3:ほうじ茶チョコとかもいいよね
後期の学期末試験を目前に控え、鈴緒は友人コンビと共に自宅で試験勉強を行っていた。木枯らしが部屋の窓ガラスをカタカタと鳴らす中、三人でローテーブルを囲んで黙々とノートのまとめやレポート作成を行う。
が、不意に牧音が手を止めた。ノートパソコンを視界に入れたくないとばかりに背を反らし、ついでに腕も上げて大きく伸びをする。その拍子に、一つに束ねた彼女の黒い髪が揺れた。
「あー、駄目だ。集中力が死んだ。もう無理」
わざとらしく目頭を揉む姿に、倫子も笑ってシャープペンをノートに放った。鈴緒もキーボードを叩く手を止める。
「私も頭ボンヤリして来たかも。ちょっと休憩する?」
「そうだね。お茶、用意して来るから待ってて」
鈴緒はそう言い残して部屋を出、一階のキッチンへ向かう。
使い込まれたホーロー鍋で湯を沸かしつつ、トレイに三枚の小皿を載せた。花の形をしたお気に入りの皿である。
そこへ緑郎が気を利かせて買ってくれていたシュークリームを載せ、温めておいたマグカップにティーバッグとお湯をぶち込んで階段へ戻った。もちろん、カップに蓋をするのも忘れない。
鈴緒は途中で足がもつれかかるも、どうにか熱湯もシュークリームもこぼすことなく部屋に帰れた。ドアを開けて待ち構えてくれていた牧音が、無傷の鈴緒を見るなり拍手をかます。
鈴緒はこちらを小馬鹿にするような彼女の笑顔に、ついムッとなる。
「どうして拍手するの」
「だって絶対、お茶ぶちまけると思ってたから。鈴緒も成長したんだなぁ」
「今年で二十歳なんですけど、わたし」
「知ってる。アタシも同い年だから」
鈴緒はぶんむくれつつも、途中で転倒しかけたことはゲロらなかった。ただ黙々と、二人が片付けてくれていたローテーブルに皿とカップを並べる。
その後、休憩も兼ねたお茶会がダラダラと始まり、ゆるゆると続いた。試験前ということで勉強に勤しんでいるものの、全員が「それなり」に真面目な学生のため、普段から「それなり」に勉強はしているし、試験への熱意も「それなり」なのだ。進級できれば、それでよし。
「こういう中庸の精神の人間のおかげで、世の中上手く回ってんだよ。全員が白か黒のどっちかに分かれる世界だったら、飛鳥時代ぐらいで日本も滅びてるからな」
とは牧音の主張である。荒唐無稽の割に、まあまあ説得力がある。
暴論の主である牧音が、部屋の壁にかかったカレンダーを見てふと思い出した。
「そういや鈴緒、職員さんのバレンタインチョコ買うの? それか、やっぱ酢昆布にするん?」
銀之介の和食好きは、二人にも周知の事実となっていた。「さすがに酢昆布は……」と苦笑いの倫子が続けた。
「せめてさ、チョコ入りの大福とかそういうオシャな――鈴緒? どうしたの?」
しかし鈴緒の冴えない顔に気付き、切れ長の目を瞬かせた。
鈴緒は自分のマグカップを両手で包みこんだまま、眉間にシワを寄せて二人をじっとり見つめる。
「あの、その件につきましてですね……ちょっとお二人にお訊きしたいことが、あるかなーって……」
「なにその、小役人みたいな言い回し。まあ、言ってみて?」
倫子が呆れたように笑いつつ、細い指でくるりと円を描いて鈴緒を促した。ぐぅ、と一つうなった末に、鈴緒は声を絞り出す。
「こっ、こい、びとと……そういう関係って、どうやって、なれば、いいのかな?」
「そういうって?」
「ですからね、は、裸の……ううん、布面積少なめの、交流など……」
「ん? アンタら、まだヤッてないんだ?」
「うぐっ……!」
牧音の火の玉ストレートな問いに、鈴緒は顔を真っ赤にしてうめいた。倫子はケラケラと笑う。
「これが目の前で揺れてて、まだ食いつかないって! 職員さん、ほんとに真面目だねー」
そう言って彼女が指差すのは、赤いニット越しにたゆんと弾む鈴緒の胸だった。
銀之介の名誉を思い切り損ねる弁解になるものの、彼は決して真面目一辺倒ではない。特に鈴緒に対しては、愛ゆえにちょっかいを出しては本気で怒らせることもしばしばある。
(たぶん、メガネとスーツでうろついてることが多いから、堅物だと思われるんだろうなぁ……人は見た目が九割って本当なんだ)
そんな知見を得つつ、鈴緒は力なく首を振った。
