23:華金の来訪者
「いい? 手からすっぽ抜ける武器だけはダメだからね? うっかり誤撲しちゃうでしょ? ってか銀之介も、鈴緒のドジっ子ぶりを知ってんだから、その辺ちゃんと止めてあげてよねー!」
緑郎はしょんぼりする鈴緒と、何故か不満げな銀之介にしっかり言い含めた。二人はこれから外で夕飯を食べがてら、ショッピングモールのスポーツ用品店へ行くのだ。ちなみに緑郎は、締め切りも近いためお留守番である。
鈴緒は兄のお小言をしっかり受け止めている様子だが、銀之介は思い切り眉をしかめている。
「鈴緒ちゃんが誤撲したとて、俺が息の根を止めれば問題ないだろ」
「ないどころか増やしてんじゃん、問題!」
この容疑者X、鈴緒が相手なら本当に罪を負いかねない。緑郎は再度鈴緒をじっとり見つめ、安全な威嚇用の武器を探すよう目で訴える。鈴緒も白い顔でコクコク、と何度も頷いた。
とはいえ今夜のデートのため、わざわざ可愛らしいおめかし服に着替えた鈴緒を、あまり引き留めてもよろしくない。親戚の前に緑郎がぶん殴られそうである、銀之介から。
それに彼にも予定はあるので、すぐに二人を見送った。
「あーあ、おれも彼女ほしいなぁ」
ドアを閉めた後、ついそんな独り言が漏れた。しかし、来るもの拒まずだった己の自業自得とはいえ、五股の泥沼修羅場を経験した後だとどうにも恋愛の優先順位が下がる。
もうしばらくは、グレイシアちゃんを画面越しに推す人生でいいかもしれない。日向家の跡取りも、たぶん問題なさそうだし。
その後、一時間ほど自室でカリカリと原稿執筆に勤しんだ。マンガの作画は全てパソコンで行うため、手が汚れたり大量の画材に圧迫されることがないのは実にありがたい。
(でも付けペンは、ちょっと憧れるんだよなー。なんか手塚治虫とか、エラい人が使ってるイメージだし)
ぼんやりとそんなことを考えている時だった。インターフォンが鳴ったのだ。ふとモニターの時計を見ると、十九時半を過ぎていた。宅配便か何かだろうか。
緑郎は素足のまま外に出て、二階の廊下に設置したドアフォンのモニターを見た。
そして温和な目を瞬く。
「あれ、不銅じゃん? 夜なのにどうしたの?」
しかも今日は金曜日である。カレンダー通りの勤務をしている社会人であれば、一刻も早く家に戻るか飲食店へ駆け込んで、来たる休日に浮かれている日のはずだ。
〈すみません、事前にご連絡しなくて。ちょっと緑郎さんにお渡ししたいものがあって〉
「おれに? ちょっと待ってねー」
緑郎はそう応えながら、自分の格好をちらりと見下ろす。ヨレヨレの長袖Tシャツに、これまたネズミの死体のようなスウェットパンツ姿であった。確実に、不銅からお小言を賜る怠惰ファッションだが――まあいいか、とあっさり諦めた。着替えるのが面倒なのだ。
玄関のドアを開けると、珍しくまともなスーツ姿の不銅がいた。仕事中は、あのキテレツファッションも鳴りを潜めているらしい。緑郎は彼の従兄として、内心でホッとした。市民の皆様に、要らぬ不安を与えていなくて何よりだ。
不銅は通勤バッグらしいバックパックの他に、紙袋を下げていた。その取っ手を握り直しながら、不思議そうに緑郎を見上げる。
「緑郎君が出迎えてくれるだなんて、珍しいですね」
「あー、うん……いま、鈴緒も銀之介もちょっと出てて」
まだ不銅に、二人が付き合っていることは伝えていない。明日の昼に言う予定なのだ。緑郎も濁して答えた。
なるほど、と不銅は頷いた。
「金曜日ですし、デートですね」
「うん――うぇっ?」
流れるように断定口調で言われ、うっかり同意してしまった。緑郎はつい、落ち着きなく視線を動かして慌てる。
焦る従兄の姿に、不銅が珍しく声を上げて笑った。
