12:ミクロ過ぎるリポート
緑郎の全裸先見事件の翌日、鈴緒は大学の正門近くにあるカフェにいた。全国展開している、お値段もお手頃なカフェである。
お目当てはそこの、バレンタイン時期限定のロイヤルミルクティーだった。もちろん、いつもの友人コンビも一緒だ。
「あ、そうだ。お兄ちゃんだけど、モアトピアに付いて来なくなりました」
鈴緒は、ホイップクリームとベリージャムの溶けたミルクティーをふうふうと冷ましながら、昨日の出来事を二人に報告する。もちろん、最後に緑郎が泣いてサムズアップしたことも含めて、だ。
先見のことは教えられていた牧音も、お邪魔虫排除に思わず拍手する。
「マジか! 先見のおかげじゃん! やー、お兄さんの素行が悪くてよかった」
「うん、ありがと。普段はそれで困ってるんだけどねぇ」
彼女から労うように頭を撫でられ、鈴緒もえへらと笑う。
一方の倫子は、スマートフォンを片手に鈴緒へ身を乗り出した。
「そうそう。そのモアトピアの近くで、うちの学科のOGさんが絵画教室やってるんだ」
そう言って、絵画教室のSNSアカウントを二人に見せる。子どもや社会人を対象とした、緩い雰囲気の教室らしい。SNSに上げられている授業風景を切り取った写真はどれも楽しそうだし、生徒が描いたと思しき絵も明るい色調のものが多い。
鈴緒も思わず「わぁ素敵」と呟く。
彼女の呟きに、倫子が胸を張った。
「ね、いいでしょ? 私もたまに手伝ってるけど、OGさんが優しい人だから雰囲気もいいんだよねー。で、そこで今、イケメンのモデルを募集中なわけ」
倫子はどことなくキタキツネに似た、涼しげな顔をにんまり笑顔に変える。
「お兄さんが暇なら、ちょっと借りれる? デート当日に教室で捕まえといた方が、鈴緒も職員さんも安心できるんじゃない?」
「捕まえるって……お兄ちゃん、クマじゃないんだから」
鈴緒の呆れ声に、牧音がケラケラと陽気に笑った。
「お兄さん、クマってかアホな犬っぽいもんな。たぶん名前、ジョンじゃね?」
「あー。ジョンっぽいよね、うん。それはそう」
どうして駄犬の名前といえば、ジョンなのだろうか――そんな謎の共通概念が気になりながらも。
鈴緒は緑郎に、モデルの打診があることをメッセージで送った。倫子の気遣いは、素直に嬉しい。それに絵画教室のモデルなら、兄のエッセイマンガのネタにもなるだろう。
色んな打算込みでのメッセージだったが。幸いにして、クマよりも犬よりもバカな兄は一切疑うことなく返事をくれた。
〈そんな教室あったんだー! そっちの方が、絶対いいネタになりそう! 似たような仕事の人と話せるのもいいね。おれ、イケメンモデルしたーい〉
文面からも、ウキウキぶりが迸っていた。小躍りしながら返事を打っている光景も目に浮かぶ。
緑郎は妹のデートを邪魔する気満々だったため、十三日の予定を空けたままだ。絵画教室でのモデル役も、その日にしてもらうことで話は進む。
そして鈴緒は、倫子から教えてもらった絵画教室のアカウントを緑郎にも共有し、ふうと息を吐く。そして倫子を見た。
「倫子ちゃん、ありがとう。お兄ちゃんも、マンガのネタになるって喜んでる」
「いいよ、いいよ。こっちもモデルが見つかって助かるし。OGさんにも、お兄さんが行くこと伝えたら大喜びしてる」
倫子は自分のスマートフォンを振って笑い返すが、すぐに意地悪そうに目を細める。
「デートに失敗した鈴緒が欲求不満になりすぎて、職員さんに襲いかかったらマズいしね」
「ぅぐっ」
この言葉に、鈴緒がむせる。
「うわー、それはヤバいな。事案だ。しかもそれ、鈴緒が先見で視ちゃうパターンだろ」
牧音が一足早くミルクティーを飲み終え、倫子と似たり寄ったりの顔で便乗した。彼女の言葉に、その発想はなかったと倫子が前のめりに。
「えー、何それ! なんかミステリーっぽいじゃん!」
「だろだろー?」
「で、その事案な未来を変えようと、鈴緒が名を変え顔を変え、ついでにお兄さんも誘拐したり色々頑張るけど……」
「未来は変えられなくて、結局職員さんを襲っちゃうわけだ。最後はやって来るサイレンの音をバックに、悲しい幕引きというわけで。どうよ?」
「すごい……トム・クルーズの『マイノリティ・リポート』みたい。ねえ鈴緒、映画化したら?」
「しないし、襲わない」
鈴緒がじっとりとした目で一蹴した。作中の社会システムの根幹を撃ち抜く、本家の『マイノリティ・リポート』と比べてだいぶ小規模な事件ぶりも癪に障った。そして兄を何故誘拐せねばならないのか。
(わざわざ誘拐しなくても、部屋に閉じ込めた方が早いじゃん)
むくれてお茶をすする鈴緒は、途中で彼女たちの脚本の問題点に気付く。
「そもそもわたしが、銀之介さんを襲えるわけないでしょ。体格も腕力も、全然違うし」
牧音と倫子が、打合せしたかのように同時に肩をすくめる。
「そこはあれよ、職員さんも満更でもないってか」
「むしろ大歓迎だからね。誘い受けみたいな?」
「だったら合意の上でしょ! 事案でも何でもないじゃん!」
鈴緒が唇を尖らせて抗議する。牧音は訳知り顔で腕を組み、にっと笑った。
「うん、合意の上だな。だからどうあがいても、待ってるのはハッピーエンドってことで」
「初デート、頑張ってね」
倫子も頬杖を突きながら、自身の履いているローファーのつま先でつん、と鈴緒のショートブーツに触れた。
「……うん、ありがと」
鈴緒は視線をわずかに下げ、少し怖い顔で礼を言う。彼女の意地っ張りぶりは二人も周知するところなので「照れやがって」とまた笑った。
結局二人とも、からかいながらも鈴緒の恋路が上手くいくことを応援してくれているのだ。




