28:お兄ちゃんは(ロクでもない)夢を見る
翌朝、鈴緒はあくびを噛み殺しながら祠を後にした。結局あのまま二回戦までもつれ込んでしまい、銀之介のベッドで半ば気絶する形で寝てしまっていた。おかげで少々、寝不足気味なのだ。
緑郎の吞兵衛体質には常日頃困っていたものの、昨日・今日に限っては飲み歩いてくれて誠に感謝である。もしも夜中に帰宅されていたら、だいぶ気まずい事態になっていたはずだ。
なお、そんな妹の同衾現場との遭遇を回避した彼だが、実はまだ帰宅していなかった。
「お兄ちゃん、どっかの道端で寝てないといいけど……」
鈴緒が寝ぼけ眼で呟きながらキッチンに入ると、彼女とは対照的にテキパキとフライパンやフライ返しを洗う銀之介がいた。気のせいだろうか……いや、気のせいではない。こちらは明らかに活き活きしているし、肌艶もいい。
(クリスマスのこと、実は結構気にしてたのかな?)
鈴緒はふと、そんなことを考える。彼女もあれ以来、どことなく気まずくなって中学生カップル以上のスキンシップを求められなくなっていた。「恋愛慣れしていない年下の彼女」に気を遣っている銀之介はひょっとすると、それ以上にあれこれと気に病んでいたのかもしれない。
(だったら本当に、もっと早く下着姿で迫った方がよかったのかも? ……知らんけど)
つい父の、粉もんじみた口癖を胸中で呟きつつ、露骨に浮かれている銀之介へ声をかける。
「銀之介さん、はいこれ」
「ああ、ありがとう」
先見の内容が書かれたメモを受け取る銀之介を見上げ、鈴緒はにんまり笑う。
「今日は大事件が起きるみたい」
「ほう? やっぱり緑郎が、全裸で捕まるんだな?」
「あ、惜しい。イグアナが逃げ出しちゃうんだって」
「こんな真冬にか? なかなかガッツのあるイグアナだな」
たまにニュースでも見かけるような珍事に、銀之介も三白眼をぱちくりさせた。
なお逃げ出したイグアナは完全草食であるらしい。元いたケージの中も視えたが、小さく切られたリンゴやオレンジや小松菜が皿に盛られていた。
もっともイグアナは一メートルを越すであろう大きさだったので、草食だろうが雑食だろうが、ビジュアル面でのインパクトもかなり大きい。
銀之介が警察署と消防署にイグアナの脱走を報告していると、玄関の開く音がした。
「ただいまー」
次いで緑郎の間延びした声も響く。しかし、朝帰りにしては明瞭な発音だ。おや、と鈴緒は小首を傾げる。
目玉焼きとベーコンの焼ける匂いを察知したのか。緑郎は部屋に戻らず、一直線にキッチンへ向かって来る。ドアを全開にし、背筋を反って豪快に匂いを吸い込んだ。
「うわー、いい匂い! お腹空いたー!」
「お兄ちゃん、お帰り。二日酔いじゃないんだ?」
今朝の彼はニンニク臭もアルコール臭も漂わせていないし、マーライオンにもなりそうにない。そして顔色もいい。鈴緒は朝帰りらしからぬ兄の姿をしげしげと、珍しげに眺めた。
一方の珍獣扱いされた緑郎は、空きっ腹をさすりながら呑気に笑う。
「だってさー、プールで服脱いで逮捕される先見の、すぐ後だよ? おれもさすがに気を付けるって」
「ふうん。でも朝帰りじゃない」
「教室で友達できてさ、その人のお家でゲームしてたんだー」
そして途中で眠くなり、テレビの前で仲良く雑魚寝をした末に朝帰りをしたという。
中学生の夏休みじみた夜更かしぶりに、鈴緒だけでなく銀之介も微妙な表情を浮かべた。深酒しなかったことを喜んでいいのか、それとも二十代も後半を迎えてもなお図々しい、このお泊りスタイルを叱るべきか。
銀之介がしばし悩んだ末に半歩彼へ近付き、気になり過ぎる一点だけを詰問する。
