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22:まあ、こうなるよね

 これまでの鈴緒のモーニングルーティンは、【起床→トイレ→洗顔・化粧→着替え→先見→朝食→登校】という、先見という特殊過ぎるイベント以外は取り立てて面白味のないものだった。なお稀に早起き出来た際は、着替えと先見の間に【近所のマダムに混じって、銀之介の朝練観察】が入る。


 しかし今、先見の後にも新しいルーティンが組み込まれていた。その相棒である使い古されたバットを握りしめ、鈴緒は裏庭に立っていた。バットは牧音からのおさがりだ。

 彼女は来たるべき親戚との一戦に備えて、恫喝素振りの練習に日々励んでいるのだ。

 裏庭は、日向邸の勝手口から出入りできるようになっている。その勝手口の真横には、木刀を携えた銀之介も控えている。


 彼が見守る中、鈴緒は一心不乱でバットを振っていた。最初はフルスイングするバットの流れに体の軸まで持って行かれていたものの、今では危うげのないフォームになっている。日常動作は不器用な反面、体幹はしっかりしているおかげだろう。


 鈴緒は軽くすぼめた口から息を短く、鋭く吐き出す。それと同時にバットが朝の澄んだ空気を切り裂いた。ブンッと、銀之介の素振りほどではないが小気味のいい音が周囲に響く。

 高校時代の体操服姿で素振りを繰り返す彼女の様子を、恐る恐る勝手口のドアを開けて窺う人物が二人いた。銀之介が、鈴緒より先に気付く。


「お、生きていたのか」

 銀之介のいつもの挨拶に、朝帰りの緑郎が甘い顔を苦々しげに歪めた。ドアも全開にする。

「昨日もメッセ送ったじゃん! すぐ殺すなよー……ってか、スズたま何してんの?」

「お前を撲殺する準備だろうな」

「えっ」


 勝手口から庭へ出ようとしたところで、緑郎が固まった。鈴緒の場合、その可能性がゼロではないのだ。


 銀之介の無表情が、驚愕する緑郎を眺めてかすかに緩む。

「嘘に決まってるだろ」

「もーっ、タチ悪いよー……」

「本当は、お前たちの親戚を黙らせる準備だ」


「は? いやいや、それも嘘――」

 だよね、とは続けられなかった。銀之介はスンとした無表情に戻っており、素振りを中断した鈴緒も兄の方を雄々しく振り返って

「わたし、分かったの。結局は暴力なんだよね」

とのたもうたのだ。肩に背負ったバットが、なんとも頼もしい。胸にマジックで書かれた「日向」の二文字は、度重なる洗濯でにじんでかなり不格好だが。


 たった数日会わなかっただけでのこの変貌ぶりに、緑郎がギャッと慌てる。

「なにその侍スピリット!? ってか、一体何があったの!?」

 緑郎は叫んで裏庭に踊り出たところで、目を見開き固まった。ハッとしたその表情から、何かを思いついたらしい。

「ひょっとして不銅と……何かあった? それか伯母さんが、スズたまを狙う闇の秘密結社とつながってる証拠が見つかった――とか?」


 もしも伯母が闇組織と結託しているなら、バットを握る前にスマホを握って通報案件であろう。鈴緒が呆れたように眉を下げた。

「あんな気難しい人が、どんな秘密結社に入るの?」

「えーっと……たとえば……全日本ケモナー撲滅連盟、とか?」

「それに狙われるの、クソ兄だけでしょ」

 鼻で笑った鈴緒に続いて、銀之介も忌々しげに目を細める。

「むしろ撲滅されろ」

「ひどいっ」


 目を潤ませて傷付く緑郎へ、鈴緒は不銅に全て打ち明けるつもりだと告げた。当然、緑郎は慌てる。

「えぇっ! そんなことしたら、伯母さんの方がモーニングスター片手に乗り込んで来るかもじゃん! 絶対おれ、狙われるってー!」

 緑郎の脳裏には、「あなたが保護者代わりザマスよ! 今まで何やってたんザマスか!」と吠えながら自分を殴る伯母の姿がリアルに描かれていた。なお伯母はザマス顔なだけであり、語尾に「ザマス」は付かない。


