自殺願望のある悪役令嬢は処刑されたくてたまらない
立派なお屋敷の見える庭園で、色素の薄い金髪の少女が首を吊っていた。
「……うぅぅ」
綺麗な庭園の真ん中に樹齢百年ほどの木が生えている。枝先に結んだ縄が垂れていて、縄の反対側の輪っかが少女の首に深くめり込んでいた。周囲にひとの気配はない。どんなに助けを呼んでも声は届かないだろう。少女はだらりと両腕を投げ出し、口の端から唾液を垂れ流していた。苦しそうに呻き声を漏らしながら、血走った眼球を忙しなく動かしている。しかし、その口元は不気味に弧を描き、呻き声とともに「うひひ」と喉を鳴らしていた。普通に考えたら奇妙に映る場面だが、彼女のことを知っている両親や使用人は見慣れた光景だ。実際、屋敷の窓から彼女の様子を見た使用人は呆れた表情を浮かべていた。
そう、彼女こそ言わずと知れた死にたがりの公爵令嬢、エリーゼ=フォン=ウシャトールそのひとなのだから。帝国内でもその名を知らない者はいない変人だ。なぜ彼女がこうまでして自殺するようになったのか。その理由は、彼女の生い立ちに関係する。
帝国の公爵令嬢として誕生したエリーゼは、両親の愛情を受けて蝶よ花よと育てられた。ある日、趣味の童話を集めていた母親が一冊のお伽話を読ませてくれた。
そのお話は死神と妖精の恋物語だった。天真爛漫な妖精の少女が一言も喋らない美丈夫の死神に惹かれていく筋書きだ。冒頭はお互いのことを異性として意識し始めるが、双方の仲間が相手を毛嫌いしているため進展しない。業を煮やした妖精が仲間に内緒で死神と駆け落ちしようとした。だけど、そのことが仲間にバレてしまい塔に閉じ込められてしまった。その窮地を救ったのが死神だ。死神が塔のてっぺんの檻を破壊し、檻の中に幽閉された妖精を連れ出したのだ。
湖のほとりに逃げた妖精は、ここまで運んでくれた死神に涙を流した。
「私は貴方とともにいたいだけなのに。どうして私たちの愛をわかってくれないんでしょう。誰も認めてくれないなら、いっそ貴方と心中したいです」
すると、いままで頑なに口を閉ざしていた死神が言葉を紡いだ。
「貴女が望むのなら、我は貴女とともに死出の旅に赴きましょう。たとえ地獄の業火に焼かれようとも、我が貴女をお守りします」
真剣な表情を浮かべた死神が小瓶を取り出した。それは一滴でも口にすればあの世に誘われる劇薬だ。死神の覚悟を嬉しく思った妖精は、その劇薬を死神とともに服用した。手を繋いで一緒にあの世へと逝ったふたりは、曇りない顔のままあの世へと旅立っていった。
お伽話を読了したエリーゼは心を奪われた。死神、ものすごく魅力的な殿方ですわ。妖精さんに対する深い愛情を燃やし、彼女のためなら自らの命を投げ打つ胆力を持っている。なんて素晴らしい男性なんでしょう。この御仁と添い遂げたら、きっと幸せな日々を過ごせるに違いないわ。
この出来事がきっかけで、エリーゼは死神の虜になった。死神のことを想う日は一日たりとも欠かさなかった。彼のご尊顔をイメージして編んだぬいぐるみが部屋中を埋め尽くした。知り合いの画家に頼んだ絵画がいまでも屋敷の至るところに飾られている。
終いには、死神と早く逢いたくて自殺するようになった。伝承が確かなら、死神の住まいは地獄にあるはずだ。あいにくエリーゼは病弱ではないため、早々に死ぬことはない。手っ取り早く死神と逢うには自殺するしかない、と至った訳だ。もちろん両親や使用人にきつく止められた。それでもなお、エリーゼは死神に逢いたい気持ちを抑えられなかった。身内の反対を押し切って、ついにエリーゼは自身の手首にナイフの刃を入れた。
だが、ここでひとつの誤算が生じた。地獄から下界を覗いていた死神が、エリーゼの狂愛っぷりに肝を冷やしてしまった。身の危険を感じた死神は、エリーゼに不死の呪いをかけた。死を司る神によって授けられた呪いは、エリーゼに永遠の命をもたらした。エリーゼはそのことにまったく気づいていない。地獄から出禁にされたエリーゼは、なぜ死ねないのかを知らず自殺を繰り返した。入水自殺、焼身自殺、服毒自殺、首吊り自殺、飛び降り自殺。思いつく限りの自殺を試みたが、やはり命を落とせなかった。死神に逢えない苦しみにもがき苦しむ日々が続いた。抑圧に押し潰されそうになった時、現状を打破する妙案を閃いた。
「そうだわ。私が蛇蝎の如く嫌われる悪役令嬢になればいいじゃない。そうなれば、処刑を宣告されるはずだわ!」