「お前。その友達のご家族に、ご迷惑は掛けてないだろうな?」
「あ、そこは大丈夫。今一人なんだってー。あとちゃんと男の人だからね!」
「そうか。最低限の配慮はあった訳か」
同性の独身宅ならまあいいか、と銀之介も肩をすくめた。
彼はそれ以上の追及はせず、代わりに緑郎の分の米もよそう。元々おかずは三人分を調理済みだった辺りが、実に銀之介らしい。鈴緒も彼を手伝い、大根の味噌汁をお椀に取り分けた。
二人がテキパキと朝食の準備をする様子を、ようやくダウンコートを脱いだ緑郎はじっと眺める。
「おれが引っ越した方がいいかもなー……」
そして二人にも聞こえないような、小さな小さな声で呟いた。
察しが悪い彼にも分かる。こいつら昨日の夜、確実にヤッたな、と。
別に首から「ヤりました」と書かれたプラカードをぶら下げているわけではないが、二人の距離感が昨日までと明らかに違うのだ。
これまでのどこか遠慮があった「付かず離れず」から打って変わって、お互いに相手のすぐそばに自分がいることを、当然と思っている距離感に変わっている。
それに、勝ち気な性格の割に時折乙女な思考も混ざる妹と、そんな彼女にベタ惚れしている友人が、バレンタインの夜に二人きりだったのだ。ヤらないワケがない。
自分が鈴緒なら、絶対に迫っている。なんなら一服盛るだろう。
こうなってはもう、お兄ちゃんが邪魔をする余地もない。とはいえ二人の仲が深まるのは、少し寂しい反面――とんでもなく嬉しかった。想像以上に。
なにせこのバカデカい友人が、義理の弟になるかもしれないのだ。その面白過ぎる可能性に行きついた途端、緑郎の顔がだらしなくニヤけた。
――こいつに、何が何でも呼ばせたいのだ。「お義兄ちゃん」と。
鈴緒はそんな兄の、美形も台無しの笑顔に気付く。怪訝そうに眉をひそめた。
「お兄ちゃん、どうしたの? 顔、かなりアレだよ? 土地神様にモザイク入れてもらう?」
妹が頼めば、本当にモザイクが入りかねない。緑郎は慌てて止めた。
「ごめん、それだけは止めて。ちょっとね、いいことあっただけだから」
緑郎は曖昧に返しながら、妹カップルに続いてダイニングのテーブルへ向かった。
ここで銀之介に気取られては駄目だ。結婚披露宴当日に「お義兄ちゃんと呼んでおくれ!」と迫った方が絶対に面白い。
披露宴の参加者も巻き込んで、呼ぶしかない空気に持ち込んでやるのだ。
勉強と球技が苦手で、料理は魔改造しがちな緑郎であるものの、手先の器用さと独創的なアイデアは彼の強みだった。
そんな彼の脳裏には、昨夜お泊りした新しい友人から言われた
「ちょっと前に嫁さんと子どもが出てったから、部屋が余ってんだよな。緑郎君、なんならウチ来る? 妹さんたちの邪魔しちゃってるの、そんなに気にしてんならさ」
という提案がよぎっていた。
緑郎はフニャフニャと笑ったまま、今週末に銀之介が予定しているマンションの内見をどうキャンセルさせようか、と珍しく頭を高速回転させるのであった。
シーズン2はこちらで終了となります。
お付き合いいただきまして、ありがとうございましたー!
最終章であるシーズン3もございますので、引き続きお付き合いいただけますと幸いです。
なおネオページ版には、鈴緒パッパがしゃべくり倒したり、市役所公式ホームページのUIに物申す番外編などもあったりします。
もしもご興味がありましたら、ぜひぜひ↓
https://www.neopage.com/book/32241691011383200?r=46bcf82fd40dc3297dadb8d0aeeef5c0&f=sc-1-MzAxMTU5MTA4MTAwNjEwMDA%3D




