記B3.光神良 マサリの鏡
○
犯罪かもしんない。
銀髪ロリ人外美少女が浴室に素っ裸で座っているというシチュエーションはもはや犯罪に値する。
(どうしてこうなったの……!)
山口 勝利は、この不可思議なヴァンパイアガールの美しさに恐怖を抱いていた。
勝利の独特な感性になるが、ピアノの鍵盤を彷彿とさせる真っ白な素肌をしている。今は生やしていないが、象徴的な黒い翼とのコントラストがそう印象づけたのかもしれない。単に白いのではなくて、触れたら素敵な音色を奏でてくれるのではないかという期待感や誘惑のある白肌だ。
華奢そうな小柄な体躯は、グランドピアノよりは鍵盤ハーモニカでもいいかもしれない。
真夜中のピアノという連想は、なんとなくホラーチックで『美しくて怖い』の典型でイヤだ。
(見ず知らずのおんなのこをド深夜にお風呂って……同性でも通報もんだよぉ……)
吸血鬼。
そう、吸血鬼セーフ! 幼女ちがう!
浴室のほんのり曇った鏡には綺麗さっぱり吸血鬼――神良は映っていない。ドデカイ怪物を必殺の暗黒ドリルキック(?)でやっつけていたんだから神良はまず普通の女の子ではないはずだ。
(うう、あのときおしっこを我慢できてれば……!)
自分の不始末を洗い流すためにも、勝利は意を決して、風呂桶を手にして湯をすくう。
「せ、背中を流しちゃうからね、いいんだよね……?」
「洗えと命じたのはひめじゃぞ。いちいち許可など――」
ちっちゃな背中だ。
肩甲骨のところに黒い翼を生やす基部らしき、十円玉くらいの小さな黒ずみがあった。黒曜石のような滑らかで硬質な蓋といった感じだ。ここから瞬時にドラゴンみたいな羽根が生えるのは直に目撃したのに想像しがたい。
(なにかブラックホールみたいに吸い込まれそうでホント、コズミック怖い……)
たっぷりのお湯をばしゃっ!と勢いよく勝利はぶっかける。
「ぎゃふんっ!?」
初めて聞く古風な悲鳴をあげて、神良がびくっと背を震わせた。
(え、なになに……?)
試しにも一度ぶっかけると、また「ぎゃふわんっ!?」と神良は情けない声をあげる。
『吸血鬼は流水が苦手なのじゃ』
という神良の言葉を思い出す。そっか。お湯を掛けるだけでも流水で、弱点なんだ。
「ご、ごめんね神良ちゃん?」と言いつつ、またばしゃっと。
「ぶっかけたな!? 謝るまでに三度もひめに湯をぶっかけたな!? もっと丁寧にせい!」
面白い――。
と、悪魔的思考がよぎるも、怖がり屋さんにホラー映画をちらつかせるようなものだと反省して、今度は少しずつ桶を傾けてちろちろとお湯をかける。
「あと今さっきひめのことを神良ちゃんと気安く――ふやっ! くぅぅぅぅ……」
怒気をしおしおと鎮火させられて、神良は少量のお湯にふるふる身悶えている。
痛がるわけではなく、くすぐったそうな、ふにゃっと脱力するような様子。怖がっているが、それでいてお湯のあったかさは心地よいとみえる。
(なんだろう、お風呂嫌いのネコみたいな……)
こう弱みをさらしてくれると鋭利な美しさはなりを潜めて、勝利にも親しみやすい。
「じゃあ神良ちゃん、洗ってくね?」
「うううう、丁寧にじゃぞ! くれぐれも!」
ボディーソープを泡立て、側面にまわって、まず足を洗ってあげることにする。
包丁じみた竜の爪はウソみたいに見当たらないが、ちょっと顔を近づけると、勝利の不始末の匂いがまだちょっと香ばしかった。やはりあの出来事は現実か。
「うん、やっぱり、香ばしい……」
「誰のせいじゃ、誰の!」
「ぴゃ! ご、ごめんね!」
丁寧にゆっくり足の泡を洗い流してやると、また「ぐぅぅ」と神良は唸ってしおらしくなる。
愉悦――。
自分より弱い、そして可愛いものをイジメる機会がそうそうない勝利には貴重な経験だ。
そうやって吸血鬼の泡攻めを堪能するが、次第に、勝利は妙な感覚に襲われる。
神良と接するうちに何度となく味わってきた吸い寄せられるような浮遊感だ。よくわからないうちに、もっと触れたい、もっと近づきたいという甘い誘惑に動かされている。吸血鬼と聞き及んで、それなりに警戒しているつもりでも心のブレーキがゆるんでいる感がある。