最初に思いついた時はグッドアイデアだと自信を持てた。自分では死ねないなら、誰かに殺してもらえればいい。できれば両親や使用人に自分を殺させるのは避けたい。なるべく関係の薄いひとに嫌われるように立ち回ろう。
さて、問題はどう嫌われるかだ。中途半端な悪役令嬢では成功には繋がらないだろう。誰もが認める稀代の悪役令嬢を演じる必要がある。となれば、公衆の面前で自身の悪行を追求される状況がいちばん望ましい。
もっとも最適なシチュエーションは婚約破棄だ。十五歳のエリーゼは第二皇子のオリオンと婚約を結んでいる。政治的な意味合いが強い婚約を、当のオリオンは放棄していた。現にあの皇子はタチアナとかいう男爵令嬢と乳繰り合っている。エリーゼに対する感情がないのは明白だ。女帝陛下の勅命を無視するとは何事か、と指摘する気はさらさらない。むしろそこに付け入る隙がある。
まず、タチアナを徹底的に虐める。これでもかと懲らしめて、現場を目撃した人間にエリーゼの悪行を広めさせる。噂を聞いたオリオンが、社交界の場でエリーゼに婚約破棄を言い渡す。そして、怒りに震えるオリオンがエリーゼを断罪するのだ。ギロチンの刑に処す、と無慈悲に宣告して。
その光景を想像するだけで高揚してきた。なんて素敵な最期なんだろう。オリオン殿下、一刻も早く私の首にギロチンの刃を落としてくださいな。
この計画を成功に導くには色々と根回しが必須だ。各方面に足を運んで、適当に悪事を働いていこう。大丈夫、万事うまくいくはずだわ。私には死神さまがいるんだもの。
「早く死神さまに逢いたいわ。誰か私を処刑してくれないかしら」
だんだんと意識が遠のいていく中、エリーゼは恍惚の笑みを浮かべたまま恋慕を口にした。
***
半年後。マーニャの月、十三の日。時刻は午後八時を回った。
帝都の中心部に位置する宮殿、その大広間で舞踏会が開かれていた。基本的に皇族が社交界の場を設ける際に使用される一室だ。会場内では貴族の面々が絢爛豪華な酒食に舌鼓を打っている。その大広間の中央で、怒気をはらんだ大音声が響いた。
「エリーゼ=フォン=ウシャトール。貴殿との婚約を破棄する!」
怒りに任せた宣告が会場内にいるお歴々の注目を集めた。彼らの視線が集中する中央には、三人の王侯貴族が佇んでいる。
一人目はいま名前が挙がったエリーゼ=フォン=ウシャトール。美しい金髪を靡かせる麗人だ。最近では自殺を興じる酔狂人と噂されている。
二人目は第二皇子のオリオン殿下。紅の髪をオールバックにした眉目秀麗の青年だ。数多のご令嬢を骨抜きにする凛々しい目つきは健在だ。
最後はタチアナ嬢。帝国の南方地域を治める男爵家の淑女だ。夜空を想像させる黒髪と童顔が良いイメージを与えている。
どうやら彼らは言い争いをしているようだ。周囲から状況を観察している貴族たちは、エリーゼたちの口喧嘩に耳を傾けた。
「お前がタチアナに仕出かした悪行、俺はすべて把握しているぞ! 学園ではタチアナに血のついたナイフをチラつかせたりしているそうだな。社交の場でも同様の犯行を聞いている! もはや言い逃れはできまい! 貴殿との婚約は白紙にさせてもらう!」
こめかみに青筋を立てたオリオンがまくし立てていく。彼がエリーゼの罪状を列挙するたびに、周囲の貴族たちが眉をひそめた。
さらにオリオンは「貴殿の罪は万死に値する! 貴殿をギロチンの刑に処す!」と眉間にしわを寄せたまま告げた。激情家のオリオンらしい短絡的な発言だ。婚約者相手を蔑ろにした言動が血も涙もない。この場に女帝陛下が同席していたら、婚約破棄したバカ息子を叱責していただろう。
そんなオリオンに対して、エリーゼは顔を俯いて自身の身体を抱いた。小刻みに身体を震えさせながら、前髪に隠れた口元を釣り上げた。
……ついに、ついにやり遂げましたわ! 婚約者のオリオンに処刑を命じられる日が来た!
悲願だった処刑宣告を受け止めて興奮してきた。この日のためにどれだけ下準備を進めてきたことか。同じ学園に在籍するタチアナを追跡し、必要に応じて悪逆の限りを尽くした。タチアナの悲痛に歪んだ顔が昨日のように眼に浮かぶ。彼女を虐めるだけで心が晴れやかになった。帝国の政府機関にも顔を出し、非道な行いをして悪役令嬢を磐石なものにした。その努力が実を結んだんだ! ほーっほっほっほっほっ!
