21:想い出はエグ苦かった
銀之介が運転する車は、佐久芽大学近くにある学生向けアパートまで倫子を運んだ。鈴緒も華やかな色味の服が多いが、倫子はそれを軽く凌駕するカラフルさだ。少なくとも銀之介が大学や日向家で彼女を見かける時は、いつも南国の鳥っぽい色合いである。
なお、鈴緒のもう一人の親友である牧音はパンツスタイルかつ、身軽な装いが多い。その格好のまま、リトルリーグの試合に飛び入り参加していそうなのだ。
つまりはどちらも、鈴緒とは住んでいるお洒落エリアが異なっているのだが、その一方でかなり気が合っている様子だ。現に今も、鈴緒と倫子は後部座席に並んで座り、キャッキャと笑い合っている。微笑ましい反面、銀之介はちょっと寂しかった。
(いつも鈴緒ちゃんが乗る時は、助手席だったからな……代わりにぬいぐるみでも置くべきか)
銀之介は猛烈に猫のぬいぐるみが欲しくなりながらも、倫子が車を降り、二階の部屋へ無事戻るのを鈴緒と見守った。
彼女の部屋のドアが閉まり終えたところで、銀之介はアパート前に停めていた車を発進させようとするが――その前に鈴緒が、もじもじと身を乗り出す。
「あの、銀之介さん……」
「うん? どうした? トイレか?」
「違うっ。その……前、座って、いい?」
銀之介は答える前にハンドルから両手を離し、助手席のドアを開けた。鈴緒が小さな声で「ありがと」と呟きながら一度外へ出て、そそくさとそこに座る。
前言撤回。買わなくてよかった、猫のぬいぐるみ。
助手席にちんまりと収まった鈴緒の顔は、うつむいていてよく見えない。そもそも街灯もまばらな、片田舎――否、地方都市の夜である。視界は最悪に近い。
それでも銀之介は、彼女をここ四ヶ月ほど間近で見守り続けているので。落ち着きなくスカートの裾を撫でる仕草から、思い切り照れているのは明白だった。きっと耳まで赤くなっているのだろう。
いじらしい甘え方に、銀之介の眼鏡の奥の目も細められる。
「折角だ。コンビニでも寄るか?」
そしてつい、そんな提案もした。うつむいていた鈴緒の顔が持ち上がり、ぱぁっと華やぐ。
「行きたい! 甘いの食べたい!」
「分かった」
日中は精神力がゴリゴリ削られたのだ。夜中の間食という、不健康極まりない行為だってたまにはいいだろう。改めて銀之介は車を発進させた。
ド田舎――もとい地方都市の佐久芽市は、コンビニの数も潤沢ではない。大学を通り過ぎ、幹線道路まで向かう。
「あ、そうだ」
鈴緒がぽつり、と声を発した。次いで運転中の銀之介を見上げる。
「ねえ、一つ訊いてもいい? お昼のあの、憂子さんのことなんだけど」
反射的に銀之介は眉をしかめた。あの女との思い出は、基本的にロクなものがない。そして今日も、ロクでもないカスメモリーが一つ増えたのだ。
だが銀之介のしかめっ面に鈴緒が怯む気配があったため、慌てて無表情に戻る。
「すまない。パイナップルを抱える鬼面を思い出していた」
「鬼面……うん、まあ、そうね……うん、鬼だね」
鈴緒が言葉では遠慮しながらも、思い切り頷いている。
「そう、奴は鬼だ。鬼について俺が知っている事であれば、勿論何でも答えよう」
「ありがと。でも鬼――憂子さんというか、銀之介さんの、傷跡のこと……なんだけど」
銀之介は思わず、歯を食いしばってしまった。その様子を鈴緒が、困った顔で見つめている。
ただ全く予想外な質問ではなかった。
(変な嘘を吐いた、俺が原因だ。この子が不審に思っても仕方がない)
運転だけは慎重にこなしながら、銀之介はゆるゆると息を吐く。
