12:夢見が悪いというレベルじゃない
兄の予期せぬカミングアウトにより、結局鈴緒は銀之介に謝るどころではなかった。
あのまま二人と顔を合わせぬよう、ほぼほぼ部屋に閉じこもったまま眠りに就くこととなったのだ。
そして入浴中に、鈴緒自身が危惧していた通り。罪悪感と衝撃に苛まれての夢見は、最悪だった。
いや。そもそもこれは、夢なのだろうか――
気が付くと鈴緒は祠の中の、先見でいつも使っている木の椅子に座っていた。周囲も先見中のように、舞台に様変わりしている。
かりそめの舞台が描いているのは、どこかの浴室のようだった。中央に置かれた円形の大きなバスタブの中に誰かが入っている。一人ではなく、二人いるようだ。
向かい合って密着し、イチャコラと仲良く入浴中なのは銀之介と鈴緒だった。
(なんでまた……!)
叫び声こそ上げなかったものの、現在の鈴緒は頭を抱えて椅子に座ったまま悶絶する。
だが彼女の静かなる慟哭を気にする様子もなく、未来のバカップルはがっつり全裸で抱き合ったままである。
どうやら未来の鈴緒は銀之介の太ももに座っているらしく、顔の高さがほぼ同じだった。
距離感がゼロというとんでもハレンチ体勢のまま、二人は呑気に喋っていた。
「銀之介さん。明日もお休みなんだよね? お昼ご飯、どうしよう?」
自分の顔を覗き込む鈴緒に、銀之介が額を重ね合わせてしばし考える。
「たまには外食するか。行きたい店はあるか?」
「そうだね……あ、駅の裏にある、マンマパッパに行きたいかも。久しぶりにあそこの、サーモンのソテーが食べたいなぁ」
「ああ、分かった」
甘ったるい了承の声に、現在の鈴緒は呆然となる。目を見開き、ゆるゆると顔を上げて二人を眺めた。
(本当にこの人、わたしのことが好きなんだ……)
今更ながらに、かなり真剣な感情を寄せられているらしいと悟ってしまった。
だが、この悟りがいけなかったのかもしれない。
動揺のあまり吐息をこぼした直後、鈴緒は自分の体が濡れていることに気付いた。いや、それどころか服も下着も身に着けていない。
「えっ?」
「ん? どうした鈴緒ちゃん?」
びっくりして声を上げると、すぐ目の前から低く落ち着いた声がした。顔を跳ね上げて前を見れば、同じく全裸の銀之介がこちらを伺っている。
舞台上の未来の鈴緒の中に、現在の意識が混線してしまったのかもしれない。
先見においても前代未聞の事態に、鈴緒は目を白黒させることしか出来なかった。
「鈴緒ちゃん?」
銀之介が再度呼びかけて来る。同時に強張った鈴緒の頬を、指先でそっと撫でた。もう片方の腕は鈴緒の背中を押して、自分へと優しく抱き寄せる。
恋愛経験すらない現在の鈴緒にとって、裸で男性と抱き合うなどパニック必至の状況だというのに。彼に抱き寄せられると不思議と心地よく、気持ちも落ち着いた。
無意識にこてん、と彼の肩に頭を預ける。
「今日はやけに甘えただな」
銀之介もそんな彼女を拒むことなんてせず、どこか嬉しそうに胡桃色の髪を撫でていた。
銀之介は着痩せするタイプらしく、脱ぐとなかなかのマッシヴ体型である。なんともなしに逞しい首筋や肩のラインを見つめていた鈴緒は、左の鎖骨にある傷跡に気付いた。何かで切ったような歪な皮膚の引きつりが、そこに残っている。
鈴緒が指先で傷跡を撫でると、銀之介がくすぐったそうに笑う気配があった。
(うわっ!)
顔を上げて目が合い、鈴緒のお湯で火照った顔が更に赤くなった。こちらを見つめて笑う銀之介の表情が、見たことがないくらい甘ったるいのだ。
おまけに露骨に照れる鈴緒を見つめ、更に口角が持ち上がる。
「どうしたんだ? そんな顔をされると、またしたくなる」
「え? またって――きゃぅっ」
鈴緒の問いかけは、自分の媚びまくりな悲鳴でかき消えた。彼女の背部を支えていた銀之介の手が、背中から腰を撫で始めたのだ。
何がしたいかなど、皆まで言うまい。この不埒な手つきでお察しだ。だってお尻も揉まれている。
現在の鈴緒は脳内で「助けてポリスメーン!」と絶叫していたのだが、肉体の方はあいにく彼を拒もうとしなかった。
むしろ現在の鈴緒の意思を無視して、彼の首に腕を絡める。たわわな胸も、胸板へ更に押しつけた。そしてキスをねだるように、薄く口を開けて舌を覗かせる。
そのまま銀之介を潤んだ瞳で見つめた。
致す気満々な銀之介ももちろん、愛する妻のお誘いに全乗りである。ますます笑顔を深めて、彼女へ顔を近づけた。二人の鼻先がこすれ合い、噛みつくような口づけが交わされ――る直前で、鈴緒は目が覚めた。
ベッドで仰向けになったまま、両目をかっ開いての覚醒である。
十九年の半生において、一番の目覚めの良さかもしれない。眠気の欠片すら残っていなかった。
しかし代わりに、心臓は未だにドッコドッコと大暴れである。血の巡りがよすぎて、視界も脈打っている気がする。
鈴緒はゆるゆると上半身を起こして、絶望の眼差しになった。
「……今のって夢? それとも先見? え、やだ、あんな際どい事後……ううん、直前の映像見せられても……お願い、ただの悪夢であって……思春期によくある、ちょっとエッチな夢でありたまえ……君死にたまふことなかれ……」
もはや自分でも何を願っているのかよく分からないまま、与謝野晶子も混ざっていた。
鈴緒はしばらくうなだれてから、ヘッドボードに置いてある時計に目を向けた。時刻は六時十五分――普段の起床時間より、一時間近く早起きしてしまったようだ。
このまま寝直そうかと思ったものの、夢の内容が内容だったためか、喉がカラカラに乾いていた。空咳も二度ほど出てしまう。
水分補給をするため、鈴緒は一度キッチンへ向かうことにした。ふらつく足取りでベッドを降り、部屋を出た。
「いたっ」
その際、お約束のようにドアノブにぶつかりつつ、一階へ繋がる階段を目指す。
またスリッパを履き忘れた、と気付いたのは階段前までたどり着いた時であった。
木製の廊下を素足で歩いていると、ほとんど足音がしない。
そのため鈴緒も、そして階下から上って来た銀之介も、顔を見合わせるまでお互いの存在に全く気付いていなかった。
昨夜の罵倒や盗み聞きした告白や、先ほどのハレンチ悪夢などの余波で、鈴緒はすぐさまそっぽを向こうとしたものの。
顔を背けるより早く、彼が上半身裸であることに気付いてしまった。
「ぎにゃあ!」
諸々の気まずさをかなぐり捨てて、鈴緒はたまらず叫んだ。その不細工な叫びは奇しくも、尻尾を踏まれた時の猫の悲鳴にそっくりだったという。




