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記B4.キンダンノハーツ

 盗作。

 盗作したことを責められたとある有名アイドル。

 盗作されたことを責められたシンガーソングライター、山口 勝利まさり


挿絵(By みてみん)


 両者の接触は無きに等しい。

 直接、顔を合わせたのは一度きり、相手側から“示談交渉”を申し込まれてのことだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 有名アイドルの謝罪は心から、――心から勝利に慈悲と救いを求めていた。


 事の始まり。


 インターネット上でのみ楽曲を発表する勝利はある日、一件の話題に気づく。

 某有名アイドルの新曲が、勝利の楽曲とそっくりだというのだ。


『あの子やっぱ最低』『これってパクリですよね』


 聴き比べてみると、その類似性は“気の所為”で済まなかった。しかし完全に同一でもない。歌詞も曲も、よく似ているけれど細かい差異がある。同じといえば同じ、違うといえば違う楽曲に仕上がっている。白とも黒ともつかない、カフェオレ色。


 ――勝利は沈黙を選んだ。


 相手の意図も真相もわからない。法律上、争って勝てるような根拠もない。なにより、勝利は盗作の被害者でありながら“被害”をひとつも実感したことがなかった。

 何もしなかったのに、戦争ははじまった。


 その有名アイドルを快く思わない層にとってネガティブキャンペーンの『攻撃手段』として盗作問題が利用される。勝利が言ったこともない『発言』が拡散されたのだ。

 すると今度は、アイドルを守りたい層、あるいは勝利のことを憎む層に『発言』を元にした攻撃がはじまった。勝利が難癖をつけて、有名アイドルにあやかり、ネット炎上に乗じて知名度の向上を狙った――といった陰謀がまことしやかにささやかれる。


 当事者不在の、代理戦争。

 インターネットという電子空間上でのやりとりが山火事のように延焼していく。

 そして炎上の深刻化を恐れた相手側は、示談交渉を提案する――。


「……わたしは、盗まれたなんて思ってません。示談金なんて……」


「我々としては今回の件は、山口先生との円満な解決で終わらせたいのです。こちらは盗作してしまったことを潔く認めて、正式な許諾を頂きたい。手前勝手ながら、おねがいできませんか」


 不本意だった。

 自分と無関係なところで様々な人の思惑が渦巻き、不必要に関わってくる。


 “素敵な作品を発表する”


 たったそれだけのことに予期せぬパワーが生じて、たくさんの人を不幸にしていく。


「……わかりました。示談金を受け取らせてもらいます」


 うんざりだ。

 誹謗中傷を行う道具にされたことも、罵詈雑言を浴びたことも、これまでの声援やあたたかい言葉を踏まえてもなお上回るほどに、勝利の心を凍てつかせた。


「あたしはただ、山口先生の楽曲が大好きでしょうがなくて、それで……こんなことになって」


 憎悪と同情。

 四つ年下の有名アイドルは愚かで素直だった。謝罪には心がこもっていて、本気で反省していることは感じられた。

 音楽におけるパクリの境界線は曖昧なことで知られている。勝利だってゼロから作詞作曲できている自信はない。少なからず、古今東西の名曲名詞から影響がある。悪意どころか好意あってのこと。迷惑だけど理解はできる。


 こうして盗作騒動は無事に終わった――。


 終わったのに、勝利への攻撃は止まらず、炎上はエスカレートした。

 盗作された事実を認め、示談金を得たことでファンによる逆恨みの書き込みはつづく。弁護士に依頼して法的措置もおねがいした。少しずつ炎上は沈静化しつつある。


『オマエノセイダ』


 五つ首の獣がささやく。日に日に影が大きく、希薄だった像が色濃くなっていく。

 幻覚、幻聴、どうであれ相談できる相手もいない。

 ついに呪詛のかたまりが現実に牙を剥いて襲いかかってくるではないか、その時に。

 

「――神良様がね、助けにきてくれたんだよ、わたしなんかを」


 泡まみれのカラダをざっと湯でそそぐ。

 勝利はなんだか、まだ湯に浸かってもいないのにさっぱりとした心地になっていた。


「つまらない長話に付き合わせちゃって、ごめんね」


「しつこい。話せと命じたのはひめじゃと言うとろーに」


挿絵(By みてみん)


