01
深く落ちていた意識が急に浮上する感覚と共に目を覚ます。
横になっているはずなのに平衡感覚を失ったかのように揺れる感覚は、あの日の初めて起こされたときと似たものだった。
珍しく見た遥か昔の夢のせいかもしれないと、ため息と共にゆっくり身体を起こす。
『あれ? あるじさま、もうお目覚めですか』
可愛らしい声に目線を向けるとテディベアもとい使い魔が驚いた表情でこちらを見ていた。
大袈裟な、と思いながら主人と呼ばれた少女、ベルは欠伸とともに返事をした。
「ふぁ……おはよう、マッシュ。目覚めが悪過ぎて二度寝も出来ないの」
『二度寝ではなく、次で五度寝になるかと』
的確に事実を告げる使い魔に笑顔を返し、もう一度大きなクッションに体を預けて寝る体制を整える。
『もう、またお休みになられようとして』
「これが私の仕事ですぅ」
『あながち間違っていないので強くは言いませんが。でも、恐らくお客さまが来ますよ』
マッシュの一言で空気が変わる。ピリッとした空気にマッシュはため息をつく。
全身から面倒だというオーラを出しているベルにマッシュは気にすることなく淡々と言葉を続ける。
『今日で十回目の挑戦ですから、諦めてください』
「こんな辺鄙なところに何のようだろうね。暇すぎるでしょ」
『この国の魔女さまがいらっしゃるからですよ』
―――魔女。
この世界には均衡を保つための存在として各大陸にひとり魔女と呼ばれる存在がいる。
はるか昔に創造神が七人の人間に力を与えて生み出したのだ。
選ばれた七人は不死となり、自分が住む大陸に繁栄をもたらしたと言い伝えられている。
創造神の求める働きを魔女たちは成し遂げた。否、成し遂げ過ぎた。
いつしか魔女たちは人々への行き過ぎた干渉をやめた。それぞれが影響を与え過ぎない立場へと変化していったのだ。
ベルもそのひとりだ。人に関わり過ぎることを止めた彼女は自分の大陸を自然豊かな場所へと長い年月をかけて変えた。
彼女の住む場所も木々が生い茂り、道という道のない場所だから訪れる人のほとんどは迷子になる。そもそもが簡単に会えないように視認妨害に方向感覚妨害がされているため、十回挑戦しなければ辿り着くことすら出来ない。
使い魔曰くただの引き篭もり魔女の力の無駄遣い。
しかし、叡智を持つ魔女は簡単には会えないのだと人々は納得しているのだから、魔女得でしかない。
「やだなぁ。諦めてないってことはちゃんと用事ある人でしょ」
『あるじさまに直接ご依頼なんて数十年ぶりですよ。他の魔女さまたちを見習ってください』
「みんな真面目すぎるんだよ」
仕方なくクッションから起き上がりながら呟くベルにあなたがそれを言うのか、とマッシュは思うものの言葉は飲み込むことにした。
せっかく会う準備を始めた主人の機嫌を損ねるほど使い魔として過ごしてきた時間は短くない。
『あと五分もせずに到着されるかと』
「来るならもういつ来たっていいよ」
ヨレヨレの着古された寝巻きに寝癖の付いた髪の毛。
そんな姿で客人を迎えるつもりなのか。さすがに看過できないと小言が一つでは足りなさそうだ。
そんな使い魔の気持ちもパチンと指を鳴らすとマット生地のタイトな黒のワンピースに長い髪はどこからか現れた細い黒のリボンでまとめられることで安堵に変わる。
見た目が変わっただけでこうも風格がでるのか。
そもそも普段がだらしない姿だからそう思うのか。
兎にも角にも、自分の主人は間違いなく魔女なのだ。
「どう? 久しぶりに着たけど様になってるでしょ」
常にその格好でいて頂ければ満点かと。
出かかったその言葉をマッシュは飲み込んだ。ここで主人に言うべきは小言ではなく、全力の称賛である。
例え賞賛が主人を調子に乗らせることになっても、客人が来てる今は誉めるが一番なのである。
「正直もう一仕事終えた気分だよね」
『そんな大袈裟な』
「至って真面目に言ってますけど」
ジト目で使い魔を見ながらもう一度指をパチンと鳴らす。埃っぽかった室内に柔らかな風が吹き、空気が新調される。さらにティーセットが机に並ぶ。
その姿にやる気のうちにお客様が来てくれることをマッシュは心の底から願うばかりだ。
リーン、と甲高い音が静かに鳴る。
それは常人であれば聞こえない魔女の家に客人を知らせる音だ。
「あーぁ。本当に来ちゃった」
ボソリと呟く主人に今度はマッシュがジト目で視線を送る。最後まで依頼が来ないことを願うなんて。本当にブレない主人である。