「ああ、構わない。もちろん答えよう」
彼の言葉に鈴緒もほっと、吐息をこぼす気配があった。
銀之介の鎖骨に残っている傷跡は、木登りの失敗が原因ではなかった。
憂子がぶちまけた通り、彼女が下手人である。
憂子は高校時代から病みつつデレる気質であり、入学と同時に出来た彼氏の気を引きたいがために数人の(顔がいい)男子に粉をかけていた。緑郎も、その中の一人だった。
しかし当時の憂子はまだまだヤンデレ初級者だったため、詰めも甘かった。浮気をほんのり匂わせるどころか、早々に本命彼氏にバレていたのだ。
そして彼氏は早速行動に出た。とりあえず手近な間男である、クラスメイトの緑郎をゴン詰めすることにしたのだ。
一学期の学期末テスト間近だったその日、楽しい夏休みが地獄の補修に変わるかどうかの瀬戸際だった緑郎は、銀之介に泣きついていた。そして彼の家で勉強すべく、二人で歩いている時に憂子の彼氏(当時)に呼び止められてゴン詰めされた。
憂子はすでにフリーだと聞かされていた緑郎にとって、自分が浮気相手というのは寝耳に水である。シャツの襟を絞められながらとんでもなく慌てていた。
だが憂子の彼氏も、まさか憂子がそんなことを言っているとは思わず、露骨に動揺した。しょうもない修羅場に巻き込まれた銀之介と、ついでに間男糾弾に付き合わされていた彼の友人は思いがけない泥沼に、仲裁しながらも遠い目となる。
そんな時、泥沼修羅場の落としどころが現れた。憂子だ。
同学年だけでは飽き足らなかったらしい彼女は、まさかの大学生にも手を出していたのだ。チャラチャラしい年上の経済学部生と腕を組んで歩いていた彼女が、偶然通りかかった。これに(一応)本命彼氏が大激怒する。
「お前、何人と付き合ってんだよ!」
「はァ? なに? あたしのことビッチだと思ってんの? 彼女疑うとかサイテー」
「疑われること、現在進行形でやってるだろが! なんだよこいつ!」
本命彼氏がそう叫び、チャラめかしい浮気相手の胸倉を掴んだ。
だが、これに浮気相手もご機嫌斜めとなった。
「ってかさ、お前こそ浮気相手なんじゃね? 束縛激しいのヤバいってー」
わざとらしいニヤけ面で、本命彼氏をあおったのだ。元々憂子の素行でストレスフルだった彼氏が、これでついにブチ切れた。
唸り声を上げて浮気相手を押し倒し、ぶん殴り始めたのだ。なお本命彼氏が憂子と付き合うきっかけになったのは、同じ部活動――陸上部である。そして彼氏は砲丸投げの選手だった。
突然の修羅場どころか事件現場に、銀之介と本命彼氏の付き添い君はドン引きした。ついでに、いつの間にか蚊帳の外で放置されていた緑郎も、二人と並んで唖然とする。
目と口をまん丸にして固まる彼に、銀之介はつい尋ねてしまった。
「なあ。あんなのの、どこが良かったんだ?」
当時から可愛らしい雰囲気の女性が好みだった銀之介にとって、憂子はいくら美人でも「なさすぎる」だった。なんだこの、可愛げゼロのモンスターは――そう心底思ってしまったのだ。
銀之介の声は高校一年生の頃にはすっかり出来上がっており、今と変わらず低かった。だが腹式呼吸がお上手なのか、意外にも通りがいい。
おまけに憂子は、自分への悪口に関してはカナリア並みに敏感だったため、しっかり聞かれてしまっていたのだ。彼女がカナリアでなく、ヒクイドリの形相に変わる。
「ひぃっ……!」
彼氏の付き添い君が顔をひきつらせた時にはもう遅く、憂子はポーチから眉毛用のハサミを取り出してそれを握りしめ、銀之介目がけて突き出していた。
 