 鈴緒は、自分に縋りつきそうな兄から半歩下がって顔を伏せる。

「それはそうかも、だけど……でも、不銅くんを騙してるの、やっぱり気まずくて……それに、銀之介さんにまで迷惑かけてるのが、一番嫌なの」

「うっ」

「だって銀之介さん、伯母さんと会ったこともないんだよ? 知らない人のためにこんなに気を遣わせるの、おかしくない?」

「ううっ」

 畳みかける正論に、緑郎は身をよじってうめいた。


 緑郎とて、鈴緒と付き合っているからという理由だけで、銀之介に迷惑をおっ被せている現状に申し訳なさはあるのだ。だからこの前も、ビックリマンチョコで労おうとした。

 即座に「要らん」の三文字で拒絶されてしまったけれど。


 もじもじと困惑する緑郎への助け舟、あるいは駄目押しの一手がここで投入された。原田だ。

 今まで傍観者として三人のやり取りを見守っていた彼が、勝手口から身を乗り出して「ちょっといいかな」と切り出す。サンダルが足りないので、外には出られなかった。


「なあ、緑郎君。これは完全に無関係な人間の、個人の感想だけどな。あんまり親戚とか身内には、バレると後々厄介な嘘はつかない方がいいぞ?」

 そう言ってじっと、困り顔の緑郎を見つめる。

「でないと自分みたいに、嫁に愛想を尽かされた挙句、同窓会でうっかり再会した元カレと復縁されちゃったりするぞ!」

「原田くんの離婚ネタ、毎回笑うに笑えないんだよー!」

 緑郎が半泣きの表情を浮かべ、甲高い声で吠えた。


 ただ新しい友人の、無自覚なのか自覚ありなのか分からない捨て身のアドバイスは、効果抜群だったらしい。

 緑郎は一度だけ背中を丸めた後、小さな声で「分かった」と告げた。

「まあ、ご近所さんも知ってるんだから、どっかでバレる可能性はあるもんね、うん……でもさ、なんでバットで迎え撃つつもりなワケ?」


 結局戻って来た疑問に、鈴緒がどこか誇らしげに豊かな胸を反らした。

「牧音ちゃんと倫子ちゃんから聞いたの。うるさいこと言って来る人は、大声と暴力で黙らせるのが一番だって」

「もうそれ、ヤクザの手口じゃーん! 合法であってよ!」

「大丈夫。実際に当てるつもりじゃないし」


 幼い顔に力強い笑みを重ね、鈴緒はバットを構え直した。足も肩幅に開き、軽く膝も落とす。

「こうやって、スイングする時の音で威嚇して――あっ」

 空を切る鋭い音を立てながら、バットが手からすっぽ抜けた。バットはそのまま緑郎の顔面の真横を通り過ぎ、勝手口めがけてすっ飛ぶ。


 だが勝手口または原田に当たるよりも早く、銀之介が動いた。構えた木刀で、飛んでくるバットを真上に弾き飛ばしたのだ。

 弾かれたバットは一度宙を舞った後、クルクルと回転しながら地面に向かって落ちる。その途中で、銀之介が危うげなくバットを受け止めた。


「鈴緒ちゃん、すっぽ抜けには気を付けるように」

「ああぁっ、ごめんなさいっ!」

 淡々と鈴緒をたしなめる銀之介と、顔を真っ赤にしてバットを受け取る鈴緒――なんとなく、お互いに慣れた様子である。


 身体の操縦がド下手な妹を見続けて、今年で二十周年。兄である緑郎は瞬時に察した。鈴緒がバットをすっぽ抜けさせたのは、これが初めてではないはずだ、と。

 でなければ銀之介がわざわざ、木刀片手に彼女を見守っているはずがない。


 緑郎は珍しくおっかない年長者の顔になって、縮こまる妹を見た。

「鈴緒。この際、伯母さんたちを威嚇するのは、まあいいけど――バット使うのは禁止ね」

「……はい」

 さすがにこの現場を見られ、お咎めなしとは思わなかったので。鈴緒もシュン、とうなだれながら素直に従った。

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