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1:巫女は兼業大学生

 その街の住民にとって日向(ひゅうが)家は、ちょっとした地元の有名人一家だった。

 別に変人揃いや軒並み前科持ちだらけといった、悪しき方向での有名人ではない。たしかに長兄は「今までブタ箱行きになっていないことが奇跡」と言われる程度には、色々と末期の人物であるが。


 有名なのはむしろ彼の妹の鈴緒(すずお)の方だった。

 そんな鈴緒が今、地方都市特有の贅沢な土地使いっぷりで建てられた自宅――の敷地内にある洞窟から、あわあわと飛び出して来た。


 もつれそうになる足以上に、内心も焦っているらしい。洞窟の出入口に設置された簡素な扉をくぐる時に思い切りドアノブでみぞおちを強打した。可愛らしい顔に似合わぬ、野太いうめき声がまろび出る。

「うぐぅ……もう、なんでドアノブがここにあるのっ」

 ドアなので、ドアノブはそこにあって然るべきなのだ。道理の不明な悪態を吐き、鈴緒は自宅に駆け込んだ。


 放り投げるように編み上げブーツを脱ぎ、彼女が向かった先は日当たりのいいリビングだった。

 そこではラジオ体操の動画をテレビで流しながら、雄々しく足を開いて天を仰いでいる男性がいた。鈴緒は彼の細い背中に声をかける。

「お兄ちゃん、大変! 火事が起きる!」

 胸の運動を一時中断し、兄こと緑郎(ろくろう)がギョッと振り返った。いつでも眠そうな垂れ目もかっ開いている。

「えぇーっ、どこでっ!? おれ、ガスコンロ消したよね?」


 鈴緒は走ってボサボサになった胡桃色のショートボブに手櫛を入れ、小さな肩をすくめる。

「ここじゃなくて、ほら、大学の近くにあるマンションで起きるの。たぶん、今日のお昼ぐらい」

「あー、なるほど。視たワケだ」

 緑郎がリモコンで動画を一時停止し、ローテーブルに置いていた自身のスマートフォンへ手を伸ばす。そして妹と同じ胡桃色――半分北欧人のため、どちらも地毛である――の癖毛をかき回した。


「他に何か分かったことって、ある?」

「火元が七階建てぐらいの、茶色いマンションだった。エントランスにヤシの木みたいなのが植わってるところ。そこから周りの家に燃え広がったみたい」

「ヤシ……あー、なんだっけ。フェニックスだっけ。はいはいはい」

 この兄が樹木に詳しいとは意外だ、と鈴緒は灰青色の丸い目を数度瞬いた。しかしすぐに気を引き締め直し、ほんの少しだけ声も低くする。


「あと二十人ぐらい、死者が出ちゃうみたい」

「うわ、大事故だなー……最近、万引きとかカツアゲとか、しょーもない事件ばっかだったのに」

「ちょっとずつ寒くなって、空気も乾燥して来てるからね」

 そう答える鈴緒の白い肌も、頬や鼻先が赤らんでいた。晩秋の、朝の冷気に晒されたためである。


 緑郎は彼女の言葉にふんふんと頷きながら、スマートフォンで何かを打ち込んでいた。

「オッケー、消防署と警察署に連絡入れといたよ」

 気安い兄の声に、鈴緒は強張っていた表情を緩める。


 未来を視る先見(さきみ)の力――これが鈴緒を地元の有名人に押し上げている原因だった。

 ちなみに視ることが出来るのは、この街で起きる事件や事故あるいは災害だけである。何故なら鈴緒たち日向の女性に力を与えているのが、ここの土地神だからだ。


 土地の神と名乗るほどなので、力を振るえるのは限定された地域だけらしい。

 地元民からは「先見の巫女」という仰々しい名前で呼ばれている鈴緒当人が、この説には「本当かなぁ」と半信半疑であるものの、実際隣町で土砂崩れが起きた際も何も視れなかったので、一応真実なのだろう。


 ここで鈴緒は、自分の手首にはめた腕時計を見た。ギャッと小さく叫ぶ。

「ああっ! 遅刻するっ」

「あー、そういや今日、儀式するの遅くなったもんね。全くもう、寝坊なんてしちゃうから――ぶぇっ」

 したり顔で説教する緑郎の腹を、鈴緒は無言で殴った。実際に寝坊したのはこの、いつブタ箱行きになってもおかしくない兄の方である。こやつがさっさと朝食を食べなかったばかりに、鈴緒まで予定が狂ったのだ。


