此処ではない何処かへ――
吉三を心配して、水門は彼を追っていた。
あの森に入り込んだらしい吉三の後につづいて地蔵の前まで行くと、鳥居が出現していた。
鳥居の向こうに社殿はなく、森が薄く霞んで見えている。
今、すぐ側にあるこの世界の濃くくっきりとした木々とは明らかに違う雰囲気だ。
何処かの世界とつながりかけているようだった。
「水門、これは……」
「ど、何処につながってるんだろう」
二人は顔を見合わせる。
自分たちの世界かもしれないけど、そうじゃないかもしれない。
吉三が察したように叫んだ。
「いっ、行かねえでくだせえっ。
まだあっしたちには、姫さんたちが必要なんですっ」
だが、そう叫んだあとで、吉三は、ハッとしたような顔をした。
「すいやせん。
あっし、自分がここから逃げ出そうとしたくせに。
ここではない何処かに行きたいなんて思っちまって……」
だが、その言葉に水門は笑う。
「ちょっと魔がさしただけだよ。
今いる場所から逃げたくなることなんて、誰にでもあるから。
その証拠にそうやって、街のためを思って私たちを引き止めてくれたじゃない」
「……行くんですかい?」
水門たちの覚悟がわかったように、吉三は頭に巻いていてた手ぬぐいを外して水門たちを見送ろうとする。
「またなんかとんでもない世界に行っちゃうかもしれないけど。
行ってみる!」
力強く水門はそう言った。
「私たちがいなくなっても、みんなもう大丈夫だよ。
みんなだけで、きっと充分、街を発展してける。
それに、次の世界が私たちの世界じゃなくて困ったら、私、みんなを召喚しちゃうかもしれないから。
これが永遠の別れじゃないかもよ」
「帰れなくなるだろ、カエルたちが」
「そしたら、また地蔵作って、ここではない何処かに行きたい人に祈ってもらって、新しい世界への扉を開いてみるよ」
そんなお気楽なことを言う水門に吉三が笑う。
「ありがとう。
みんなによろしく」
水門たちはこの世界の代表のようにそこに立つ吉三ガエルに手を振り、別れを惜しみながら、鳥居をくぐっていった。
水門たちが消えたあと、鳥居はまだ残っていたが、真ん中あたりに飛び飛びにおいてあった地蔵が二体消えていた。
それはどちらも吉三が彫ったものだった。
この世界の神のようなものに自らの腕を認められた気がして、吉三は涙した。
吉三はやがて、この世界で有名な仏師になるのだが。
それはまだまだ先の話である――。
ゴーン、と赤い夕空に鐘が鳴り響いていた。
「京都だ……」
水門たちはあの森ではなく、商店街の真ん中に立っていた。
夕暮れどきだというのに行き交う観光客は数多く、今にも弾き飛ばされそうだった。
だが、その中に、修学旅行生たちの姿はない。
もう遅い時間だからなのかもしれないが……。
「実は、あれから何万年も経ったんだったりして。
京都の町って、永遠に変わらない気がするからわからないよね」
ゴーンと鐘の音がいにしえの姿を残す町に響く。
黒い影のように見える五重塔を見上げながら水門は言った。
「幻想的な光景だね。
赤い光が町を満たして……。
こっちの方がまるで異世界だよ」
もうヤンキーではない矢頭を振り向き、水門は笑った。
「もしかして、みんな戻っただけかもしれないし。
行ってみようか。
ホテルどっちだったっけ?」
「……さあな」
異世界で二人きりになったときのように、また手をつないでいた。
水門は矢頭を見上げて、ふふふ、と笑う。
「矢頭くんと私の異世界放流記だね」
「またか。
何処まで流れてく気だ」
赤い夕暮れの空に棚びく雲。
その下には五重塔。
軒先からはうさぎではなく、人が顔を覗かせ、
「おいでやす~」
