記B2.実況!パワフルフロ要求!
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「ぐす、ひぐ、ひゃう……」
泣き止む様子もなく座ったままぐずる少女の醜態に、神良は困っていた。
闇の隣人に狙われている危険な状態もあるが、自分がおどかしたせいで不可抗力させてしまったことも神良にとって放置できない理由になっていた。
年齢は十代中頃か、しかしよくみるとコンビニ帰りとみられる買い物袋には酒も混じっている。未成年飲酒か、はたまた幼く見えやすいだけか。
ぐっしょりとフレアスカートを濡らしてへたり込んだ状態だけでもどうにかしなくては。
「わかった、不可抗力だというのはわかったのじゃ! 泣きやめとはいわぬ! ひめが悪かった! じゃからまずは安全なところに移動せぬか? 心当たりは? ひめが連れてってやる」
「う、くすん……家が、あそこに」
少女の指差す先にあったのはボロっちい古風なアパートだった。高架下を抜けるとすぐだ。
本来ならばこの状態でも自力で歩いて帰れる距離にみえる。が、もし誰かご近所さんや同じアパート住人に遭遇してしまったらかわいそうなことになる。
「担ぐぞ。暴れるでない」
「へ? ひゃ、わわ……! ぴゃあああーーーー!?」
神良はいわゆるお姫様抱っこをする。少女の体重など吸血鬼の膂力で支えるのは造作もないこと、あえて気になるのは支えようと触れた片腕がぐしょっと小水に濡れてしまったことか。
一刻も早く清潔になりたい神良はゆっくりと担いでいく気にもなれず、バサッと翼を広げて一気に飛ぶ。高架下を抜けて、ぴょーんと夜空の月と重なるようなつもりでふわりと高く跳躍する。
「ぴぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁー!?」
悲鳴に次ぐ悲鳴。
絶叫するほど高速でのジャンプでもなかったのに、普通の人間よりだいぶ怖がりなのか。
「なななな、何なんですかぁ~……」
ぎゅっと幼子のようにけして離すまいと少女はしがみついてくる。
今度はゆっくりと音を立てずに着地しようと神良が滞空、降下をはじめると、胸元に顔をうずめて震えていた少女がおそるおそる状況を確かめようと目を開いた。
「たたたた、高い! 飛んでる!? なんで!?」
「怖がらせてすまぬ。好きに泣き叫んでもよいから暴れず安全にな」
そう優しく言葉をかけると途端、少女は涙ぐんだ瞳でじっと神良を見つめてきた。
「今の、叱らないの……?」
「怖がりなのは危うきことに敏感だというそなたの美点じゃ。ひめも吸血鬼ゆえに怖いものが山ほどある。高いところが怖いのと太陽が怖いのは何ら違いあるまいよ」
「ぐす……」
不思議なものを見るような少女の目つきが内心なんと考えているか、神良にはよく掴めない。
しかし神良は悲鳴がうるさいからと闇雲に苛立って叱りつけるほどに幼稚ではない。
「そなた、名は?」
二階建てのアパート前にすたりと降り立って、表札を頼りに部屋を探そうと尋ねる。
「ま……ま……」
とても躊躇してみえるが、少女は自分なりに勇気を振り絞ってか、なんとか答えてくれた。
「まさり、勝利と書いて、勝利……です。変な名前、ですよね」
「ふむ、確かに変わってはおる」
「ふえ……!」
同意を求められたので肯定すると少女――勝利は眉をより八の字にして泣きそうになる。
めんどうな、しかし面白そうなやつだと神良は微笑した。
「由来は存ぜぬが、勝利か。きっと困難に打ち勝てるようにと願っての名であろう。なあに気にすることではない、ひめも神良という変わった名じゃ。そうであれと願っての名づけには意味がある。現に、そなたはひめの助けがあったといえ、あの怪物に打ち勝ったではないか」
「ひぐ……」
今度は泣かなかったが、またじっと勝利に顔を見られてやりづらい。
黙りこくって意思表示が弱いところが勝利は子供じみているのだが、しかし外見はさておき、実年齢でいえば神良はずっと長生きしているのだから十五歳も二十歳も子供同然といえる。ここはひとつ、年長者らしく振る舞うのもいいだろう。
「さて、ひめは名字を聞きたかったのじゃが……」
「ひゃ、ひゃまぐ……! 山口、です」
山口 勝利。
二階の、階段から一番遠い左端に山口の表札があったので、神良はそこで勝利をおろしてやる。
「ありがとうございます、か、神良姫様」
深々と頭を下げる勝利。
感謝されて気を良くした神良は、そのまま帰ろうと翼を広げる。早く帰って身を清めねば。
