【前編】 読まない感想が壊すもの
1.AI感想が増えた時代に
AIに作品を読ませ、AIに感想を書かせ、自分は中身を見ずにコピペして送る。
時間にして二、三分。――あなたは、どう思いますか?
*
最近、AIを使って感想やコメントを書く人が急増している。
その文章は整っていて、語彙も豊かで、まるで芸術のように美しい。
普通の読者には書けないような、耳触りの良い、優しい褒め言葉が並ぶ。
私は、それ自体を悪いとは思わない。
「うまく感想が書けないけれど、ちゃんと伝えたい」――
そんな人がAIの助けを借りて言葉を整えるのは、むしろ相手への誠意だと思う。
そこには**“読んだ時間”と“伝えたい気持ち”**がちゃんとある。
*
しかし、問題は“心を通さない利用”だ。
AIに作品を読ませ、AIに感想を書かせる。
そして、自分は“ちょい見”か――あるいは中身も見ずにコピペする。
――それはもう、感想ではない。
もちろん、どこかに「相手を応援したい」という気持ちはあるのかもしれない。
けれど、もしそれが、ただ“恩返し”の文化を利用して、
自分の作品を読ませたいだけなのだとしたら――。
その行為は、まじめに恩を返そうとする人の、
気持ちと時間を裏切っている。
そして、それを分かっていながら、
AI感想を量産しているのだとしたら――。
あえて、辛辣な言葉で、個人的意見を言わせてほしい。
――それは、誠実さを失った、醜い行為だと。
2.読むという行為は、時間を渡すこと
誰かの作品を読むとは、
その人のつくった世界を、同じ速度で歩くことだ。
一行ごとに心を動かし、
ときに立ち止まり、
ときに息を詰めて続きを追う。
そして、「伝えたい」と思った瞬間に初めて、
感想という“言葉の手紙”が生まれる。
だからこそ、本当の感想とは、
**「読者が自分の時間を差し出した証」**だ。
AI感想の量産が増えるということは、
その“証”がテンプレートに置き換えられていくということ。
――そして、その“証”が、テンプレートの山に埋もれていく。
つまり、真面目に読んでくれる人たち――
お粗末で、へたくそな感想しか書けない。
それでも、何度も書き直し、何度も読み返し、
送る前に、何度も何度も躊躇して、
勇気を出して、やっとの思いで「伝えたい」を送った人たちの、
その誠意と努力の価値が、軽く扱われてしまうということなのだ。
3.“恩返し”の文化と、壊れていく信頼
Web小説の世界には、昔からある美しい習慣がある。
「感想をもらったら、相手の作品を読みに行く」。
それは義務ではなく、心の往復だった。
だが、AIによる量産感想が増えると、その信頼関係は静かに壊れていく。
AIが書いた「素晴らしい作品でした!」
↓
誠実な人が「ありがとう」と思って読み返す。
↓
けれど、相手はそもそも読んでもいない。
その瞬間、「言葉を信じる文化」が崩れる。
――「相手を信じる心」が壊れる。
そして、善意で繋がっていた読者たちの関係も、静かに軋みはじめる。
もし、AIに読ませてAIが書いた感想に、
同じようにAIで書いた感想を返すのなら――それならいい。
機械と機械が褒め合うなら、まだ筋は通っている。
誰も見ていない場所で、二つのCPUが、飽きるまでやっててくれればいい。
だが、そこに人間の誠実を混ぜてはいけない。
感想とは、“読むという感謝”の延長線にある。
読まないのに書くというのは、
「感じていないのに、感じたふりをする」こと。
それはもう、読者を装った“模倣者”だ。
だから、少しでも誠実さが残っているのなら――一つお願いがあります。
『私は読んでいません。この感想は全部AIです。
だけど、どうしても応援する気持ちを伝えたくて!』
――最後にこれをつけてほしい。
それなら、まだ人を騙してはいない。
誠実とは、嘘をつかないことよりも、
“感じなかったことを感じたふりをしない”ことだと思う。
*
AIに読ませAI感想を送る――それは“読むという祈り”の冒涜だ。
けれど、いまや誰もがAIを使う時代に、その線引きはどこにあるのか。
「どこまでが誠実で、どこからが模倣なのか」
「AIの言葉と、人の言葉は、どう違うのか」
――その答えを探すために、
次は「AIと人間の感想の違い」について、少しだけ深く見ていきたい。
感情で読む人間と、構造で読むAI。
そして、“本気で読む”という誠実のかたちとは――。
(→後編『読むという誠実、そして祈り』につづく)