 神良は――この不可思議な吸血鬼を名乗る少女は、すくっと湯船から立ち上がった。

 そして「そなたはゆっくり風呂を楽しむことじゃ」と延べて浴室を出ていく。

 入浴後は洗濯を済ませて、何事もなく勝利は眠り、一夜を明かす――。


 目覚めた時にはもう、神良はそこにいなかった。


「……やっぱり、吸わないんだね、わたしの血だもんね……」


 拍子抜けする、あっさりとした別れ。

 神良に対して勝利は何を期待していたというのだろう。望み通りに、一夜を無事に過ごすことができたではないか。


 もしまた怪物が襲ってきたとしても、都合よく二度三度と助けてもらえる理由もない。

 迷惑をかける一方で、何もしてあげられない相手をだれが守りたいものか。


「曲、作らなきゃ……」


 ひだまりでほんのり温まった仕事道具のPCマウスを滑らせる。

 フォルダには完成済みの、発表の機会を失ってしまった楽曲がいくつも眠っていた。示談が成立したのは半年前のこと、あれから一度も公表はしていない。


 大好きな音楽をあきらめたいわけじゃない。

 けれど、不特定多数の誰かに影響を与えるということの連鎖が恐ろしくてしょうがない。


 何百、何千、何万と拡大していく人の輪に恐怖する。


 ――ねずみだ。

 陰に潜み、直接は顔を見せようともせず、暗闇の中で増殖していく。

 一匹一匹をみればかわいげがあるちいさな動物が、群れをなして襲ってくる。


 どうやればねずみの恐怖から逃げられるのだろう。

 PCマウスはその答えに導いてはくれそうになかった――。












 二日後の夕刻、買い物帰り。


 電車の唸る高架下の暗がりを、勝利はひとりうつむいて歩いていた。

 自宅とスーパーを往復する以外、勝利は外出を控えていた。


 元々インドアでひきこもりがち、地元を出て上京してきたものだから友人はいない。仕事関係の付き合いも、今は止まってしまっている。示談金のおかげで当分は生きていけるし、家族に悩みを打ち明けると実家に帰るよういわれそうで弱音は吐かないことにしている。


 ネットに繋がれば、勝利の帰還を待ってくれているファンがいるはずなのに。

 長いことSNSは最低限の確認だけ、誰かの発信は目にしても、自分から発信したり、自分へのメッセージを読むことを避けてきた。


 何もかもが怖い――。

 ガタンゴトンガタンゴトン。いつも迷惑にばかり思えていた電車の騒音が、なぜか心地よい。


『礼賛ダケガ欲シイノカ』


 声。呪い声。

 高架下のトンネルの側溝から這い出してきたちいさな一匹の影は、ねずみだった。醜悪な、黒い怪物が髭の生えた鼻をひくつかせながら話しかけてくる。


『スゴイネ。素敵ダネ』


 一匹、また一匹。溝の底から湧き出してくる。

 ぞわぞわ、うぞうぞ。

 氾濫する泥水のように、呪詛のねずみが溢れてくる。


「いや、いや……!」


 狭くて暗い高架下トンネルは一本道で、出口に向けて走るしかなかった。

 わさわさ、うようよ。

 たった十数メートルの距離が、無限大に遠い。


『褒メラタイ。認メラレタイ』


『叩カレル。嫌ワレル』


 無数の怪物が迫ってくる。逃げても、逃げても、追いかけてくる。

 足元に絡みついてきたねずみを踏んづけた拍子にバランスを崩して、転倒する。


「痛っ」


(誰が、一体誰がこんなにまでわたしを……!)


