24:ガチ勢じゃん
玄関で立ち話、で済ませるには長くなりそうだ。緑郎は不銅をリビングへ招き入れた。しかし鈴緒も銀之介もいないので、紅茶をティーポットで淹れたり、豆を挽いて珈琲をお出しするのは難しい。
緑郎はリビングの上座にある一人掛けソファに不銅を座らせ、その前にしゃがみ込んだ。
「なに飲む? ピルクルと、カルピスと、飲むヨーグルトと、あとインスタントコーヒーなら出せるけど」
「なんで選択肢の過半数が、乳飲料なんですか……」
「だっておれ、お腹弱いから。銀之介に飲んどけって」
「そうですか……インスタントコーヒーでお願いします」
「あ、牛乳と豆乳もあるけど」
「……それじゃあ、豆乳ラテで」
「豆乳ね。砂糖は?」
「少しだけお願いします」
「オッケー」
緑郎は気安い返事を残し、キッチンへ向かった。炊飯器からはシューシューと、蒸気と共に生姜とニンニクのいい香りが漂って来る。出かける前に銀之介が準備してくれていた、カオマンガイを炊いている最中なのだ。
用意したマグカップ二つに、目分量でコーヒーの粉末を入れて湯を注ぐ。ついでに豆乳もダボダボと景気よく入れた。豆乳を温めるといったひと手間は、この男の調理方法に存在しない。
だが緑郎の生態を熟知しているであろう不銅は、従兄手製の豆乳オレに味まで求めてはいないはずだ。それに愛情とカフェインと、そしてイソフラボンだけは惜しみない一品である。
現に不銅は、冷蔵庫から直送された豆乳のせいで若干ぬるくなった豆乳オレを、何も言わず素直に受け取った。
緑郎も斜め向かいのソファに座って、バカみたいに砂糖を入れた自分の豆乳オレを飲んだ。うん、これはバカの考えた甘さだ。さすがに入れすぎた。
「銀之介と鈴緒には、不銅のことバレてなかったのになー」
次いでカップを両手で持ち直し、高い天井を仰ぎ見て嘆いた。銀之介からは若干警戒されている気がするも、確信にまでは至っていないはずだ――と思いたい。
不銅もぬるい豆乳オレをちびちび飲みながら、ほのかに笑う。
「むしろ緑郎君は、よく僕が鈴緒を好きだと気付きましたよね」
言外に「鈍いのに」と言われている気がしたものの、そこは受け流すことにした。視線を不銅に戻し、おどけた仕草で肩をすくめる。
「これでも一応、鈴緒のお兄ちゃんだし? あの子に変な虫がつかないか、ちゃんと心配してますし?」
「ではお兄さんの立場から見て、旭谷さんは合格だったわけですね」
「あ、うん――いや、別にお前がダメなわけじゃないよ? 最後はほら、鈴緒の気持ちが一番大事だからっ」
伯母の気性に兄妹揃って迷惑することは多々あったし、不銅の生真面目さに苦笑いすることもあった。だが、二人とも不銅自体は嫌いではないのだ。
むしろ日向家の親族の中では、一・二を争って付き合いやすい部類に入る。
だから仮に、不銅が鈴緒へ告白をしていれば緑郎も応援していたかもしれない――二年半前までは。
でもさ、と緑郎が照れくさそうに口元を歪める。
「ちょっとこっぱずかしいこと言うけど……人が恋に落ちる瞬間、おれ、一回だけ見たことあるんだ」
「恋?」
「うん、銀之介がさ。鈴緒に会った時、今まで見たことない顔で固まっててさー。一目惚れしたのバレバレで、もうすごかったんだよ」
本人はバレていないつもりだったのだろうが、恐らく鈴緒当人以外には丸分かりであったはずだ。全員、高校時代からの付き合いである。
それにあそこまで露骨にドギマギされれば、むしろ「こいつ、惚れやがったな」と察してあげるのがマナーに違いない。
色恋に積極的ではなかった友人の、人生に一度あるかないかのそんな劇的場面を見せられて、緑郎も何も思わないはずがなかった。豆乳オレを再度飲んで続ける。
「だからそん時に、こいつの応援しよーって思ってさ……ごめん、不銅」
「いえ、謝られると余計に情けないので、止めてください。あれこれ考えて何も行動しなかった、僕が悪いわけですし」
不銅はカフェテーブルにマグカップを置き、ゆっくり首を振った。次いでその首をわずかに傾ける。
「でも失恋した僕への配慮にしても、交際を隠すのはやり過ぎじゃありませんか?」
「うっ……」
「それに母に知られたくないなら、僕に他言無用と念押しすれば、済んだんじゃないですか?」
不銅の片想いに気付いていたなら、訪問前に鈴緒の恋人の存在を仄めかせた方が傷は浅いはずだ。
また不銅は、自他ともに認めるクソ真面目君である。誰かの秘密を、面白半分で周囲にばらまくような真似はしないし、それを隠し通す自制心だってある。天職は聖職者かもしれない。