やっとの思いで死神さまに逢える。ずっとお慕いしていた死神さまと巡り会える。嗚呼、愛しい死神さま。そこのアホ皇子に処刑してもらいますので、もう少しお待ちください。あなたのエリーゼがお迎えにあがります。
おもわず含み笑いを漏らしていると、正面から「あの……少しよろしいでしょうか」と控えめに問いかけられた。首を傾げたエリーゼは、背筋を伸ばして声のしたほうに向いた。手を上げたタチアナがおずおずと前に出た。
「殿下がわたくしを心配する気持ちは痛いほど伝わりました。ですが、殿下が仰られたことに語弊があります」
「語弊だと? 言ってみろ」
説明を要求されたタチアナは、周囲のお歴々を眺め回してから、ゆっくりと話し始めた。
「あれは二週間前の昼休みでした。学園の裏庭で伯爵令嬢のミリナさまとそのお友達が「あんたなんか殿下に相応しくないわ。部をわきまえて身を引きなさい」と詰め寄ってきたんです。わたくしは「殿下がわたくしを懇意にするかどうかは、殿下のお決めになることです」と意見しました。が、ミリナさまが「男爵家のくせに生意気なことを言うんじゃないのよ!」と声を荒げられて、懐から出したナイフをわたくしに振り下ろしたんです」
タチアナはそこで言葉を区切り、呼吸を整えてから話を続けた。
「そこに割って入ったのがエリーゼさまでした。あのお方はわたくしとミリナさまの間に入って、素手でナイフを止めたんです。「乙女の顔に傷をつけようとするなんて。あなた、貴族失格ですよ」と凄みを効かせた物言いでミリナさまたちを追い払ってくれました。本当は痛いはずなのに、血に濡れた手を我慢しながら「想い人を取られないように殿下の手を繋ぎ止めておきなさい」とわたくしにデコピンをなされて立ち去りました。ですので、エリーゼさまは悪くないんです!」
会場中に聞こえるようにはっきりとした声で事の真相が明かされた。周囲のお歴々が感嘆の息を漏らした。間近で聞いていたオリオンは、驚愕したまま硬直してしまった。同じくタチアナの供述を耳にしたエリーゼもまた固まっていた。
あのアマぁぁぁぁ!? なに余計なことを言ってんのよ!? そりゃあタチアナを助けたのは認めるよ? だけど、あくまであの馬の骨に獲物を取られたくなかったからだ。私の獲物を横取りされたら、せっかくの計画が水の泡になる。ゆえに助太刀しただけだ。肝心の虐めも思ったより効いてないし。このままじゃあ私の悪役令嬢計画が失敗に終わってしまうじゃない! どうしましょうぅぅ!?
傾き始めた状況に頭を悩ませていると、
「そのことでしたらワタシもエリーゼさまについて申したいことがあります」
お歴々の中から名乗り出る者が現れた。丸いグラスのメガネをかけた初老の男性だ。一歩前に出た彼はオリオンに「殿下、発言してもよろしいでしょうか?」と断りを入れた。オリオンは「許す」と発言を許可した。「ありがとうございます」と恭しく礼を述べた初老の男性は居住まいを正した。
「ワタシは財務省に勤めている者です。三ヶ月前、いつものように仕事をしていると、突然エリーゼさまが職場に現れました。なにしに来たのか、と訊きましたら少しの間だけ帳簿の整理を手伝ってあげるわ、と申されたんです。何度断っても引き下がってくれませんでしたから、仕方なくエリーゼさまに仕事を割り振りました。するとどうでしょう! 完璧に財務管理が行き届いているばかりか着服の痕跡まで見つけたのです!」
「なんだと!? それは本当か!?」
「ええ。詳しく調査したところ、職員のひとりが犯行に及んだ証拠を押さえました。エリーゼさまが見つけてくださらなかったら発見が遅れていたでしょう」
会計士がエリーゼの功績を讃えた。彼の発言を聞いて会場中の貴族たちが一斉に沸いた。甲高い歓声が会場中に響き渡る。誰もがエリーゼの功績を鵜呑みにしていた。
先ほどの証言通り、エリーゼは三ヶ月前に帝国の財務省に足を運んでいた。目的は悪役令嬢になるための根回しだ。急に割り込んで職員の仕事を奪い、帳簿を改竄してしまおうと筆を取った。この悪行が露呈されれば悪役令嬢の噂が広まる、と卑劣な算段を立てた。
唯一の計算ミスは、エリーゼ本人が自身の優秀さに無自覚な点だ。学園でも一二を争う成績を持つエリーゼは生徒会の会計を担っている。彼女が経理担当になってから違算知らずだ。おまけに過労死を引き起こそうとして、財務省の帳簿の整理を三日三晩寝ずに処理した。結果、会計士を感服させる事態に発展してしまった。
一気に逆転した状況にエリーゼの顔が青ざめていく。必死に起死回生の一手を打とうと頭を巡らしていると、またもや声を上げる者が現れた。四十代くらいのふくよかな女性だ。
「あたしは帝国病院に勤務している看護師です。二ヶ月前に帝都近隣で発生した流行り病の対処に当たっていると、そこのエリーゼ嬢が病人の看護をし始めたんです。ひとたび感染ると三割が死亡する感染症ですよ? それなのに、エリーゼ嬢は率先して甲斐甲斐しく看病してくれました。彼女がいてくれたおかげで現場は助かりました。エリーゼ嬢、誠にありがとうございました」
看護師はエリーゼに頭を下げて、誠心誠意の感謝を述べた。その事実にいっそう膨れ上がった歓声がエリーゼを包んだ。
確かにエリーゼは二ヶ月前の流行り病に首を突っ込んだ。情報を聞きつけて近隣の村に急行した次第だ。エリーゼが感染すれば迅速に死ねるし、失敗しても感染源のエリーゼを疎ましく思うに決まっている。そう考えて病人の面倒を張り切ったのに。なぜ感謝されるんだ?