「食べた皿、ちゃんと洗っといてよ」

「はい、すみません」

 兄に鋭い視線を注げば、表面上はしおらしい頷きが返って来る。帰宅しても皿がそのままならまた殴ろう、と鈴緒は考えながら頷き返して自室に飛び込んだ。


 あらかじめ用意していたレザーのリュックを背負い、家に戻った時以上の慌ただしさで再度飛び出す。

 そして片道十五分を駆け足、あるいは速足で進んでどうにか大学の正門にたどり着いた。

 汗ばむ額を右手の甲で拭い、左手首に巻いた腕時計を再度見る。一限目の五分前、ギリギリ間に合ったようだ。


 鈴緒が背中を丸めて息を吐くと同時に、その背中に人の重みが圧し掛かる。鈴緒がちらりと後ろを見ると、どこか猫に似た女の子が自分にもたれている。

「おはよう、牧音(まきね)ちゃん」

「おはよ。鈴緒にしちゃ珍しく時間ギリギリじゃん」

 いつも図書館の一階で待ち合わせている友人だが、わざわざ正門前まで迎えに来てくれたらしい。


「クソ兄が寝坊したの」

「ああ、アイツかー」

 緑郎のチャランポランぶりは、高校からの友人である牧音も熟知している。相変わらずだ、とカラカラと笑う彼女と共に共通教育棟へと向かう。


 しかし途中で、牧音が視線を上に向けて「あ」と声を漏らした。

「そういや昨日だけど、串間(くしま)さんとどうだった? このまま付き合うの?」

 串間とは、牧音が加入している映画サークルの先輩である。昨日鈴緒は、彼といわゆるデートを実施したのだ。串間たっての希望で、鈴緒は彼と面識もないため乗り気でなかった。

 だが、親友を通じて打診されたので断るに断れなかった次第なのだ。


 鈴緒はすぐに首を左右へ振る。

「ううん。デート、つまんないわけじゃなかったけど……今は彼氏とかいいかなぁ」

「ま、だろうね」

 牧音も彼女の答えは予想していたらしい。ほんのり苦笑しただけで、詳しく訊こうとはしなかった。


 あいにく鈴緒は「恋より大事なものがあるでしょ! 学生なら勉学を最優先しないと!」や「社会奉仕に精を出して、就活に備えるの!」といった、遥かなる高みを求める精神性を持ち合わせているわけではない。

 勉強はそれなりに頑張っているが、人生全てを賭けるほどではない。それに就活などしなくとも、先見の巫女という本業があるのだ。


 鈴緒は言葉通り、今のところ恋人を欲していないだけだった。

「彼氏よりさ、休みの方が欲しいな……」

 遠い目になった鈴緒はそう呟いた。昨日も串間とのデートが終わった後、某歴史研究家との会談が待ち構えていたのだ。

「それか、ご飯を作って甘やかしてくれる素敵な家政婦さんかママが欲しい」


 大学一年生とは思えぬ彼女の疲れ()んだ声に、牧音の笑顔の苦みっぷりも増す。

 鈴緒の両親は今、父の故郷であるフィンランドで暮らしている。緑郎も一応家事を手伝っているものの、ああ見えて手に職を持っている上に料理の腕がメシマズヒロイン級なのだ。

 自然と、鈴緒の負担は重くなっていた。


「巫女って大変だ……ってか、その家政婦さんはアタシも欲しい。ほらウチの親、共働きだし。弟妹も手かかるし。いたらほんと助かる」

「この殺伐とした現代において、一家に一人は欲しいよね」

 鈴緒は隣の牧音を見上げ、しみじみと言った。そしてハッとした牧音が彼女へ声をかけようと口を開くのと、鈴緒の身長の割に大きな胸が、前を歩く男性の背中にぶつかるのは、ほぼ同時だった。


「わっ、ごめんな――」

 気恥ずかしそうに胸を押さえ、鈴緒は男性を仰ぎ見て固まる。

 大学職員らしい、郵便物を抱え持った背の高い男性も無表情に彼女を見下ろした。

ネオページにて商業契約作品のため、あちらで先行連載&番外編なども掲載予定となっています。

ご興味ありましたら、ぜひぜひ!

https://www.neopage.com/book/32241691011383200?r=7166f1dc0add903de49838d61b3b77fd&f=sc-1-MzAxMTU5MTA4MTAwNjEwMDA%3D

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