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しあわせなこどもたち

作者: 白川明

「明日から、あなたの妹がここで暮らすことになるの。お姉さんなんだから、ちゃんと面倒見るのよ」


 夕食の席で母がそう言った。

 シイナは食事の手を止めて、思いっきり顔をしかめた。


「なにそれ、聞いてないんだけど」

「急に決まったのよ。私たちもさっき連絡を貰ったの」


 母は明日帰りが遅くなるからご飯は買ってきて、とでもいうような口ぶりだった。


「それより、妹ってなに。うちはあたししかいないでしょ」

「勿論お父さんと私の子はあなただけよ。お父さんと別のお母さんの子よ」

「なにそれ!? お父さんの隠し子ってこと」


 シイナが声を上げると、黙って食事をしていた父がやっと口を開いた。


「いや、隠してはいないぞ。メグミはーーお前の妹はあの子のお母さんの家族の下で暮らしていたんだ」

「でも、彼女のお母さんが出産で、もう一人小さい弟さんもいるから、しばらくの間こっちで暮らして貰うことになったの」

「意味わかんない。なんでよその子がうちに来るわけ?」


 そうシイナが言うと、母が鋭い声で「シイナ!」としかりつけた。


「あなたの血の繋がった妹なのよ。よその子のわけないでしょ」


 その言葉にシイナは苛々した。

 なぜ、この場で腹違いの妹とは完全な赤の他人である母にしかられなければならないのか。シイナは納得がいかなかった。


「本当はメグミのおばあさんたちが面倒見るはずだったんだけど、腰を痛めて見れなくなったんだ」


 場を取りなすように、父が言った。


「そんなの知らない! ぜったいにいや!」


 そう叫ぶとシイナは食事の途中だったが、席を立って、真っ直ぐ玄関に向かった。後ろで自分の名を呼ぶ母の声が聞こえた。



 シイナは家を出て町の大通りを突き進んだ。

 町外れにその店はあった。小さな古くて汚い本屋。売り場の床は土間になっていて、置いている本はほとんど日焼けしている。

 シイナはその店に駆け込む。いつものように扉は開いていた。店の中には小さな椅子がぽつんと一つあり、そこにシイナは乱暴に座った。


「いらっしゃい」


 店主のアマネはシイナの態度を気にすることなく、声をかけた。


 ここはシイナの大事な避難所だった。同い年の友達のいないシイナはこの風変わりな店主の廃れた本屋が家以外の唯一の居場所だった。

 アマネは他の大人たちと違って一人だ。結婚もしていない、子供もいない大人はシイナの知っている限り、アマネだけだった。

 アマネの店はこの辺では珍しく夜遅くまでやっている。


「食事はしてきたのかい?」

「……食べてきた」


 むすっとした顔で答えるシイナにアマネは苦笑した。

 シイナはその辺にある漫画をタイトルも見ずに手に取った。それはシイナの嫌いな恋愛ものだった。しかめっ面でシイナはページをめくった。アマネが店の奥に行ったのをレジの後ろの引き戸が開く音でわかった。アマネは商売する気がないらしく、シイナが何も買わずに、長い時間立ち読みーーどころか椅子に座って読んでいるのだがーーしていても注意することはなかった。


