25:ジャブも得意です
鈴緒と銀之介は、自宅最寄りのショッピングモールにいた。
普段の彼女であれば電車でここまで来ているため、終電にも気を配る必要がある――そう、田舎の終電は夜遊びを許してくれないのだ。
しかし今日は銀之介の車で来たため、そんな心配もない。ありがたい話である。
すっかり銀之介に甘えることを受け入れた鈴緒が、スポーツ用品店で眺めているのはヌンチャクだった。
何故か店内で一番目立つ、通路側にディスプレイされているのだ。なんでも、俳優のブルース・リー氏が劇中で用いていたヌンチャクのレプリカらしい。
ガラスケース入りで展示されているものの隣に、箱入りのヌンチャクも積み上げられていた。どうやら販売もしているようだ。
鈴緒は脳裏でほわほわと、『燃えよドラゴン』のヌンチャクシーンを回想する。あんな風に自分もヌンチャクをブンブン振り回せれば、親戚一同をかなりビビらせることが出来るはずだ。
しかし何故か途中で、椅子を盾にして戦うジャッキー・チェンが混入した。違う違う、と慌てて首を振る。あれはあれで凄いのだが、自宅の家具では絶対にしたくない。
鈴緒の脳内にチャウ・シンチーまで乱入して来た辺りで、銀之介が不意に呟きをこぼした。
「あ、ミニトマト……」
「うん? ミニトマト?」
鈴緒は不思議そうに、買い物かご片手に立つ彼を振り返る。ミニトマトがどうしたのだろう。
調理台に出しっぱなしにしたのだろうか。それともミニトマトとの、忘れられない恋でもあるのだろうか。
銀之介は鈴緒の視線を受け、気まずそうに無表情を崩した。「ミニトマト」発言は、無意識だったのかもしれない。
「些細な事なんだが……緑郎にカオマンガイを作ったのに、ミニトマトを付け合わせに出してしまっていたな、と」
「ミニトマトがあった方が、彩りはいいと思うけど……食べ合わせでも悪いの?」
食あたりでも起こすのか、と鈴緒は無邪気に尋ねた。銀之介は薄く笑って、首を一つ振る。
「いや。カオマンガイの場合、付け合わせはキュウリだけなんだ」
まさかのローカルルールである。鈴緒の灰青色の目がまん丸になる。
「え、ミニトマトは駄目なんだ?」
「ああ。トマトが許されるのは、シンガポールの海南鶏飯の方らしい」
「えぇぇ……ややこしい……」
どうやら似たような鶏と米を炊いた料理でも、それぞれの国でおこだわりがあるらしい。よりミニマムな問題になるが、日本人が目玉焼きの味付けで論争を起こすのと、次元としては同じものなのかもしれない。
銀之介は小難しい表情でうめく鈴緒の手元から、ヌンチャクが入った箱をやんわり取り上げた。
「あっ」
「手から抜ける道具は駄目だと、緑郎からも言われてるだろ。これにしなさい」
代わりに彼が差し出したのは、ヘルメットと肘・膝用のプロテクター、リストガードの四点セットだった。近くにある、スケートボード用品の売り場から見繕って来たらしい。
防御を固めることも、たしかに大事だ。大事ではある、のだが――
「これ……子供用だよね?」
どれもキュートなパステルカラーで、しかもヘルメットにはピンクのうさぎが描かれている。完全にキッズ向けだ。あと二ヶ月もすれば二十歳の鈴緒にとって、なかなかの屈辱である。
どんよりした半眼で見据えられても、銀之介は動じない。そうだな、と気のない声で返事をしながらヘルメットのベルトを緩める。
そして不機嫌な鈴緒の頭へ、すぽんとそれを被せた。
「ほら、ぴったりだ。良く似合ってるよ」
無感動どころか、ちょっと面白がっている声音だった。シギィィッと、鈴緒が宇宙生物めいた声で彼を威嚇する。
「似合っても嬉しくない!」
「だが、このファンシーなヘルメットを被って奇声を発していると、異様さが増して丁度良い」
鈴緒も元々、バットを構えて大声で威嚇するつもりだったのだ。方向性は若干違うものの、親戚の度肝を抜くという意味ではうさぎヘルメットも有効だろう。
ただそれはそれとして――子供用がぴったりだという事実が、許しがたいのだ。
鈴緒はジャケットからスマートフォンを取り出す銀之介に背を向けつつ、ヘルメットを脱いだ。写真を撮られてたまるか。
「もっとまともなデザインにして」
「何故だ。可愛いのに」
「だから嫌なのっ」
心外そうな銀之介のしかめっ面を、鈴緒が唸りながら睨み返した。飢えたイノシシ感がある。
不機嫌な鈴緒は口を尖らせて続ける。
「それにわたしは、『徹底抗戦します!』って分かるように武装したいの。これじゃあ守りに入っちゃってるじゃん」
「そうだったな。では――」
元々彼女に嫌がられると分かっていたのか、銀之介は足元に置いた買い物かごから次弾を取り出した。
「ボクシング用のグローブはどうだ? 勿論子供用だ」
「もちろんじゃないよ? わたし、もうすぐ二十歳になるんだけど?」
「しかし鈴緒ちゃん。君が思っている以上に、君は小さい」
銀之介は飄々と返しながら、半ば強引に鈴緒へグローブを装着させた。悲しいかな、サイズはぴったりである。
そして今回も三毛猫の顔がデカデカと描かれた、大変ふざけたデザインだった。手の平には、ご丁寧にピンク色の肉球も描かれている。まあ、お可愛らしい。
鈴緒はしばし、ウインクする三毛猫と見つめ合った。
次いで据わった目のまま無言で、グローブのマジックテープを締める。やおら腰を落とし、銀之介の腹をぶん殴った。腰の捻りも利いた、見事な右ストレートである。
「うん。相変わらずいいパンチだ」
「そう思うなら痛がってよ……」
しかし彼女の渾身の一撃は、やっぱり六つに割れた腹筋に阻まれたようだった。鈴緒は全く懲りた様子のない彼に首をふりふり、グローブを脱ぐ。
悪ノリが過ぎるデザインであるものの、有名メーカーの商品なだけあり着け心地はよかった。子供用を選ぶのはかなり癪であるが、落ち着いたデザインのグローブならば購入もやぶさかではない。鈴緒はグローブを片手に、ボクシング用品売り場をぐるりと探す。
その時、彼女の肩にかけてあるレザーポシェットからかすかな振動があった。スマートフォンにメッセージが届いたのだ。
差出人は緑郎だった。