とはいえ、親切に守ってくれた上、彼女自ら「今夜は安全を保証する」と言っているのだから神良自身に血を吸ってしまおうという気はないようにみえる。
(それに……わたしなんて興味ないだろうし……わたしだって興味ないはずだし……)
興味がない。
この場合、吸血についての興味ではなくて、単純に、人として親しくなることに興味がない。
山口 勝利という人間には今、誰とも仲良くなる資格がない。
そういう“間違い”を犯してしまった勝利にはまだ、新しい人間関係の構築は早すぎる。
強固な心の戒めが、神良のもたらす浮遊感に舞い上がることを防いでくれている。
――だから大丈夫だ。
「……勝利よ、勝利よ。そなた、よくもひめの胸元に触れて上の空でいられるのう」
「だってちっさいし」
「は?」
「あ、いえ、ち、ちいさい女の子を洗うのは実家の妹で慣れてるという意味で!」
「左様か、ふむ」
つい架空の妹をでっちあげてしまった。バレた時が怖い。
(わたしの知らない妹ができてしまった……設定を考えるのは後回しにしよう)
勝利の考えるに、神良はどうも「魅力的だと自分を見てくれないこと」に不満があるらしい。
自惚れが激しい。自己評価が高くて自尊心が強い。神良の場合、ライオンが野うさぎと自分を同列だと思わないようなものだろう。ましてやドラゴンやら吸血鬼やら、目線の高さが違うのはしょうがないので、勝利はそこに不満があるわけではない。
けれど、ライオンは野うさぎに尊敬されたがりはしない気がする。神良は自己評価が高くて、なおかつ勝利からの評価も気にする程度に興味があるのだろうか。
「にしてもドでかいのう、そなたの乳房は! 背中がくすぐったいわ」
髪を洗っている真っ最中にそう神良にいわれて、勝利はばっと胸元を隠す。
神良の膨らみかけ、あるいはまだ無きに等しい幼い胸元に触れるのは勝利にとって重要でないが、自分の育ちきった胸に言及されるのは恥ずかしい。
「ふえ、不可抗力ですから!」
バシャーン!
思わずパワフルにお湯をぶっかけてしまうと神良は「わぎゃー!?」と悲鳴をあげた。
神良を洗い終えると、今度は勝利を――というわけではなく先に湯船に浸かってもらった。ちいさな浴槽だから一緒に入ると狭くなるし、それに、神良の側から触れられるのはなんだか怖い。
「ふんふふんふふーん♪」
上機嫌に鼻歌を奏でる神良。
流水は苦手だけれどお風呂は好き、というのは苦労が多そうだ。
「のう勝利よ。そなたの怖がり屋は美点だとひめは申したが、怪物が倒れた今なお吸血鬼であるひめにも勝る恐怖すべきものとは、一体なんであるかな?」
「……人間、かなぁ」
「左様か。このような闇の隣人を生み出したる人間こそが怖いというのじゃな。吸血鬼を心の底から恐れる人間なぞ、この時代この国には稀であるが、人間を恐れる人間はザラであろうよ」
神良は赤々とした舌をちろりと垂らして、食した怪物のことを示唆する。
「事情を話せ。ひめの飲み干した悪意を早く消化してしまうには理由がわからぬままでは困る。そなたのためでなく、ひめのために話すがよい」
「は、はい……で、では」
神良の命令は不思議と受け入れやすい。
強制力がある、というよりは命令口調なだけで物腰が柔らかくて、お願い事に近い。それでいて命令されているから仕方ないと納得させてくる。事情は即座に聞くこともできたのに、このタイミングで尋ねてきたのだって、きっと、勝利がリラックスする頃合いを見計らってのことだ。
その奥ゆかしい優しさにも、まだ裏があるのではと疑ってしまうほどに勝利は疲れきっていた。
「ネットで炎上しているんです、わたし」
言葉にすると胸が痛む。楽にもなる。
自分に有利なことばかり言わないよう、誠実に話そうと慎重に勝利は言葉を選ぶ。
「きっかけは――わたしの作った曲を、あるアイドルに盗作“された”せいでした」
わたしは被害者である。
――そう声高に主張することの虚しさを知りつつ、勝利はためらいがちに告白する――。
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