 ふと、甘い香りがした。


「ココア飲むかい?」


 顔を上げるとアマネがマグカップを差し出した。


「……飲む」


 シイナは湯気の立つマグカップを受け取る。甘い香りが鼻いっぱいに広がる。シイナは一口だけ飲んだ。


「熱い」

「ゆっくり飲みな」


 アマネも同じようにマグカップを持ちながら言った。

 しばらく二人は黙って温かいココアをすすった。


「妹が」


 シイナはそう言ってから、口をつぐんだ。

 アマネはこちらに体を向けるが、何も言わなかった。アマネが話を聞く体勢になったのを見て、シイナは続けた。


「あたしに妹がいるんだって」


 少し驚いた表情で、そうか、とアマネは言った。

 シイナはアマネに異母妹がいたことと、その妹としばらく暮らさなければいけないことを話した。


「なんで家族じゃないのにうちに来るの」

「君にとっては家族ではないが、彼らにとっては家族だからだろうね」


 シイナにとっての家族は父と母だけだ。第一、今まで他に家族がいるなんて聞かされていない。

 そうシイナが告げると、アマネは言った。


「俺のときもそうだったよ」


 シイナがアマネを見上げる。アマネはどこか遠くを見ていた。


「多分君と同じくらいのときだ。父親が違う姉と、母親の異なる弟がいると聞かされた」

「何それ!」


 アマネは声を上げた。

 母親にも別の子供がいるなんて酷い、とアマネは思った。


「俺もね、知ったときはショックだったよ。でも、それは、普通のことなんだ」

「……どういうこと」

「子供を増やさないと、この世界はすぐに滅んでしまうんだよ」



 君はこの町の外に行ったことがあるかい?

 ないだろう?

 あるわけがないんだ。

 だって、この世界にはもう、ここしかないのだから。


 昔、この世界はこんなに狭くなかった。この星のほぼ全域に人が住んでいたんだ。けれど、大きな戦争が起こって、人類のほとんどが死に絶え、大地は汚染された。

 学校で教えられた歴史と違う? うん、そうなんだ。今の学校では近現代史は一切教えていない。知らない方がいい、と政府の人間たちが決めたんだ。そうした方が、この社会を存続させる可能性が高いから。

 そうして、ただ世界を存続させるために、子を生むことを推進する。今までの家族の概念を少しだけ変えて。


「そういうことなんだ。わかった?」

「……わかんない」

「はは、そうだろうね」


 アマネは笑った。

 シイナにはアマネがなぜ笑うのか理解できなかった。


「君に妹がいるのは、まあ、そういうことなんだ。ただの帰結で、深い意味などないんだ。それを飲んだら、家まで送ろう」


 シイナは不満だったが、アマネの言葉に従った。アマネは、他の大人たちなら、まずしない話をする。他の大人たちはアマネを大嘘つきだと言う。シイナもそう思う。だって、この街の外にも他の街や他の国がある。テレビで他の街と国の情報が流れるのだから。


 シイナはアマネと共に帰宅し、母親はアマネに感謝して、頭を下げた、

 けれど、シイナはわかった。母のその態度は表面的なもので、あまり感謝しておらず、早く目の前から消えて欲しいと思っていることを。

 多分、アマネもそれに気付いている。


 シイナは母に怒られ、口先だけ謝った。妹のことはもう口にしなかった。


 シイナは眠る前、居間のテレビを眺めた。テレビでは隣町の動物園にパンダが産まれたことや、隣国のトマトを投げ合う祭りの様子を映した。

 ほら、やはり、アマネの話は嘘だ。

 シイナはそのまま自分の部屋に向かって、ベッドに入った。

 ベッドの中で、自分は勿論、父も母も同級生も海外どころか、他の街へ行った、という話を聞いたことがないことに気付いた。その思い付きにゾッとしながら、シイナは必死に目を瞑って寝ようとした。


 

 翌日、家に妹が来た。

 邪険にしようとしたが、あまりに妹が人見知りでおどおどしていたので、なんとなく気が削がれた。

 両親に言われるまま、妹と一緒に遊んだり、面倒を見ていたりしていると、意外に楽しく過ごせた。


 そうして数週間一緒に過ごして、妹は帰っていた。

 妹が帰宅した翌日、シイナはアマネの店に行こうとした。

 しかし、アマネの店があった場所は更地になっていた。


 アマネは遠くに行ったらしい、と大人たちは口を揃えて言った。シイナは二度とアマネに会うことはなかった。



 今日もテレビでは遠い街の出来事を流す。

 シイナはリモコンに手を伸ばして、電源を切った。隣でニュースを見ていた母が何をするのと怒ったが、シイナは黙って夕食を掻き込んだ。

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