 黒い濁流が、立ち上がろうとする勝利に襲いかかってくる。

 ふくらはぎを黒毛が次々と掠め、ぞわりと背筋に寒気が走る。


「ひっ!」


 ちいさな手足が素肌を捉えて、ねずみは膝に達し、さらにフレアスカートへ駆け上ろうとする。


「やだ、やだ! 助けて……っ!」


 振り落とそうともがいても、深い沼に足がハマったように動かない。

 悪寒が止まらない。

 無数のねずみに呑まれていく。


「助けて、誰か……! わたしを……!」


 何匹もの呪詛のねずみが服の上や下を這いずり、勝利はトンネルの天井に訳もなく手を伸ばす。

 誰もこの手を掴んではくれないのだと知りながら――。

 悪意の海で溺死する――。


「つまらぬ戯言にひめを付き合わせおって」


 手を、掴んでくれた。

 高架下トンネルの天井に逆さまに吊り下がったまま、あの吸血鬼の少女が、神良が、勝利の腕を掴んで引っ張り上げてくれた。


 ぼたぼたと黒いねずみが勝利の体中からこぼれ落ちていく。


 やっと、やっと助けてもらえた。

 誰かと繋がることができた。理解してもらうことができた。


 そう、勝利の心がおおきな嬉しさに湧き立った時、神良の眼差しは冷たい刃を突きつけていた。

 美しくて、恐ろしい瞳。

 絶体絶命の窮地から救われたはずの勝利の“向こう側”を、見透かしていた。


「どうして、神良様! だって、わたしは――」


「噛み跡ひとつない己の姿を見てもまだ、己の愚かさに気づけぬか?」


 腕を掴まれたまま宙吊りになった勝利のカラダから大半のねずみが剥がれ落ちた時、そこには転んだ拍子にすりむいた膝のわずかな出血を除いて、傷という傷がなかった。

 地面にはまだねずみがうごめき、不気味な沼を波打たせている。口々に勝利を責める無数の悪意を投げかけてくる。だというのに――。


 その醜悪な群体の一切より、神良のことが怖くてしょうがなかった。


「一度目の闇の隣人を呑み干した時、ひめも気づけばよかった。そなたを責め、襲おうとするケダモノがなにゆえ爪傷ひとつ負わせておらぬ。なにゆえ言葉だけを投げかける。悪意が形を成すほどに集っていたとして、なぜ“半年前”にとうに終わった炎上騒動の呪いが、今、そなたを襲う?」


 言葉と裏腹に、怒りの色はない。

 神良の表情は喜怒哀楽のどれにも属さぬ、穏やかで冷たくて鋭いものだ。

 しかし片腕を掴んで離さない神良の力加減はとても強くて、痛いくらいだ。


「今が一番、そなたが孤独だからに他なるまいよ」


「……さびしがり屋にもなるよ、ずっと、誰かと会うのを怖がって逃げてきたんだから」


「勝利よ。そなたは責め立てる怪物の言葉はいずれも、そなたが自分を許すための自罰と自傷じゃ。現実にはもう、そなたを責める者はかつてほどにおらぬ。傷心の自分が、傷ついたままでいるために“都合のよい悪意”をそなたは望んだ。心を閉ざしたままでも仕方がない理由を、言い訳を失いたくない。怪物どもはそなたの孤独をまぎらわす言い訳、一人遊びにすぎぬ」


 ねずみの鳴き声が静まっていく。

 糸の切れた人形のように、蠢く影の群体はぴたりと動かなくなってしまった。


「さしずめ仮病じゃのう」


「……ダメかな」


「ダメとは言わぬ。仮病とて病じゃ。そなたは心を病んでおる。しかし仮病というのはいつまでも患ってはいられぬ。仮病を治せるのは己のみよ。それを他人に助けてもらおうと求めても無駄じゃ」