そして従兄である緑郎も、不銅のクソ真面目さは重々承知のはずだ。
不銅は不思議そうに、彼をじぃっと見据える。緑郎は柔らかな胡桃色の髪をかき回して、へにゃりと笑った。
「いやさー……新卒で色々大変なお前に、なんかこのタイミングで失恋までさせたらかわいそうかなーって……」
「またそういう、その場しのぎをして……」
げんなり、と不銅が目を細めた。
緑郎のこの謎の気遣いによって、不銅は誰にも何も相談出来ずに色々と気に揉んでいたのだ。
マンガ内ではラブラブだった鈴緒と銀之介が、実際に会うと妙によそよそしいし、あくまで同居人だと主張してくるのだ。
世界線を移動したのかと、当初は混乱しまくった。
また、喧嘩中なのだろうか、それとも別れたのに銀之介が図太く居座っているのだろうか、という邪推までしていた。
そのため銀之介をつい睨んでしまい、すぐさま睨み返されて漏らしそうになったこともあったのだ。漏らさなくてよかった。
ただ後先考えず、今この瞬間だけを生きている辺りは実に緑郎らしい。不銅は胃痛まで覚えていたこの一ヶ月ほどの記憶を振り返り、少しやさぐれたように笑う。
その時、離れた場所から電子音が聞こえて来た。ピーピーと二度繰り返された音に、緑郎が嬉しそうに目を見開く。
「あ、ご飯炊けた。不銅も食べてく?」
「よろしいんですか?」
「うん。銀之介がさ、カオマンガイ作ってってくれたから。一人じゃちょっと多いし」
キッチンに行くと、室内に食欲をそそるいい匂いが立ち込めていた。出所はもちろん炊飯器だ。
中を開けると、米と一緒に炊かれた鶏もも肉が一番上に鎮座している。その周囲には、香り付けのためのニンニクや生姜の塊もごろりと寝転がっていた。
炊飯器によって柔らかく炊かれたもも肉は、緑郎がなんとも危なっかしい手つきで皿に上げた。不安に駆られた不銅が途中で交代し、ニンニクや生姜も引き上げる。
一枚肉のもも肉は、あらかじめ皮面に焦げ目も付けていたらしい。そしてガスコンロには、野菜たっぷりのスープも用意されていた。抜かりのない状況に、不銅がつい笑う。
「旭谷さんは、確かに理想のお婿さんですね」
「お婿ってか、ママっぽいけどねー。色々うるさいし。昭和のおふくろっぽい」
緑郎が冷蔵庫からカオマンガイの付け合わせのキュウリやミニトマト、そしてソースを取り出しながらぼやいた。
不銅はつい先日、ガチ聖剣や銀之介のヤクザコスプレ写真を拝んだ直後だ。よって緑郎の発言によって、聖剣を背負った割烹着姿の銀之介を想像してしまった。
思わず笑いが込み上げ、慌てて頬の内側を噛む。
そして込み上げる笑いをねじ伏せ、不銅が宣言した。
「もちろん僕もお二人の仲を応援しますし、母にあれこれと告げ口するつもりはありません」
「うん、ありがとー」
緑郎がガスコンロに火を点けながら、ホッと笑った。しかしスープを温めるだけにしては火力がバカ強過ぎるので、不銅がさっと中火にする。ついでにカオマンガイの鶏もも肉も、食べやすい大きさに切った。
次いで彼は、表情を引き締めて従兄を見据えた。
「つきましては。お二人のためにも緑郎君の自立をお手伝いすべく、お勧めの料理教室をご紹介しますね」
「えっ、ヤダ。めんど――」
「面倒、とは言わせませんよ。今日は料理教室のパンフレットをお渡しするために、伺ったんですから」
不銅が持って来ていた紙袋には、パンフレットや料理本が入っているという。
それを聞き、緑郎は青ざめた。数多ある彼の苦手ジャンルの中でも、料理は頭二つほど飛びぬけているのだ。
「ヤダァーッ! おれ、このまま一生、スズたまと銀之介にたかるからいいのー!」
「いいわけないでしょうが。今、お友達と同居しているんでしょう? その方のご迷惑にもなりますから、駄目です」
どうやら不銅は単行本未収録の、エッセイ最新話もお読みであるらしい。原田との楽しいゲーム制作ライフまで把握されており、緑郎は涙目になった。
「うわぁぁぁぁーん! 熱心な読者すぎてヤダー!」
「もちろん新刊の発売日も把握していますし、来月実施予定のトークライブのチケットも入手済みですよ」
この言葉に、緑郎の頬が粟立つ。
「ひぃっ! マジで怖いんだけど!」
何故かドヤ顔で胸を反らす不銅に、緑郎は半端じゃない恐怖と一緒に一つの確証を得た。
クソ真面目なツラをしておきながら、さらりとストーカーじみた行為を見せつけて来る、このナチュラルボーンなアウトロー感――たしかに不銅は、自分と同じ血筋の人間である、と。




