1:春の巫女は多忙である
佐久芽公立大学の正門キャンパスと、そして各種式典が行われる講堂前は若葉色に包まれている。
佐久芽市は「南国」とも評されることがある、温暖な地域に位置している。そのためソメイヨシノも、入学シーズンを迎える頃にはすっかり葉桜になっているのだ。
桜の花びらが舞い散るザ・新生活な光景を期待していた他県からの入学者たちはみな、どことなく残念そうな表情で木々を仰ぎ見ていた。期待外れで誠に申し訳ない。
鈴緒はそんな彼らを遠巻きに眺めながら、講堂の裏手に回った。「関係者以外立ち入り禁止」と書かれたプレートが取り付けられ、ついでにその下に「無関係者はイノシシに食われろ」というラクガキが施されている、鉄製のドアを開ける。
「イノシシって、人も食べるのかな? まあ人を襲うのはそうだけど」
襲われ済みである鈴緒は、ついそんな呟きをこぼした。
本日は佐久芽大の入学式だ。
在学生たちの講義はないため、基本的にお休みであるものの、残念ながら鈴緒には「先見の巫女」という本業がある。
去年自分も入学したばかりだというのに、新入生たちへ挨拶をするべく式へ参加しなければならないのだ。ちなみにこちら、無償である。
なお高校時代から、佐久芽大に限らず市内の学校や企業、あるいは役所での挨拶回りは恒例行事となっている。正直言って「こんな学生にお祝いされても、新卒の人も別に嬉しくないんじゃ?」と思わなくもない。
挨拶回りが免除されれば鈴緒も、毎年スピーチの文章を考える手間が省けるのに。
SNSが生活の隅々にまで侵食しているこのご時世、挨拶文をおいそれと使い回すことも出来ないのだ。それぞれ、ちょっとずつ言い回しを変えたりしている。
市のマスコットも、マスコットなりに気苦労が多いのだ。
それに今日の入学式には、余計な心配事まで圧し掛かって来ている。原因は鈴緒が昨日視た、先見にあった。
先見の舞台は、この佐久芽大の入学式だった。
見覚えがあるボロくて薄汚い――否、古風でレトロかつ趣のある講堂の壇上に、未来の鈴緒は立っていた。
彼女の服装もこの日のために購入しておいた、膝丈の紺色ワンピースだった。さすがに改まった場のため、鈴緒も露出度は極限まで抑えている。もちろん今日も、そのワンピースを着用中だ。
「新入生の皆さん。当校への入学、おめでとうございます――」
そして先見内の鈴緒はほどほどに短い、新入生から鬱陶しがられない程度の挨拶文を朗々と読み上げていた。
目上のおじさんの長々しいスピーチにうんざりしている現役学生でもある彼女は、その辺の気遣いもばっちりなのだ。
「わたしはこの市で、先見という予知を行っています。あ、安心してくださいね。怪しい宗教とかではありませんから。ちょっと原理は説明しづらいんですが、この市内限定で数日中の事件や事故が分かるだけですね。なので皆さんの大学生活四年間が危険なものにならないよう、わたしもこっそり応援しています。どうか素敵なキャンパスライフを送ってくださいね」
などと、ほんのり笑ってもらえるような言い回しを交えつつ、小気味よくお祝いの挨拶をし終えたところで、事は起こるのだ。
震源地は、県外出身者の男子学生であった。いきりたいお年頃なのだろうか、あろうことか彼は壇上の鈴緒を指さして
「おっぱいデケェェー! 揉ませてよー!」
と、出るところに出たら、慰謝料の支払いが確実な野次を飛ばして来たのだ。
先見内の鈴緒は思わず胸を隠し、そして式の進行を取り仕切っている教務課の職員たちも、ギョッとその学生を見ていた。
そうして女性職員の一人が、鈴緒を隠すようにしながら控室に逃げるのを手伝い、残った男性職員がその学生に注意ないし退場を促そうと近づく。
が、それよりも早く、おっぱい星人の隣に座っていた生真面目そうな男子学生が立ち上がった。
「ふざけんな、死ね!」
とストレートな罵倒と一緒に、渾身の右ストレートもおっぱい星人に打ち込んだ。
先見中に土地神が掲示してくれたテロップによると、この男子学生は佐久芽市生まれの佐久芽市育ちだという。
そして鈴緒の先見により、両親の死を回避することが出来たという過去があるらしい。
両親の恩人へのセクハラ発言を、若さ故に受け流すことが出来なかったのだろう。
一方のぶん殴られたおっぱい星人は、座っていたパイプ椅子ごと盛大に転倒した。しかしすぐに起き上がり、喧嘩に慣れていなさそうな男子学生を殴り返す。
男子学生が前方に座っていた女子学生を巻き込んで倒れたことから、更に事態は悪化した。
この女子学生の父親らしき中年男性が激怒して、保護者席から飛び出したのだ。その勢いのまま、おっぱい星人にタックルを決める。
ここから更に周辺の人物を巻き込んでの、実写版大乱闘スマッシュブラザーズに発展してしまうのだ。
当然、重軽傷者も大勢出ていた。
たった一人のセクハラ野次から始まった、世紀末過ぎる入学式の惨状に、先見中の鈴緒もドン引きしたものだ。これが自分の通う大学で引き起こされるなどと、到底信じられない地獄絵図である。
この先見については警察はもちろんのこと、大学にも報告済みだ。おかげで講堂入り口には制服の警察官が配備され、講堂内の職員も先見で視た時よりもずいぶん多い。
鈴緒は関係者用通路を抜けて入った講堂を見渡し、勝気そうな眉をへにょりと下げた。
(銀之介さんは大丈夫だって、言ってくれたけど……)
地方都市の大学には不似合いな厳戒態勢であるものの、鈴緒にとって自分が当事者になる事件はこれが二度目だ。
一度目でかなり肝が冷えたこともあり、どうしても不安が拭えない。野次通りの大きな胸に手を当て、小さく息を吐いた。