 痛い。痛い。痛い。

 ありもしない痛みを勝利の心が訴える。

 やさしくて厳しい言葉がやわらかく突き刺さって、勝利は“無傷だらけ”にされてしまう。


「そなたの尊き名が泣いておる。さぁ、どうすればよいか、そなたが決めることじゃ」


 勝利まさりは己の弱音に勝利したい。

 そのために――ほんのちいさな事だけれど、神良の掴んでくれている腕を振りほどいた。


 静止したねずみの海に落下する――。


 無数の影ねずみたちはクッションのように弾んで、勝利のカラダを受け止めてくれた。


 そして勝利は自分で立ち上がって、天井に吊り下がった神良へと自ら手を差し出す。

 繋がりを求めて。


「神良様、ううん……神良ちゃん。わたしと……、わたしと繋がって!」


 くすりと微笑する。白牙の煌めく口元を歪めて、神良は妖しくも可憐に笑ってくれる。


「酔狂なことを。ひめと繋がりたいと願うことの意味がわからぬとは言わせぬぞ。茶飲み友達ならば他を当たるがよい、今のそなたに願って得られぬ道理はない」


「う、うっしゃい! わたし、真剣なのに!」


 意地悪なことをいう神良。

 勝利はつま先立ちになって、少しでも近づこうと小さな背を伸ばして迫る。

 拒絶されることが怖い。けれど今の勝利にとって、神良と二度と会えないのはなお怖い。


「血を捧げる! わたしの血、あんまり美味しくないかもしれないけど……! でも!」


「でも?」


「だ、妥協して!」


 勝利は考えなしに叫んでしまい、「くふふふふ」と神良に笑われてしまう。

 己の不器用さに気恥ずかしくなる。逃げ出したい臆病な気持ちを、ぐっとこらえる。


「高貴なるひめに譲歩しろと言ってのけるとは、くふふ、くはははは」


 神良は地面に降りて、勝利の差し伸べる手に口づける。


「ぴゃ……!」


 拒絶される恐怖にドキドキと緊張していた勝利の胸が、正反対の意味で、急に苦しくなる。

 美しさは怖さ。

 これから神良という傾国の美に身を捧ぐのだという事実に、今になって戦々恐々とする。


 心を閉ざしている間、神良のことを“そういう目”で見ていたつもりはなかった。ずっと年下にみえる女の子。勝利の嗜好の範囲外。客観的な美しさを認識していても、見えない壁を隔てた別世界の美貌でしかなかった。


 ――なぜ、湯と泡にまみれて神良を撫で回していた一時、ああも無感動でいられたのか不思議だ。

 色褪せた世界に血が巡る――。


「勝利よ、案ずるでない。心の闇が濃厚であるそなたの血はきっとひめ好みじゃ」


 高架上の電車の騒音が、鼓動の音より小さく聴こえた――。


「寵愛を授ける。とくと鳴くことじゃ、ねずみのように愛くるしく」


「きゅっ」


 手首を咬まれる。

 心臓の高鳴りは、まるでより多くの血を神良に捧げるためであるかのようだった。

 痛みを凌駕する快感にびくっと勝利は背筋を震わせる。


「吸われてる、わたしの……ふやぁ……!」


 引き算の快楽。

 心のわだかまり、体のほとばしりが吸い上げられていく。熱くなる。寒くなる。血が失われるという喪失感の代わりに、得体の知れない充足感が勝利を満たす。


「神良ちゃん、これ、怖い……!」


 とめどなく涙が滲んでしまうのは深く繋がる喜びの涙か、死に恐怖する恐れの涙か。


 ――ねずみ達が、神良の喉がこくんと鳴るたびに消滅する。


 初めての吸血が終わった時、勝利はもう、何がなんだか分からなかった。


(これ――きっとクセになっちゃうやつだ――)


 恍惚として、呆然として。取り返しのつかないことをしてしまったのではないかという不安感を凌駕する、説明のつかない満ち足りた心地に勝利は浸っていた。

 神良の血濡れた唇が、Chu!と勝利のたわわな胸の谷間を食む。


「ああ、極上の血じゃ。たまらぬ、たまらぬ――!」


「はぁ、はぁ……神良ちゃん、うれしそうにして……」


 一回りちいさな神良をぎゅっと抱き寄せて、胸うずめさせ、その銀髪に指を通して撫でる。


 幼くて大人の、不思議で素敵な吸血鬼さま。


 ずっと求めてやまなかった生のぬくもりを、ひんやりとした不死者のカラダを通して感じる。

 イケナイコトに夢中になっている。


 勝利はただ今は、この熱情に身をゆだねていたかった――。


「さて、つづきはもっと風情のあるところでせねばな。ちと飛ぶぞ」


「つ、つづき? これで終わ――ぴゃあああぁぁぁぁーーー!?」


 強引に連れ去られること、夕暮れを過ぎてすっかり暗い夜空の上へ。

 舞い上がっていた勝利は、神良に舞い上げられてしまった。

毎話お読みくださり誠にありがとうございます。


もし面白かったと感ずるならば、そなたの血を捧げるのじゃ!

こほん……、もとい、感想、評価、ブックマーク等お待ちしております。

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