1:猫の肉球柄とで迷ったそうだ
鈴緒は湯上りで火照った頬のまま、鬼気迫る顔でドアの前に立っていた。袖や裾にフリルがあしらわれたローズピンクのネグリジェの上に、真っ白で毛足の長いカーディガンを羽織るという愛らしい装いのため、顔面との落差が著しい。
しかし緊張するのも仕方がないのだ。
なにせ今夜はクリスマス前夜であり、彼女が怖い顔で仁王立ちになっているのは恋人の仮住まいの前である。もちろん彼へのプレゼントも準備万端だ。
ちなみに念には念を入れ、下着も新調済みである。これはあくまでも「念には念を」なのだが。
(だって今まで、手をつなぐぐらいしかなかったんだもん……きっとあるでしょ、キスとかキスとか、もうちょっと踏み込んだあれやこれが! あ……あってもいいよね、だってクリスマスイブだもん!)
鈴緒はクリスマスイブにビッグ過ぎる期待を抱き、一つ深呼吸。そしてかすかに震える手で、ドアを二度叩いた。返事はすぐにあった。
「鈴緒ちゃん、どうぞ」
「どうしてわたしって分かったのっ?」
銀之介の低い声に被さるようにして、殴り込みをかける勢いでドアを開けてしまった。先ほどまでの緊張も吹き飛んでいる。
どんぐり眼を更にまん丸にしている鈴緒と見つめ合い、長椅子に座っていた銀之介も三白眼をぱちくりさせる。手元には鈴緒の父が置いていったSF小説があるので、読書中だったらしい。
「何故と言われても。緑郎はノックなんてしないだろ?」
「あ、なるほど……」
別に鈴緒の足音を聞き分けた、といった情緒ある理由ではないらしい。単なる消去法という理由に鈴緒は内心で少しがっかりしながらも、落ち着きなく室内を見渡す。
窓際には木製の、引き出しも備え付けられた机が置かれ、左右の壁は天井まで本棚で埋まっている。本棚のそばには、銀之介が座っている読書用の長椅子がある。
そして部屋の手前の壁際にベッドが置かれている内装は、父がここを書斎として使っていた頃から変わりなかった。ちなみにベッドは、父の仮眠用である。
実は鈴緒は、元書斎・現銀之介の部屋に入るのはこれが初めてだったりする。なにせ彼は鈴緒に言われずとも、掃除をしてくれるのだ。今まではわざわざ入る理由が、特になかった。
そのためもじもじと、後ろ手にプレゼントを隠したまま彼を見る。
「あのね……ちょっと入ってもいい、かな?」
「勿論構わない」
銀之介は無表情に快諾し、長椅子の座面を軽く手で叩いた。ホッと笑った鈴緒も、素直にそこへ座る。
家族以外の異性へプレゼントを渡すなど、鈴緒の短い半生において初の出来事である。
どう切り出すべきか、とさっきまでドアの前でうんうん考えていたのに。いざ彼の隣に座ると、練りに練っていた計画があっさり脳内から吹っ飛び、結局は無言でプレゼントの入った箱を突き出していた。
赤いリボンが巻かれた細長い箱を見下ろし、銀之介がしばし固まる。
「鈴緒ちゃん、これは?」
「あ、あげる……ほら、クリスマス、だし。まだイブ、だけど」
もっと可愛い台詞も考えていたのだが、こちらもいつも通りの妙に意固地な代物になってしまった。鈴緒はつい、内心で歯噛みする。
しかしある意味では平常運転のため、銀之介はプレゼントを突きつけられた時こそ呆気に取られていたものの、
「そうか、ありがとう。開けても良いか?」
それ以上彼女をからかうこともなく、恭しく受け取ってくれた。鈴緒が小さく頷くのを待って、丁寧にリボンを解いて包装紙も剥がしていく。
なお兄の緑郎の場合、たとえプレゼントでも包装紙のテープが貼られた箇所すら確認せず、初手からビリビリに破いて行くので、彼の気遣いが余計に光る。
銀之介は包装紙の下から現れた紙箱の、表面に刻印されたブランド名にわずかに目を見開く。次いで箱を開け、普段はほぼ表情の変わらない強面をほころばせた。
「俺がここのスーツやネクタイを好きだと、調べてくれたのか?」
「うん、お兄ちゃんから訊いて……あと火事で、お気に入りのが駄目になっちゃったって」
就職祝いに両親から贈ってもらったネクタイが焼失したことに、さすがの銀之介もかなり落ち込んでいたらしい。
そのプレゼントの代わりは無理でも、と鈴緒はネクタイとネクタイピンをプレゼントしたのだ。ちなみに臙脂色を基調としたチェック柄のネクタイを選んだのは、「顔が怖いんだから、ネクタイには遊び心があった方がいいでしょ」という思いやりからだ。
そんな恋人の、若干余計なお節介に気付くわけもなく、銀之介は目を細めて静かに喜んでいる。
「嬉しいが、高かったんじゃないのか?」
「平気。ほらこの前、式場のお手伝いしたでしょ? あれでバイト代、けっこう貰えてたから」
先見の巫女という本職柄、鈴緒の顔は市内限定でとんでもなく広い。結婚式場のオーナーとも顔馴染みで、これまでにも何度か臨時バイトとして駆り出されたことがあるのだ。
きちんとお手当も貰えるので、鈴緒にとっても貴重な収入源だったりする。
「ありがとう。大事に使う」
銀之介がそう言って箱を再度閉め、ベッドの真横にある造り付けのクローゼットに向かった。早々に収納する辺りが、なんとも彼らしい。鈴緒もニコニコと彼の背を見つめる。
「うん、そうして――え?」
が、戻って来た銀之介が一回り小さい箱を手にしていたので、今度は彼女が灰青色の瞳を見開く番だった。
その箱にはオレンジ色のリボンと、黄色い花のコサージュが付いている。そしてリボンには、あるジュエリーブランドのロゴが入っていた。