「別に、全然食いついてくれないわけじゃないの。クリスマスの時、ちょっといい雰囲気になったし……」
「あー、ね。そこで鈴緒がビビって、気まずくなったんだな?」
牧音の言葉に、鈴緒は首を振る。
「ううん。お兄ちゃんに邪魔された」
「マジか。さすがクソ兄、いつだってクソが過ぎるな。もうアイツ、檻付きの部屋にでもぶち込んどいた方がいいんじゃね?」
緑郎との付き合いも長い牧音が、呆れと蔑みまじりの目をドアの方に向けた。その先には、クソ兄の部屋がある。
一方、鈴緒とは大学入学後に知り合ったため、当然クソ兄のクソっぷりもあまり詳しくない倫子はまた、別の意見があった。
「お兄さんの邪魔が一番の原因だとは思うけど。やっぱ職員さんも、年下の女の子が彼女だから二の足踏んでるとこはあるんじゃない? 変にがっついて引かれたくないなーって」
「ああ、それはありそう」
この意見に牧音も乗っかる。ついでにローテーブルにも肘をついて乗り上げた。
「しかも鈴緒の、初彼氏なワケだし。向こうも色々ビビってるトコはありそう」
「銀之介さんも、ビビってるんだ……?」
彼が意外と臆病もとい気遣い屋なのは、事実である。鈴緒も小難しい顔で腕を組み、しばし考え込む。
うんうんと唸る彼女の肩に、テーブルを回り込んだ倫子がもたれかかる。
「もうさ、手っ取り早くオッパイ出して迫ったげれば?」
「はいっ!?」
突然の痴女提案に、鈴緒が目を剥いた。いつか視た、自分と銀之介が全裸でイチャつく先見もついでに思い出し、全身が真っ赤に染まる。
しかし倫子を恐々と見ると、意外にも真顔だった。その顔でしみじみと頷き返される。
「ほら、だいたいの男の人って、オッパイが好きだから」
偏見にも程がある言葉に、牧音も真面目くさった顔で同意する。
「だよなー。ってかどうせ人間なんて、三大欲求には勝てねーワケですから」
「そうそう。性欲・睡眠欲・排泄欲ね」
しかし知らない欲求の混入に、牧音も虚を突かれて一瞬固まる。
「倫子、三大欲求に排泄欲はいないんじゃ? 食欲なんじゃね?」
「えーっ。でも、排泄欲の方が他のどの欲よりも強くない? ウンコ行きたい時にご飯食べれる? オシッコしたい時に寝てられる? オナラ我慢しながらエッチ出来る?」
実例まで挙げられると、もはや排泄欲が欲求界隈におけるラスボスのように思えてきた。なにせ鈴緒にも、前者二つは身に覚えがあるのだ。牧音も怖い顔で唸っている。
「……つまり三大欲求も統べる上位存在こそが、排泄欲だった?」
「うん。欲界の王ね」
「マグニートーじゃん、排泄欲こわっ」
『X-MEN』シリーズの、チートなミュータントおじいちゃんに思いを馳せていた牧音が、不意にキリリと鈴緒を見つめた。
「ってワケで、職員さんがウンコ我慢してない時にオッパイ出して誘いな」
「というわけで」で繋げていいアドバイスではない。鈴緒は顔をしかめた。
「アドバイス、雑だね?」
友人の恋愛相談に対して、あまりにも塩対応過ぎる。鈴緒は勇気を振り絞り、恥をドブに捨てて相談したというのに。
だが牧音としても、雑にならざるを得ない理由は一応あった。鈴緒に向き直って、軽く肩をすくめる。
「だってそういうのって、結局ノリとか勢い任せなトコあるから。どんだけコッチが頑張っても、向こうもヤル気になってくれなきゃ、どうしようもないし」
「ぐぅ……」
それはその通りである。反論の余地がないため、鈴緒も背を丸めた。
縮こまった彼女の背中を、倫子が軽く叩く。
「ま、相手に抱きついたりベタベタしたりさ、外堀埋めるぐらいは全然出来るけどね」
「そうそう。もうちょっとでバレンタインなワケだし、そこでなんかあるんじゃね? 多分」
「多分、かぁ」
鈴緒は、二人の大雑把な励ましに小さく苦笑いを浮かべた。次いで牧音に倣って、壁のカレンダーを見る。
(そりゃあチョコだって買ってるけど……また、誰かに邪魔されちゃったらどうしよう)
悩める鈴緒の脳裏に浮かぶのは、当然ながら兄の腑抜けた笑顔であった。イメージ映像のため、頭頂部にはピンクのお花も咲いている。
(牧音ちゃんの言う通り、お部屋に檻とか付けようかなぁ)
緑郎は締め切り破りの常習犯でもあるため、檻を付ければ彼の担当編集にも喜ばれそうなので悩ましい。