看護師の証言が終わり、いったんその場は静まり返った。緊張感のある沈黙が会場内を満たしていく。お歴々がエリーゼたちの動向に固唾を呑んでいた。
しばらくすると、オリオンは息を長く吐いたのち、ぎこちない笑顔のエリーゼをきつく睨んだ。
「……此度の件は不問にする!」
釈然としない態度を取りながら、踵を返して会場を出ていった。タチアナがエリーゼに頭を下げたあと、オリオンのあとを追って出入り口に向かった。お開きになった会場の空気が弛緩していく。ただひとり、エリーゼは膝を落として床に手をついた。
「……なんでこうなったのぉぉぉぉ!?」
エリーゼの悲痛な絶叫が会場内にこだました。
結局、エリーゼの処刑宣告はおじゃんになった。
***
婚約破棄の騒動から一週間が過ぎた。
エリーゼは死神さまぬいぐるみが溢れかえる自室で羽を伸ばしていた。本日は学園は定休日だ。特に予定はないため、ぬいぐるみを抱きしめて癒されているのだ。日頃のストレスを解消したあと、ベッドから立ち上がって勉強机に移動する。机の上に置かれた羊皮紙の手記を開き、羽ペンを握ってインク瓶にペン先を入れる。真っ白なページに視線を落としながら、これまでに起こった出来事を思い出した。
あの一件を皮切りにエリーゼを取り巻く環境が様変わりした。
オリオンは以前にも増してよそよそしくなった。騒動以来、定期的に催されたお茶会のお誘いが来なくなった。親睦を深めるために行われていたが、へそを曲げた彼からの招待状は届いていない。学園でもすれ違うたびに目をそらされた。生徒会長のオリオンに事務処理の報告をしても言葉少なめに返されるだけだ。よっぽどエリーゼの残した功績が衝撃的だったんだろう。もうしばらくはギスギスした関係が続くはずだ。エリーゼにとってどうでもいいことだけど。
タチアナは一段と馴れ馴れしくなった。婚約破棄の騒動を経て、彼女に話しかけられる機会が増えた。具体的には学園内でのお茶会に誘われたり、座学の教えを請われたり。タチアナを虐めている本人なのに、彼女はエリーゼに対して好意的に接してくれる。まあ、鴨がネギを背負って来るので文句はない。今度のお茶会にタチアナを招待してやろうと思う。たっぷりの砂糖が入った我が家自慢のクッキーを振る舞ってやろうじゃないか。甘党のタチアナなら喜んで食べるに違いない。虫歯に苦しむタチアナを嘲笑するのが楽しみだ。ケ〜ケケケ。
「殿下。必ずや貴方の大切なひとを絶望の淵まで追い込みますので、首を洗って待ってなさい」
エリーゼは独り言を呟いたあと、羽ペンを持ち上げて羊皮紙にペン先を走らせた。
エリーゼの望みは死神と逢うこと。そのために歴史に名を残す悪役令嬢を目指している。あの皇子に処刑宣告を下され、断頭台に首を刎ねられる華々しい最期を待ち望んでいる。その夢を叶えるまでの間、エリーゼは日記を取ることにした。この記録を世に残しておけば、あの日読んだ童話の再現ができる。妖精と同じ最期を迎えるために精進しよう。
悪役令嬢エリーゼの歩みはまだ始まったばかりだ。




