7:横断歩道を渡る時は手も挙げる
鈴緒の送迎でゴネた銀之介であったが、その後は真面目に業務をこなしていたらしい。いつも通りの時間に帰宅した。
そしてリビングにいる緑郎を見つけ、意外そうに片方の眉を持ち上げる。
「なんだ、まだ生きてたのか」
無情にもほどがある言葉に、緑郎はソファの肘掛けをバンバン叩いて抗議した。
「失礼だなー。この通り、ピンピンしてらぁよ!」
「お前、原田さんにご迷惑かけてないだろうな?」
「それ、鈴緒にも訊かれたんだけど……大丈夫、ちゃんとやってるって」
「お前の大丈夫は、猫の『ご飯を貰ってない』アピール並みに信用出来ないんだよ」
つまり一切の信頼性がないらしい。
なお方々から心配されている原田は、既に自宅に戻っている。緑郎もマンガ家という本業があるので、今日からしばらくは自宅で作業をするらしい。
三日ぶりの三人揃っての夕食の席において、話題は自然と本日の鈴緒のお仕事になり。芋づる式に、従兄襲来事件も引きずり出された。
銀之介は日向兄妹の親戚が市役所に就職したという話を聞かされ、目をぱちくりする。
「聞く限りただのめでたい話だが、二人とも何故目が死んでるんだ?」
当然の疑問だろう。鈴緒が力なく笑った。
「うん、おめでたい話ではあるよね……だってね、就職できたんだもんね」
だがそう言う彼女の目は、相変わらず死んでいた。というよりも腐敗も順調に進んでいそうなので、銀之介はますます訝しげに眉を跳ね上げている。
「先見の巫女の仕事は、役所と連携する部分もあるよな」
「うん、そうだね。今日の入社式とか、水難事故の講習とかね」
佐久芽市に海はないが、川や湖はまあまあ存在する。あと、溜め池も。そのため毎年、水難事故も必ず起きているのだ。
死亡者が出ないよう、特にお盆前には注意喚起のための講習も行っている。これは先見の巫女と市役所に加え、警察署と消防署も協力する大型イベントだ。
しかし、もうちょっと楽しいイベントも欲しいものである。たとえばフリーマーケットとか。
「身内がそこにいれば、業務上も色々話しやすくなるんじゃないか?」
彼の言葉にうん、と鈴緒は更にもう一度頷いた。
「客観的にはね、そうかも。うん、銀之介さんの言う通りだと思うよ。きっと色々、相談しやすくなるはず」
「では主観的には?」
ここで鈴緒と、ついでに緑郎の肩が落ちた。二人ともテーブルに両手を突いてうなだれ、大きく息を吐く。こういった謎の連携に、兄妹の絆が見え隠れするものだ。
銀之介も鈴緒の隣で兄妹の連携プレイを眺めながら「ちょっと面白いな」と素直な感想を抱いていた。言えば二度と見れなくなりそうなので、決して言わないけど。
面白がられているとは露知らず、鈴緒が切ない声で答える。
「不銅くんってね……すっごく堅物なんだ」
「堅物」
「そう。風紀委員とか学級委員長とか、大喜びでやってくれるタイプだと思う。あとゴミ捨ても毎日してて、裏で回収業者ってあだ名付けられてたり……」
この言葉に緑郎も補足を入れた。
「あとさ、休日にみんなでチャリ乗って出かける時も絶対、学校指定のだっさい白ヘルメット被って来るタイプだと思う」
どちらもやけに具体的だ。実際にあったエピソードなのだろうか。
だからこそ、銀之介もつい無表情をしかめっ面に変えた。
「それは、かなり面倒臭そうな人物だな」
銀之介のこの所感に、鈴緒も前のめり気味になる。
「そうなの、すっごく面倒なの。いい人なんだけど……やっぱり面倒」
「むしろ善良で面倒な輩の方が、扱いは厄介だからな」
彼の意見は、なかなかにして手厳しい。ただ的を射たものでもある。
銀之介は真面目一辺倒かつ、文武両道でスパダリ属性な人間に見えるが、人並みにルーズな部分も多い。
掃除や料理といった生活の基礎で手を抜かない反面、趣味方面ではだらしないのだ。
たとえば――お試しの無料期間に加入したまま、放ったらかしになっているサブスク契約があったり。すぐに読まないのに、本を買っては積み上げたり。
おかげでかつての父の書斎の蔵書が、彼の居候によって爆発的に増えている。
ついでに言えば、彼の画力は蔑称としての画伯級であるし、また音痴でもあるという。出来ることが多ジャンルに渡っている一方、弱点も同じく多彩なのだ。
そして一方の不銅はと言えば、従兄妹視点においてそういった隙がほぼ見えないのだ。どこまでも品行方正かつ、学問も運動も芸術方面もそつなくこなせる真面目くんである。
エロ本やエロ動画をたしなんだ経験があるのかすらも、かなり怪しい。
エロ関係への課金は惜しまない、誠実エロ属性の緑郎が斜め向かいに座る銀之介の手を掴んだ。
「そこで銀之介。お前にお願いがあるの!」
「なんだ」
銀之介の顔には「手を掴むな、気持ち悪い」と書いてある。だが緑郎はそれを無視してさらにぎゅうぎゅう握りしめた。
「不銅には、鈴緒と付き合ってること絶対内緒にして! ほんとお願い!」
「は? 何故だ」
銀之介の顔が、八割増しで不機嫌になった。このまま緑郎の腕を握り返して、骨を粉砕しそうなご面相である。
しかし粉砕骨折される前に、緑郎が畳みかけた。
「あいつがクソ真面目だから、に決まってるでしょー! 妹分の鈴緒が彼ぴっぴと同居中なんて知ったら、絶対泡食って倒れるし!」
「そのまま、庭に埋めれば良いだろ。好都合じゃないか」
「ばかっ! おれの実家を事故物件にしてたまるか! ってかあいつ絶対、伯母さんにも告げ口するから! それでその伯母さんがまた、輪をかけて口うるさいんだからー! 顔もザマスっぽいしさー!」
事実、鈴緒の父への当たりが一番強いのも伯母である。
突如ぶち込まれたヒステリック・マダム要素に、銀之介の怒り顔が緩む。代わりにうんざりと疲れた表情になっていたが。
「それは困るな」
「でしょ? しかもおれ、最近家にいないからさ。余計に勘ぐられちゃいそう……」
「だな」
今度は三人揃ってうなだれ、息を吐く。五か月に渡る共同生活が生み出した、見事なコンボ技である。




