08
機嫌良く歩くベルは昨日会った人物と同一なのか疑問に思うほどだった。
足取りは軽く、なんだったら今からスキップをしてもおかしくはない様子だ。
まだベルの多くの仮設を呑み込めていないロイドからすると思考も行動も追い付いていない状態だった。そんなロイドを気にかける様子もなくベルはどんどん歩いていくものだから、気づけば大分距離が出来てしまっていた。
「どこで会うのだ?」
慌てて追いかけながら声をかけるとベルの歩幅がゆっくりになる。少しするとベルの隣に追い付いたロイドは少し息が上がっていた。色々考えていたようだったが走ったことで頭は空っぽになった様子が見られる。
変に難しく考えると思考は伸びない。そういうときは一度考えることを止めてしまうに限るのだ。
「向こうの事務所で会うよ。流石に昨日の今日で別の場所で会いましょうって非常識じゃない?」
「前日に相対の打診をすることも十分非常識じゃないか?」
「私のところには急に来客が現れるからちょっと分からないかな」
正論を投げかけてくるロイドに笑顔で誤魔化す。とはいえ、ベルの元に来客が急に来ることは事実ではある。
来客が急に現れる理由はベル自身が作っているのではないか。そう思いつつ論点が切り替わってしまうためロイドは話を戻すことにした。
「ここから都心に出るには少々時間がかからないか?」
「そうだね。私ひとりだったら指パッチンで移動できちゃうけど、君も居るから流石に街のポータルを使うよ」
「待った、ここの街にポータルがあるってことか?」
そんなに驚くことを言ったわけではなかったが、ロイドの反応はそうではなかったらしい。
この世界は交通手段が十分に発達している。一般的な乗り物は風力などのエネルギーを利用した小型のものと国と国を繋ぐ長距離移動を目的とした大型の二つに分けられている。
乗り物とは言え、安全性を考慮し出せるスピードも限られているため長距離移動を目的とした乗り物であっても離れた場所では数日かかることが普通だ。
とはいえ急を要する移動も必要になるため、王城や主要都市には魔女の力を借りたポータルと呼ばれる移動手段が設置されている。
これは各国の魔女が術式を組み込んだもので、ポータルが設置されている場所に数秒で転移できるものとなっている。但し移動する場所の設定などもあるため利用するためには事前申請も必要な貴重なものだ。
魔女の力を借りているとはいえ管理は各国が行っていてアグリカでは王族も所属する国の議会が管理しているものだ。
アグリカが所持しているポータル自体の数はそんなに多くはない。アグリカ国の中で使えるポータルは五つだと記録されており、その中に今向かっているメディプラ街の名前はなかったとロイドは記憶していた。
「知らないわけなくない? 設置した当初めちゃくちゃ王家に関係してる人たち使ってたよ」
「いや……それは何百年前の話だ」
「魔女になって百年とかだから、どれくらい前だろ? とにかくあの時期は魔女に会うためにって、ちゃんと人が私のところまで来てたんだよね。で、メディプラ街がまだ今みたいに発展してなかったから長居されると街の人たちに迷惑がかかっちゃってさ」
「それで作った?」
「そう。あの頃ってまだまだ国としても他国との決め事とか。そういうの決めないといけない時期で、偉い人たちが毎日のようにひっきりなしだったんだから」
そんなに暇だったのかなと、今更ながら顔も思い出せない人たちに思う。ただ記憶を頑張って遡ると、何度か王城に来てもらえないかと打診もされた気もしないではない。
どれくらいかかるか分からないことのために出掛ける労力よりも、移動手段のポータルを作るほうがベルにとっては簡単なことだった。他の魔女たちからは動けと怒られたが、利便性に納得してくれてみんなが作ってくれたことは本当に良かったと思う。
「私がお城に行きたくないからポータル作って日帰りできるようにしてあげたの、優しいでしょ」
「出不精は昔からなのか」
「失礼だなぁ。まぁ、ちゃんとメディプラ街のやつも登録してるはずだよ。もうここに急用で来ることもなくて、滅多に使われないから忘れられてるだけじゃないかな」
