ゴーン。


緊急事態を知らせる鐘。しかし、レオンはその意味を理解するのに数秒かかった。


この村では、一度もこの鐘が鳴ったことがなかったからだ。


村の入り口の方から、黒い煙が上がっているのが見えた。


「火事...?」


その瞬間、悲鳴が聞こえた。


女性の悲鳴、子供の泣き声、男たちの怒号。


レオンは鍬を放り投げて、村の方へ走った。


村に着くと、そこは地獄だった。


家々が燃えている。人々が逃げ惑っている。そして、そこには見たこともない生き物たちがいた。

魔物だ。


人間よりも大きな体を持つ、獣のような姿をした魔物たち。彼らは村人たちを追いかけ、殺していた。


いや、「殺していた」という表現は生温い。


彼らは村人たちを「狩っていた」。


遊ぶように。楽しむように。笑いながら。


「やめろ!」レオンは叫んだ。


しかし、誰も彼の声を聞いていなかった。いや、聞く余裕がなかった。


レオンは家族のことを思い出した。家にいるはずだ。


彼は必死に家へ向かって走った。


途中で、友人のマイクが倒れているのを見つけた。


「マイク!」


レオンは駆け寄った。マイクの体には大きな傷があり、血が流れ出ていた。


「レオン...」マイクは弱々しく言った。


「魔王だ...魔王が来た...王国の兵士は...全滅した...」


「魔王...?そんな...」


レオンは理解できなかった。魔王は伝説の存在のはずだ。本当にいるのか?


