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先見の巫女は自分の将来(バカップル化)をどうにかしたい  作者: 依馬 亜連
シーズン2

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8:雑魚兄、ゴネる

 緑郎という名の爆弾が落とされたのは、学期末テストの二日目の夜だった。鈴緒は夕食を終えると自室で勉強――ではなく、リビングでしばし小休止をしていた。カフェオレを注いだマグカップを両手で包み込み、ぼんやりとテレビを眺める。

 映っているのは、サブスク配信されている『世界の車窓から』の総集編だ。風光明媚な山々の間を進むスイスの登山鉄道の、これといったドラマ性もない車内模様に心が和む。


 大学でのテストはノートや資料の持ち込みが、基本的に全面許可されている。彼女は友人コンビとノートのまとめも終えているので、後は軽く見直せばいいだけなのだ。

 むしろテストではなく、レポートの提出が求められる講義の方こそが鬼門だったりする。


 そこへ本日の皿洗い担当だった銀之介が、自分の分のマグカップを片手にリビングに現れた。

「鈴緒ちゃん、少しいいか?」

「どうしたの?」

 鈴緒は動画を一時停止して彼を仰ぎ見ながら、座っていたソファの端に寄る。空いたスペースに座った銀之介が、ほんのりと眉を下げた。


「もし知っていれば、教えて欲しい事があるんだが」

「うん、知ってたら教えてあげるね」

 鈴緒が冗談めかして返すと、無表情が少し緩んだ。


「ありがとう。この真冬に水着を売っている店を知らないか? 可能であればオンラインショップでなく、実店舗で選びたいんだが」

「銀之介さん、水着持ってないの?」

「いや、持ってはいたんだが――」

「あ、火事で焼けちゃったんだね……」

 銀之介の軽い言い淀みから、鈴緒が先んじて察して神妙に頷く。そして行動圏内にあるショッピングモールや商業ビル、ついでにやや遠方のデパートのフロアを脳内で素早く再生した。


 鈴緒は数秒置き、小さく「あ」と呟く。

「そうだ、ほら、隣駅にモールあるでしょ? あそこに水着の専門店が出来てたはず」

 鈴緒はまだ行っていないものの、オープン直後にギャルが群がり盛り上がっているのを遠巻きに眺めた記憶はある。ついでに「モアトピアに便乗して出来たのかな。何年持つんだろう」と無粋な心配もしちゃったのだが。


「最近モールに行っていなかったから、知らなかった」

 目当ての店が近場にあったという青い鳥現象に、銀之介が目をぱちくりさせている。鈴緒の好きな顔に、つい彼女も頬をほころばせた。

 そのまま鈴緒は視線を下げ、両手の指を絡める。ほんのりと頬も染めて、上目に彼を見た。


「あの、ね。もしよかったら……なんだけど。わたしも、新しい水着欲しいかなぁって思ってて――」

 鈴緒決死の「一緒に行かない?」というお誘い文句は、リビングに突撃しに来たアホ声によってかき消される。

「ねえねえねえ! モアトピア行くんでしょ! おれも一緒に行きたーい!」


 風呂上りでほこほこと湯気の立っている緑郎が、濡れた頭を振り回して二人の間にグイッと割って入る。取れたてワカメのごとく、頬に張り付く髪に銀之介が眉をひそめた。

「近い。髪を拭け、ドライヤーを使え。お前は連れて行かない」

「やーん、立て続けに言わないでよー!」


 至近距離でのクソデカ泣き言に、鈴緒の耳が束の間バカになる。思わずのけぞった。

「お兄ちゃん、うるさい……二人分のチケットしかないんだから、諦めてよ。それにほら……お兄ちゃんは、上井さんと知り合いじゃ、ないし」

 デートという免罪符を繰り出すには思い切りが足りず、代わりに「お前は関係ないだろ」という正論を振りかざした。


 しかし正論で折れるような兄であれば、鈴緒も銀之介もここまで振り回されていない。

 現に今も、二人へ更に濡れ髪をなすりつけてゴネまくった。

「やだやだー! だってエッセイマンガのネタ、ほんとにないんだからー! 取材も兼ねて行きたいのー! チケット代出すからさ、一緒に行こうよー!」

「それこそやだ。本当に嫌、無理。一人で行って」

「ぼっちでプールとか寂しいじゃーん! おれがプールとか急流すべりでキャッキャしてる時にさー、遠くから優しい眼差しで見守っててよー!」


 鈴緒とついでに銀之介も、優しさからは程遠い死刑執行人の目付きになる。

「お兄ちゃんがキャッキャしてて、優しい眼差しになれるわけないじゃん」

「ああ。嫌な予感しか覚えないし、ただただ胃が痛くなるだけだ」

「そこをどうにかー! 銀之介とスズたまの、新しい水着代も出すからさー!」

「ぐぅっ……」


 鈴緒がたまらずうめく。予想外にどストライクな口説き文句に、心がぐらりと揺れ動いてしまったのだ。

 銀之介は、そんな彼女の揺らぎをすかさず察した。三白眼の目を細め、緑郎へ圧力をかける。

「お前の出資は要らん。鈴緒ちゃんの水着代も俺が出す」

「はぁっ!? なんでよ!」

「鈴緒ちゃんの彼氏だからに決まってるだろ」


 さらりと言われた言葉に、鈴緒の頬が赤くなった。口元も緩む。

 へにょりと可愛く照れ笑いする妹の姿に、緑郎は陥落が遠のいてしまったことを感じた。彼女の兄をして、今年で二十年だ。アホの緑郎とて、さすがにそれぐらいは分かる。


 ここで彼は歯ぎしりしながら、奥の手を繰り出した。

「あのさ、銀之介……」

「なんだ」

「お前ってさ、いっつも『俺はまともです。アホなのは緑郎ちゃんだけでーす☆』って感じのすまし顔してるけどさ。お前もたいがいアレだからな? ほら、高一の文化祭の時だって――ふがっ」


 ノリノリで動いていた緑郎の口が、銀之介の大きな手によって強制的に遮断される。顔の下半分を鷲掴みされたのだ。

 彼は鬼の形相で友人を見据えたまま、低い声で言った。

「――分かった。付いて来なさい。お前がキャッキャする姿を見守ってやるし、ついでに動画も撮ってやろう」

「ふぁーい!」

 口をふさがれたまま、緑郎が両手を上げてはしゃいだ。まさかの逆転負けである。


 この大どんでん返しに鈴緒は唖然とするよりも先に、

「ちょっと待って。高校生の頃、二人とも何してたの? ねえ。たしか夏にも何かあって、お兄ちゃんが退学になりかけたんだよね? ひょっとして、学期ごとに人でも殺してたの?」

口元を戦慄(わなな)かせながら、男どもに疑惑と不審の目を向けた。


 しかし二人は視線をさっとそらし、黙秘を貫く。本当に何をしていたんだ。

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