「緑郎君、僕が以前にあなたのマンガを読んでいると言ったこと、覚えていますか?」
「えっ? あ、うん、そりゃ覚えてるけど……」
「僕、緑郎君のエッセイマンガが大好きで、単行本も買っているんです」
その一言で、緑郎はすべてを察した。無意味に動かしていた手も止めて、背中を丸める。
「なんだ……スズたまが銀之介とデキてるの、最初から知ってたんだー……」
緑郎は単行本の書き下ろしエピソードとして、妹の彼氏を登場させていたのだ。火事で焼け出された強面の友人を家に招いたら、妹と恋に落ちたというほのぼのエピソードを添えて。
エッセイマンガらしく、簡略化させた四頭身の絵柄にこそしているものの、デカくて強面眼鏡の銀之介はとにかく特徴が多い。マンガ内には固有名詞を一切出していないが、見る人が見ればすぐに誰なのか分かるだろう。
そもそも火事で焼け出される人など、そう多くはない。
「おれ、まさか日向の人が本まで買ってるとは思わなかったんだけど……」
現に鈴緒や銀之介は、SNSで公開しているエピソードしか把握していない。薄情な話である。
だが不銅は、わずかに首を傾けて意外なことを言った。
「いえ、買ってる方は結構多いと思いますよ。父も読んでますし」
「げぇっ!」
緑郎が不細工な声を上げる。しかし、すぐに恐々と不銅の顔を覗き込んだ。
「……伯母さんは? あの人も読んでるの……?」
武器まで買って応戦する気満々だった、かの人物もご存知なのか。そこだけは知りたい。
だが幸か不幸か、不銅はゆるりと首を振った。
「いえ。母は……マンガのような娯楽は好まないので」
「あー、なんか分かる」
「ですが、あなたたちが元気なのかは気にかけているようです。トラブルはなさそうか、と僕や父に尋ねて来ますし」
「え、そうなんだ」
意外にも、伯母は自分たちの身を案じているようだ。緑郎が目を瞬く。
「……いやさ、伯母さんって潔癖でしょ? だから鈴緒が男と同棲してるのバレたら、まずいかなーって……なんかロケランとか撃ち込まれそう……みたいな? で、お前にもバレたくないなーって」
隠したところで無駄と思い知り、緑郎は素直にゲロった。彼の言葉に、不銅は微妙な表情を浮かべる。困っているような、呆れているような。
「母はそこまで過激派ではないかと……鈴緒が高校時代にストーカー被害に遭っていたことも知っていますから、むしろそばに頼れる人がいれば、喜ぶ可能性があります」
「そっかー……」
「あと強面の男性も好きらしく、俳優の綾野剛さんが好みと言っていました。なので顔の系統が近い、旭谷さんも大歓迎かと」
「……それは別に、知りたくなかったかもー……」
伯母から二人の交際を大反対されるどころか、銀之介強火勢になられた方が余計に厄介だ。主に緑郎の立場が。
しばらくは、絶対に会わせないようにしよう。
思った以上に、伯母は自分たちの身を案じてくれていたらしい。二人への小言の多さも、案外心配の表れなのかもしれない。緑郎の、ここ一ヶ月ほどの肩の荷も下りた。
情けない笑顔になる緑郎を見つめ、不銅は微苦笑を浮かべる。
「でも緑郎君は、それだけで鈴緒の交際を隠したわけじゃないでしょう?」
「え?」
「僕にも気を遣ってくれてましたよね? 鈴緒にずっと、片想いをしていますし」
すみません、と続けて謝る不銅を、緑郎は目をまん丸にして見下ろしていた。
どうやら鈴緒たちには悟られていなかった、彼へのもう一つの気遣いも、本人には筒抜けであったらしい。
「なんだ……そっちもバレてたんだ」
「はい。緑郎君だけ、妙に僕の顔色を窺っていましたので」
不銅はそう答え、再び申し訳なさそうに笑った。緑郎もつられて肩をすくめる。
「鈴緒よりは、嘘が上手なつもりだったんだけどなー」