「逃げろ...お前だけでも...」


マイクはそれだけ言うと、動かなくなった。


レオンは震えた。初めて見る、人の死。


しかし、考えている暇はなかった。


家族だ。家族を助けなければ。


レオンは再び走り出した。


その時、背後から気配を感じた。振り返ると、そこには巨大な魔物が立っていた。


魔物は大きな斧を持ち、レオンを見下ろしていた。


その目は赤く光り、口からは腐った肉のような臭いが漂っていた。


「人間の子供か」魔物は人間の言葉を喋った。「良い獲物だ」


レオンは動けなかった。恐怖で体が固まった。


これが、本物の「死」だ。


理不尽で、容赦なく、一方的な「死」。


魔物が斧を振り上げた。


「死ね」


その瞬間、誰かがレオンを突き飛ばした。


レオンは地面に転がった。目の前で、長男のトマスが魔物の斧を受けていた。


「兄さん!」


トマスの体が真っ二つに裂けた。血が噴き出し、レオンの顔にかかった。


温かい。生きていた証が、レオンの顔を濡らす。


「逃げろ、レオン!」トマスは最後の力を振り絞って叫んだ。「お前だけでも...生き...」


言葉の途中で、トマスは動かなくなった。


レオンは立ち上がって走った。涙が止まらなかった。


なぜだ。なぜこんなことが。


俺たちは何もしていない。ただ、平和に暮らしていただけだ。


なぜ、殺されなければならないんだ。


しかし、世界はレオンの疑問に答えなかった。


家に着くと、そこも燃えていた。


「母さん!父さん!ジェイク!」


レオンは叫びながら家の中に入ろうとした。しかし、炎が激しく、近づくことができなかった。


その時、家の中から悲鳴が聞こえた。


母の悲鳴だった。


「いやああああ!助けて!誰か!」


そして、その悲鳴は突然止まった。


レオンは膝をついた。何も見えなかった。涙と煙で視界が歪んでいた。


「なんで...なんでこんなことに...」


その時、村の中心部から、恐ろしい力を感じた。


それは、これまで感じたことのない、圧倒的な何かだった。


まるで、世界そのものが歪んでいるような感覚。


レオンは引き寄せられるように、その方向へ歩いた。


理由は分からない。ただ、そこに「答え」があるような気がした。


村の広場には、一人の男が立っていた。


黒いローブをまとい、顔は見えない。しかし、その存在感は圧倒的だった。


周囲には、王国の兵士たちが倒れていた。全員、生きているかどうかも分からない。いや、明らかに死んでいた。


魔物たちは、その男の周りに跪いていた。


まるで、王に仕える騎士のように。


「これが...魔王...」


レオンは呆然と呟いた。


伝説の中にしか存在しないと思っていた魔王。それが、目の前にいる。


魔王はゆっくりとフードを下ろした。


現れたのは、意外にも普通の人間の顔だった。三十代後半くらいの、鋭い目をした男性。顔には古い傷跡があり、黒髪は短く整えられている。


しかし、その目は違った。


人間の目ではなかった。


深い闇、虚無、そして何か計り知れない何かが宿っていた。


「お前は...生き残りか」魔王は低い声で言った。


レオンは答えられなかった。恐怖で声が出なかった。


「なぜ俺を見ている?」魔王は尋ねた。「逃げないのか?」


レオンは答えられなかった。足が動かなかった。


いや、違う。


逃げたくなかった。


ここで逃げたら、全てが無意味になる。


家族の死、友人の死、村人たちの死。


全てが、ただの「偶然の不幸」になってしまう。


「家族が...」レオンはようやく声を絞り出した。「家族が...殺された...」


「そうか」魔王は無感情に頷いた。「それで?」


「それで...?」


レオンは理解できなかった。何を聞かれているのか。


「お前は、どうしたい?」魔王は尋ねた。「死にたいのか?復讐したいのか?それとも、ただ泣きたいだけか?」


レオンは拳を握りしめた。

「俺は...」


言葉が出てこなかった。


何を言えばいいのか。何を望めばいいのか。


「答えられないか」魔王は冷たく笑った。「なら、お前は何も望んでいないということだ」


「違う!」レオンは叫んだ。「俺は...お前を倒したい!」


その言葉を聞いて、魔王は声を上げて笑った。


それは嘲笑だった。


「お前が?俺を?」


魔王は一歩前に出た。


その瞬間、レオンは圧倒的な力に押しつぶされそうになった。


それは物理的な力ではなく、存在そのものの重さだった。


まるで山が迫ってくるような、海に沈められるような、圧倒的な絶望。


レオンは地面に倒れ込んだ。呼吸ができなかった。心臓が潰れそうだった。


「これが力の差だ」魔王は言った。「お前と俺の間には、決して超えられない壁がある」


レオンは必死に顔を上げようとした。しかし、魔王の威圧だけで、体が動かなかった。


まるで、虫が人間を見上げているような感覚。


いや、それ以上だ。


自分が「存在していないもの」のように感じた。


「俺は...」レオンは必死に声を出した。「強く...なる...」


「強くなる?」魔王は冷たく笑った。「どうやって?」


「訓練...して...」


「無駄だ」魔王は断言した。「お前は生まれつき弱い。才能もない。可能性もない」


「違う...」


「違わない」魔王は否定した。「証拠を見せてやろう」


魔王は手を伸ばした。


その瞬間、レオンの体が宙に浮いた。


いや、持ち上げられた。


魔王は片手で、レオンの首を掴んでいた。


「お前は、家族を守ることすらできなかった」魔王は冷酷に言った。「兄は、お前を守るために死んだ」


「やめろ...」


「母は、お前の名前を呼びながら死んだ」


「やめてくれ...」


「父は、お前が逃げるための時間を稼ぐために戦った」


「頼む...もうやめてくれ...」


レオンは涙を流した。


魔王は、レオンを地面に投げ捨てた。


レオンは地面に倒れ込み、嗚咽した。


「これが現実だ」魔王は言った。「お前の弱さが、家族を殺した」


「俺が...殺した...?」


「そうだ」魔王は容赦なく言った。「お前がもっと強ければ、家族は死ななかった」


「もっと早く気づいていれば、魔物と戦えるだけの力があれば、勇気があれば」


「しかし、お前には何もなかった」


レオンは叫び声を上げた。


それは悲鳴だったのか、怒りだったのか、自分でも分からなかった。


魔王は満足そうに頷いた。


「良い目だ」魔王は呟いた。「憎悪に満ちている」


魔王は手を伸ばし、レオンの額に触れた。


その瞬間、レオンの体に激痛が走った。


まるで脳に焼き鉄を押し当てられたような痛み。


「これは『絶望の刻印』だ」魔王は説明した。「お前は、この痛みを一生忘れない」


「お前の弱さを、一生忘れない」


「お前の無力さを、一生忘れない」


レオンは叫び続けた。しかし、魔王は容赦しなかった。


痛みが治まった後、レオンは地面に倒れ込んだ。意識が朦朧としていた。


「いいか」魔王は最後に言った。「これが世界の真実だ」


「弱者は、強者に蹂躙される」


「それが自然の摂理だ」


「お前の村が襲われたのは、弱かったから」

「お前の家族が死んだのは、弱かったから」

「お前が生き残ったのは、俺が見逃したから」


魔王は立ち上がった。


「覚えておけ。お前は運が良かっただけだ」


「俺の気まぐれで、生かされただけだ」


「お前の意志も、努力も、祈りも、何の意味もなかった」


魔王は魔物たちに合図を送った。魔物たちは従順に魔王の後ろに並んだ。


「なぜ...」レオンは尋ねた。「なぜ、この村を...」


魔王は振り返った。


「理由が必要か?」


「...」


「ないぞ」魔王は答えた。「強いて言えば、暇だったからだ」


その言葉に、レオンは絶望した。


家族の死に、理由すらない。


ただの気まぐれ。


魔王は闇の中に消えていった。


レオンは一人、燃え盛る村の中に取り残された。


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