そんな話をしてる間に段々と木々が少なくなり、補正された道が遠くに見える。気づけば森の出口まで歩いてきたようだ。
「久しぶりだな、街に出るの」
「ちなみに最後はいつ?」
「……最後に街出たのいつ?」
「質問を質問で返されても困る」
遥か昔の記憶にある街と見える街は明るい雰囲気は残しつつも発展した様子も見受けられてベルの口元は自然と綻ぶ。
この世界の発展や平和は魔女にとって喜ばしいことだ。間違った方面に発展しなければ魔女の出番はないということになる。ここまでベルの出番がない状態で人間たちが自分で考え、発展させている今は本当に平和だと実感する。
「あれ? 魔女さま?」
声のする方を見ると一人の女性がいた。手には採取したのだろう食物が入った篭を持っているところからメディプラ街のひとりのようだ。どこか見覚えのある女性はベルを見て嬉しそうにしている。
見覚えのある笑顔はよく遊びに来る子どもに似ていて、ようやく記憶の中の人物と結びつけることができた。
「マーサ!」
「ふふ、思い出してもらえて良かったです。お会いするのは子どもの頃以来ですから、おばさんになったでしょう?」
「私にとってはあなたたちはいつまでも森を駆けていた子どもよ」
悪戯っ子のように笑う癖は何も変わっていない。森に来なくなった子たちとは会わないまま別れることがほとんどだ。ただ、こうして今でも優しく迎えてもらえるなら、やはりたまには外に出るべきかもしれない。
「それで魔女さま本日はどうしました?」
「ポータルを使いたくてね。まだあるよね?」
「もちろんです」
「良かった。今日ちょっと出かけちゃうけど、ナッシュは居るから子どもたちは森に来てもらって大丈夫だよ」
「ありがとうございます。子どもたちにも伝えておきますね」
お気をつけてと見送るマーサは立派な大人の女性で、子どもを見送る母親だった。
森を駆け、誰が一番高く登れるか勝負をしていたお転婆さはもうどこにもない。成長が嬉しい半面どこか寂しさを感じながらベルは手を振る。
人の人生はあっという間に過ぎ去っていく。いつだってベルは傍観者側だ。
「ね、ポータルあるでしょ」
ロイドが何かを言いたそうにしていたがそれにはわざと気付かないふりをしてベルは話題を変えてまた歩き出す。
その様子にロイドも何も言わずに横に並んでゆっくりと歩き始める。
「ポータルは帰宅時に使わせてもらうよ」
「街も発展してるから、滞在してもらって街の経済回してもらってもいいけど。まぁ、この件はすぐ解決するよきっと」
「あれだけの仮説があるのにすぐ解決すると分かるものなのか?」
「分かってないけど、分かりに今から行くんだよ」
それはそうだとロイドは思う。分かっていないというのにすぐ解決すると言える根拠を聞きたかっただけだ。
ベルはこうやって本質的な答えをわざと避ける回答をする節がある。もしくは、説明が面倒なだけなのかもしれない。魔女にそう思うことは失礼なことかもしれないが、後者なのだろうとロイドは静かに思う。
「とりあえず、この後はラヴィ・ティミンの応対をした担当の女性に会いに行くと」
「そう。担当したカナン・ミラーにラヴィ・ティミンに会った日のこと聞くだけ」
「聞くだけ? それならこちらでもすでに行っていることだが」
「話聞くより会うことが目的だからね……あ、ここだよ」
「ベル殿」
「なに?」
「ただの民家に見えるのだが」
戸惑うロイドにベルは首を傾げる。民家に見えるのではなく正真正銘の民家だ。王族にとって民家がそんなにも珍しいのだろうか。
「民家って珍しい?」
「民家は珍しくないが、ポータルが民家にあるのは珍し過ぎる」
「作ったときの村の代表者の家だったんだよ。その家系がポータルを管理してくれてるんだろうね」
「……なるほど」
国が管理するものの扱いが雑過ぎる。
その言葉をロイドは飲み込む。何を言ってもこの魔女には暖簾に腕押しだと流石に学んだ。
そんなロイドに気付いてるのかいないのか。ベルは我が物顔でドアを開けるのだった。