と客に笑顔で話しかけていた。
赤い空の下に、鳥居も古城の姿ももう何処にもない。
そのまま何処までも二人で歩いていってもいいような気分だったのだが。
広い通りに出た水門はそれを見つけてしまう。
「あっ、うちの学校のバスッ」
水門が指差した瞬間、向こうも気づいたようで、近くの広い場所まで行って、その観光バスは止まった。
黒縁メガネの先生が窓から顔を覗け、叫んでくる。
「紅井っ、何処行ってたんだっ。
警察に通報しようかと思ったぞっ。
矢頭、紅井を探してくれたのか。
すまなかったなっ」
え~、なんでそうなるの~っ、と叫ぶ水門に矢頭が、
「日頃の行いだろ」
と今度こそ、かけていた銀縁メガネをチャッと押し上げた。
「矢頭くん、さっきの格好のまま戻ってきてたら、私だけが先生に攻撃されるなんてことなかったのに~っ」
黒髪詰襟銀縁メガネの矢頭を睨んで水門は叫ぶ。
「なんでもいいから、早く乗れっ」
後続車を気にして、何度も振り返りながら先生も叫ぶ。
窓から、いつも通りの塁が見えた。
こちらを見下ろし、笑っている。
「そういえば、あのコマンド使わないままだったね」
バスのステップを上りながら水門が言う。
「コマンド?」
「『女とチャラチャラする』」
「それは一生使うことないな」
と素っ気なく言いながら、矢頭はバスの狭い通路を歩いてついてくる。
「まあ使うとすれば……」
水門が振り向くと、そこから先は声には出さずに、口の動きだけで、矢頭は言った。
『水門とチャラチャラする』
水門は赤くなりながら、同じ班の塁の横に座った。
「……おかえり」
「ただいま」
塁たちにとっては、わずか一、二時間のことだったろうが。
自分たちにとっては長かった。
それがわかっているかのように塁は微笑み、そう言った。
「座ったか?
出発するぞ~」
先生が言い、水門は斜め前に座った矢頭を見る。
相変わらず、クソ真面目な顔をしてこちらも見もしない。
なんかもう……異世界で一緒に暮らしてた日々も夢みたいな感じなんですけど、とその横顔を眺めながら水門は思っていた。
赤黒いバスの座席のふわっとした布の感触。
みんなが持ってるお菓子の匂いとバスの匂い。
冷ややかな矢頭の横顔。
ああ、なんか……
異世界に行ってたときのことがすべて夢のようだ。
「リアルすぎる、この現実っ」
とつい小声で叫んでしまったとき、塁が横から言ってきた。
「そういや、お前ら、ボロボロにした土産物の金、払ってきたか?」
「あ」
「あ」
と離れた席でも聞こえたらしい矢頭も声を上げる。
「木刀、茶筒、手裏剣っ!」
二人で叫んで立ち上がった。
困った生徒をようやく拾って、ほっと一息ついていた先生もビクリと身を震わせて立ち上がる。
「なんなんだ、お前ら~っ。
矢頭っ、紅井に感化されるなっ」
とロクでもないことを叫ばれた。
いや、その人、総長ですよ、総長っ、と訴えたかったが、言えなかった。
「すみません」
といつもの淡々とした声で矢頭が言い、
「すみません~」
と水門も言って、すとん、と腰を下ろす。
バスの振動が響く中、水門は前の座席の背をつかみ、じっと矢頭の横顔を見つめる。
なにかを訴えるように。
すると、矢頭が振り向き、ちょっとだけ笑って見せた。
異世界にいたときのように。
ようやく、水門の顔もほころぶ。
まあ、また近々、来るだろうから、そのときお金払おうか。
京都も異世界も。
疲れたら、また、
きっと訪れるから。
矢頭くんと二人で――。
何万年も変わらないかのような、いにしえから続く町に、ゴーンッと鐘の音が鳴り響いた。
「京都に修学旅行に行ったら、異世界に着いていました
~矢頭くんと私の異世界放流記~」 完




