8:巫女、スタンドアローンを画策す
前述の通り、緑郎は友人の原田氏の家に最近ずっと入り浸っている有様だった。
原田は趣味でインディーゲームを制作・販売しているが、実はその界隈ではそれなりに人気のクリエイターらしい。得意なジャンルはアドベンチャーだという。
本職がウェブデザイナーであるためか、スタイリッシュな世界観と洒脱な台詞が好評なのだそうだ。
ただ彼は、お洒落な画面は作れてもお洒落な絵柄で人物を描くのだけはどうも苦手だった。絵柄にだけは年齢がモロに反映され、一昔前の深夜アニメ風になってしまうのだという。あと、女性の服装もちょっぴりダサい。
キャラクターデザインに悩んでいた時、彼が絵画教室で出会った裸のモデルがまさかのマンガ家だったのだ。
そして緑郎はエッセイマンガで脚光を浴びて現在に至っているが、元が器用な人間である(注:料理を除く)。突飛な日常を描いた内容はもちろん、シンプルながらも可愛らしい、旬な絵柄でも人気なのだ。今はマンガ業と並行して、挿絵などの一枚絵の提供も行っているという。
――以上の事情から、緑郎は現在「友達の趣味を手伝う」というレベルを超えたアートワークス担当として、原田宅でもガンガン働いているのだ。
鈴緒はその姿に「根っこが怠け者なのに。お兄ちゃん、珍しいね」と目を丸くし。
そして彼の思惑を薄々ながら察している銀之介の方は「余計な気を遣いやがって」と、ちょっと苦々しく思っていた。とはいえ鈴緒との二人暮らしは大変楽しいので、面と向かって文句は言わないが。
一方で、新しい友人にがっつり居候されている原田はと言えば。鈴緒たちから「当家のバカ犬がご迷惑をおかけしてませんか?」と恐る恐る訊かれた際に
「むしろ嫁が子どもと一緒に浮気相手の家に行ってから、部屋が余ってましてね。ちょうどいいぐらいですよ! ハッハッハ!」
と、笑うに笑えない返しをして来た。ともあれ彼もこの状況を楽しんでいるようで、何よりである。
つまり不銅という危険因子が引っ越すまでは、全員がちょっぴり風変わりながら実に平和な日常を送っていたのだ。
だが風変わり故に、学級委員長タイプの彼からすれば不道徳認定を食らうであろう未来も、十分に予想出来るので。銀之介は緑郎の手を振り払ってから腕を組み、三白眼を不機嫌そうに細めた。
「一応、事情は分かった。痛くもない腹を探られるのは、確かに不愉快だな」
譲歩の姿勢に、緑郎が目を輝かせる。嬉しそうに両手を伸ばして万歳の姿勢になった。
「それじゃ、スズたまと付き合ってること、内緒にしててくれる?」
「それとこれとは話が別だ。そんな浅はかな嘘を吐いたところで、すぐバレるに決まってる」
「うっ」
万歳したまま、緑郎が固まった。彼を見据える銀之介の目は冷ややかである。
「そうなれば、余計に心証が悪い。先に開示しておく方が、傷は浅いだろ」
「うううっ」
彼の懸念はもっともだ。
なにせ鈴緒と銀之介が付き合っていることなんて、大学関係者のみならずご近所さんも全員知っているのだ。下手をすれば、この地区の全員が知っているかもしれない。田舎の情報網を侮ってはいけないのだ。ある特定の条件下ならば、それはCIAやMI6にも匹敵するだろう。
だがここで、二人のやり取りを見守っていた鈴緒がおずおずと参戦した。きちんと挙手もして割り込む。
「でも、わたしも……お兄ちゃんに賛成かな」
「――鈴緒ちゃん?」
銀之介が目を見開いて呆然としている。それは驚いたというよりも、まさか彼女に裏切られるとは思っていなかった、という衝撃のためだろう。
傷ついている彼の顔を出来るだけ視界の端に据え、鈴緒はしどろもどろながら言った。
「たぶん不銅くん、うちに来てもご近所さんと挨拶まではしないと思うし……ほら、今までも、そうだったから。だったら、その、銀之介さんの人柄とか知ってもらってから、お付き合いすることになってねー……って、ゆっくり報告しても、いいかなぁって……」
やはり、鈴緒は嘘が苦手だった。しかし
「最近わたし、銀之介さんに甘え過ぎだと思うの。だから不銅くんを言い訳にして、銀之介さんから自立する練習がしたいの。ちょっとでいいから、親離れしたいわけですよ。このまま依存しまくった挙句、痛々しいバカップルになりたくないしね、うん!」
などという本音は、間違っても言えない。
言ったら最後、銀之介から逆張り甘やかしの洗礼を受けそうだ。
鈴緒はたどたどしく建前を並べ終え、ようやく銀之介を真正面から見つめる。窺うような彼女の視線を受け、銀之介の険しい表情が更に強張った。見慣れていても、これは怖い。
「君の考えも、分かった。ついては一点だけ、教えてくれ」
バレたのか、と鈴緒は内心で身構える。膝の上に置いた手が、思わず握りこぶしに変わった。
「え、うん……なぁに?」
少しぎこちない笑顔の彼女へ、
「不銅くんなる従兄が、実は君の元カレだから告げたくないといった裏事情は――」
「ないないない! それだけは、本当にないッ!」
鈴緒がテーブルに両手を突いて、全力で否定する。
ここまで必死に否定をすると、かえって怪しまれる可能性もある。
しかし鈴緒はそんな懸念もぶん投げて、なんだったら顔色も悪くして自分の体を抱きしめている。
「小さい頃から知ってるから、お兄ちゃん二号ぐらいの感覚だもん。お兄ちゃんと付き合うなんて、無理ぃ! 気持ち悪い!」
全身で示す本気の拒絶に、ようやく銀之介の怖い顔が和らいだ。流れ弾で悲しげな緑郎を一瞥してから、鈴緒を再度見つめる。
「疑ってすまない」
「ううん。こっちも変なお願いしてるんだし……ごめんね?」
鈴緒がおずおずと首を傾げると、銀之介は小さく笑った。
「構わない。鈴緒ちゃんの言っていた通り、徐々に開示していくという案なら、俺も協力しよう」
鈴緒への甘やかしが常習化している銀之介が、彼女に勝てるわけもなかった。案外あっさり折れた彼に、緑郎が再度諸手を上げてはしゃぐ。
しかしその優しさから離れようと目論んでいる鈴緒は、ほんのり胃が痛むのを感じていた。つい、お腹をさすってしまう。




