ep.7 至高のぷにぷに肉球
私の返事を聞くよりも先に、ニアはしゅわしゅわっと魔法のベールを纏って実体化した。
ロシアンブルーの特徴であるグレーの短毛に、あまり見かけない黄金の瞳が宝石のように光って現れる。そしてあろうことか、そのままぴょんっと私の膝の上に乗ってきたのだ。
「えっ、わっ!?」
振り落とすなんて絶対出来ないし、どうしたらいいの!?
行く当てのない自分の両手を、あわあわと空中でバタつかせている私に、ニアは全くお構いなしのようである。
のんびりとした様子で、私のお腹へ寄り掛かるようにぽふりと体を預けてくる。じんわりと伝わってくる生き物のぬくもりに、少しずつ心が緩んでいく気かした。
……ふわふわだ。それに、もっちりしててあったかい。
『私とは会話が出来るんだし、メルの事を引っ掻いたり噛んだりなんて絶対しないって、約束するわ。だから少し触ってみたらどう?』
ほら、早くと言わんばかりに前足をチョイ、と上げて私を振り返った。
予期せぬ提案に驚き、見開いた私の瞳に映ったのは、ほんのりピンク色のぷにぷにしていそうな肉球。
猫の肉球は至高の感触って、聞いた事あるな……?
「……さ、触りたい。でも猫。うぅ、なんでニアは実体化してもそんなに可愛いの……!?」
『ちょっと、一旦落ち着いて? ふふ、メルって変わった褒め方をするのねぇ』
心の声がダダ漏れだった私は、しばしの葛藤の末、苦手な猫が既に膝の上にまで乗っているのだから、触るのも同じだと思う事にした。
「ええと、じゃ、じゃあ……失礼して……」
ゆっくりと、慎重に。まるで壊れ物に触れるかのように、私は震える指を伸ばしたのだった。
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「はぁ……ありがとう。すっごく癒された」
あんなに身構えていた身体が、嘘みたいだった。ニアを撫でていく内に、自分でも信じられない程リラックスしていたのだ。意思疎通のとれるニアなら大丈夫だって思えたからなのかな。
『本来の目的とちょっと違くない? まぁこういうのを続けて、メルが徐々に猫全般に慣れていってくれればいいのかしら……?』
ニアは私の膝から身軽に飛び降りると、少し呆れた様子で笑った。
「え? それって、また触らせてくれるって事? ありが……」
「……ニア、呼びかけにも反応しないから探したんですが?」
背後から突如響いたのは、聞き覚えのある冷ややかな声。芝生の上に座っていたままの私は、喋り掛けていた口をつぐんで、ぴゃっと小さく飛び跳ねた。
副団長、気配なさすぎじゃない……!?
『あらシルヴァ、ごめんなさい。話に夢中になってて気が付かなかったわ。何か急ぎの案件でも入ったの?』
「全く……君は相変わらずですね。伝えておきたい事があったんですよ。……どうしてアシュレーと一緒にいるんですか?」
『メルと話がしてみたくて、私が無理やり仕事中に声を掛けたのよ』
……何か、ヤンデレ男とその彼女みたいな会話してるな。
私がニアを唆したって言われて、最終的に副団長に殺されるなんてパターンはお断りなんですが……?
「もしかして、あの件を話しました? どう進めていくかまだ検討段階だったはずなのに、何故アシュレーに……」
『話したわよ? だってメルと実際に会って話してみたら、確信できたんだもの。誰かに依頼するのなら、メルに手伝ってもらった方が絶対に効率もいいと思って』
「彼女は非戦闘員ですし、まだ入団して1週間しか経ってませんよ」
『そんな事いったらシルヴァ、貴方だって同じでしょ? それにもう決めたの。メル以外のよく知らない人と組むなんてお断りだわ。それなら私1人で行動する』
ニアの頑なな態度に、副団長は小さく溜息をこぼした。
『君だけだと心配だから騎士団員と共に行動してもらおうと思っていたのに……何でまた、よりによってアシュレーを選んだんですか……」
そんな貧乏くじ引いたみたいに言わないでほしい。私から望んで立候補したって訳じゃないのに……と、何とも解せない気持ちで2人の会話を聞くに徹している私なのだった。
『この件に人や時間をかけていられないのも本当でしょ? いくら気になるからと言っても、事件性があるかも分からない状態なんだもの』
「それはその通りですが……」
突然2人の会話が途切れ、視線を感じた私は慌てて背筋を伸ばした。ヤケにニコリと綺麗に微笑むニアは……とっても怪しい。
『じゃ、話はまとまったわね? そういう事でメル、短い期間だけどよろしくね。日程が決まったら迎えに行くわ』
「え!? ちょ、全然まとまってなくないっ!?」
『また任務の時に会いましょ。シルヴァ、副団長室に戻ってるわね』
素早く実体化を解いたかと思ったら、しなやかな足取りで消えていく自由な精霊猫、ニア様である。
あああ、副団長を置き去りにしないでほしかったんだけど……!?
気まずい沈黙が流れる、そう思ったのに、意外にも副団長から再び話しかけられた。
「……貴方はもうニアと呼ぶ仲になったのですか」
「えっ? はい、本人からそう呼ぶようにと言っていただいたので……ダメでしたか?」
「いえ、本人が許可したのなら構いません。彼女はかなり人見知りをするので、今まで自分以外の人間と打ち解ける事がありませんでしたから……少し驚きました」
……表情が1ミリも変わってないけど、本当に驚いてるのかな。
「逆に自分の懐に入った人間には、優しいと思います。彼女の様子からして、この短時間で貴方には心を許したのでしょう」
「もしそうなのでしたら、私はとても嬉しいですけど……」
自分のパートナー精霊が自分以外に懐くのって、なんかあんまり嬉しくないと思うんだけど、いいのかな。副団長、ヤンデレ彼氏っぽいし……(勝手に決めつける事にした)
「……先程の件ですが、医務課の方には私から言って日程を調整してもらいます。スケジュールに空きを作ってもらい、ニアとの業務が組み込まれる形だと思っていてください」
「わ、分かりました」
「基本的にこの件が落ち着くまでは、君とニアのペアで行動してもらいます。ニアに私との伝達役をしてもらうつもりですので、何かあれば彼女に」
つまり副団長と接触しなくとも、ニアに言伝を頼めるって事か。私は了承の意を込めてこくりと頷いた。
「では、日時は追って後日。あぁ、それから……医務課に立ち寄った際、貴方が裏庭から中々戻ってこないと言ってましたよ」
「っ、そうでした! 塗布薬用の薬草……!」
摘みかけで放置してあったカゴが視界に入り、ひぇっとなる。副団長へと目を向ければ、もう話す事はありませんとばかりに、既に私から背を向けてスタスタ歩き出していた。
ちょ、ちょっとくらい手伝ってくれてもいいんじゃないの……?
やっぱり副団長は、私とニアが仲良くしてた事を許していないのでは。
「ヤンデレ副団長め……」
私の恨めしい声は、爽やかな春風に乗って消えていった。