依頼人が来ることにシャンとしていたリボンもへにゃりとヘタレている。すでにお気に入りのダラけるクッションにダイブしたい。
「失礼する」
扉から現れたのはフードを深く被った三人の男たちだった。
突然家の中に男たちが入ってくるなんて、通常であれば警察を呼ぶ事案である。
ただ、ここは魔女の家だ。警察を呼ぶ必要性は全くない。その証拠にベルは招かざる客が来る前から男が三人来ることは分かっていたことだ。
「こんな辺鄙な所にわざわざ来るなんて。ご苦労なことだね」
「あなたが魔女さまですか?」
「小娘に見えるかもしれないけど、アグリカ国の魔女やってるベルですよ」
ソファに座って男たちにヒラヒラと手を振って挨拶をする。
魔女になった瞬間に家名なんてものはなくなった。今のベルは魔女でしかない。見た目が小娘であっても、何千年も生きるこの世界の魔女なのだ。
ベルの言葉に男たちが息を呑んだのが分かった。真ん中の男がコクリと頷くとフードを脱いだ。
「アグリカ国の魔女ベルさまにご挨拶いたします。私はロイド・ディ・アグリカと申します。両隣は私の護衛として来ている者です」
三人の中で一番若く好青年という言葉が似合う男が挨拶をする。
その名を聞いてベルは。露骨なほど嫌な顔をした。
「えぇ……王族さまが何のようなの」
国名であるアグリカを名乗れるのは王族のみである。目の前にいる若者はどうやら王族のひとりらしい。
王族だと分かってもベルの態度は変わらない。普通であれば礼儀を尽くすが、魔女にはそれは当てはまらない。
向こうもそれを理解しているから何も言わない。寧ろ自分たちが礼儀を尽くすものだと教えられてきている。
『本題に入る前にお客さまにも着席いただくべきではございませんか?』
ティーポットに紅茶を用意した使い魔が奥から現れて主人に苦言を呈する。この主人は自分がダラける、楽な体制になることには全力だが、他人のことは気にしないのだ。
さらに言えば依頼を受けたくないーーー最終的には受けるとて、聞きたくないので早くご退出いただきたい気持ちの表れである。
魔女の方が敬われるといえど相手方は王族なのだ。さすがにこのままは良くないだろう。
「ん? あぁ、それもそうか。みなさま、どーぞどーぞ適当に座ってもらって」
言われて本当に気付いたとばかりにソファへ促す。元々用意していたティーカップは自分のものと客人三つ。ちゃんと何名来るか把握できてる主人に迎える気があるのか、ないのか。
そんなことを思っても言葉には出さない。ちょうど良い蒸らし時間になった紅茶をティーカップにしっかり茶こしを使って均等になるように注いでいく。
「マッシュ殿、有難う」
「あれ? なんで知ってるの」
「王城へお越しいただいてますので」
「王城なんかに何しに行ってるの?」
『国王陛下及び王妃殿下のお誕生日は魔女からの祝辞が必須ですよ』
「えぇ? それ何百年前の話?」
『今世紀も続いております』
うっそだぁ。
表情だけで言いたいことを伝える能力に秀で過ぎである。
そんなベルを見て苦笑いされる。生まれてこの方一度も自国の魔女を見たことはないが、口頭伝承されている魔女の姿と一致しているため何も不思議ではない。
「まぁ、いいや。で、何のご用で?」
「事前に公文書をお送りさせていただいている通り……」
「ジゼンニコウブンショ?」
まるで初めて聞いた単語のリアクションだ。
流石に公文書はベルも知っているが事前にというのは身に覚えがない。
「えっと、三ヶ月程前にお送りしているのですが」
申し訳なさそうに伝えるのと同時に出来る使い魔が山盛りになった郵便物を運んできた。
「量すごくない?」
『最後にご確認いただいてからもうすぐ百年近いかと』
「百年? 一ヶ月前くらいに確認した感覚だったんだけどなぁ」
百年なんてもう魔女にとってはついこの間のことだ。
なんだったら、その期間寝ようと思えば寝ていることだってできる。
さらにベルは面倒ごとを好まない。極力何もしないようにしている結果、郵便物を確認する習慣が抜け落ちているのだ。
「これ? これは違うな……えーっと、王族の封蝋ってどんなのだったけ……国のシンボル? そもそもシンボルなんだっけ? あれ、この手紙あの子から? いつ届いたんだろ。いや、後でいっか。えーっと」
ぶつくさ言いながら手紙の宛名を確認していく。この作業自体今すべきものではないが、後で結局やる必要が出るのだから一緒だ。
まだまだ時間がかかりそうな様子に、客人に紅茶のおかわりでもそろそろ用意すべきか。なんて使い魔がぼんやり思っていると勢いよく扉が開くのだった。