「うむ、達者でな。さて、早う風呂でも入って――」
がしりっ。
神良の翼を、勝利の両手がいやに力強く掴んでいた。たぶん彼女なりに全力だ。
「お風呂、炊きますから! こここ、今夜は泊まっていってください神良さま!」
「なぬぅっ!?」
「だって、だって怖いんだもん! このままひとりで寝るのイヤだもん!」
「おぬしなぁ……」
力ずくで振り払うのは容易なれど、確かに、勝利の指先は恐怖に震えている。
身の安全を考えれば、得体が知れない吸血鬼だとしても、神良をそばに置きたいと考えるのは合理的だ。吸血鬼という小さな恐怖を、闇の住人という大きな恐怖から身を守るべく、受け入れる。これもひとつの勇気といえなくもない。
ごく単純に、すぐさま湯船に浸かって不可抗力の匂いから開放されたいのもある。
「今夜に限っては怪物の盃を飲み干したせいで気分が優れぬ、腹も満たっておる。この一夜はそなたの身の安全を守ると誓おう。しかし一夜だけじゃぞ」
「おねがいします、神良様……!」
勝利の哀れな懇願に、根負けしてしまった神良は渋々とボロアパートに招き入れられる。
案の定、ロクな住まいではない。
若い女子らしさのあるインテリアを並べても、痛んだ畳や壁はごまかしきれていない。
印象的なのはパソコンや音楽機材のようなものだ。神良はちっとも詳しくないが、普通でない充実度合いだということはわかる。明確に、熱意という名の底なし沼を感じる。
ところどころに二次元キャラクターのグッズが散見されるのも気になる。神良が知ってるアニメはモノクロだったので高精細な色使いや線の細さには圧倒されてしまう。
「あの、洗濯しますからお召し物を……」
ボロといっても洗濯機に浴室と最低限はあって他人事なのに神良はホッとする。
「ほれ、丈夫にできておるがこの袴着は市販品でない。丁寧に洗うのじゃぞ、勝利」
「か、かしこま! り、ました……」
衣類を投げ渡して、一糸まとわぬ裸身をさらす神良。
神良の美貌を目の当たりにして勝利はぴたりと静止、衣服を受け取り損ねてしまう。
――“魅了”が意図せず働いてしまったか。
神良の魔性に見惚れてしまうのは常人ならば無理からぬことだが。
「……怖っ」
「なぬ?」
翼も爪も牙も、何ら怖がれそうな部位を晒していないのに勝利は軽く後ずさりして怯えている。
怖がる言葉をもらしてしまった勝利自身、なぜか自分の言動を意外そうに困惑する。
「え、いや、これはその……えーと」
「落ち着け。またチビられてはかなわぬ。よーく心を整理せよ、叱ったりせぬ」
「すー、はー。すー、はー……」
目を閉じて深呼吸する勝利のさまをよく見やれば、汚れてしまった衣類を抜いでしまっている。
神良より先んじて風呂に入るつもりだったのか。
抜いだ衣類を抱きかかえているので無垢な姿というわけでもなく、勝利の裸身は自信なさげな基本的挙動のせいか色っぽさに欠ける。
しかし小柄なれど貧相な体つきでもなく、古風にいえばトランジスタグラマーというやつで豊かで肉付きはよい。素質は良いが、輝石の原石のように洗礼されていない印象だ。
数多の美女を毒牙にかけてきた絶世美人の神良にしてみれば、いちいち下心を抱くまでもない。
しかしながら勝利の言動は妙に気になってしまう。
「怖い、というのは、あのね、あのですね……」
もたもたとした言葉遣いを急かさず待ってやれば、神良の顔を盗み見ながら勝利はつぶやく。
「美しさは怖さ、ってわかる、かな?」
「ほう……面白いことをいうのう、その心は?」
神良の袴着を洗濯槽に押し込めつつ、勝利は注意深く顔色を伺いながら返事する。
「日本刀には綺麗な刃紋があるけれど、人を殺しちゃえるんだよね。雪も氷も水もとても綺麗なのに、恐ろしい事件と隣合わせで。……うまくいえないけど、すっと引き寄せられる感じに襲われて、わたし、とっさに怖くてしょうがなくなっちゃって……」
「ひめの魅力を、恐怖の対象とみなしてしまったと申すか。ならば正しい感性じゃろうて」
「こっちがおねがいしたのに、ごめんなさい……」
「気に病むならば、ひとつ罪滅ぼしと思って、ひめにご奉仕してみることじゃ」
「ふえ?」
そして浴室へ。
ちょっぴり手狭なお風呂場にふたりっきり。
「吸血鬼は流水が苦手なのじゃ。風呂嫌いではないがひとりではどうにも怖いのでな。これはそなたの不可抗力が事の元凶であるぞ」
風呂いすに座って、見返りつつ神良は悪戯げに微笑んでみせる。
美しさを怖がる勝利のために、愛嬌たっぷりに親しみを込めて。
永遠に幼き柔肌に、ボディーソープを一滴垂らして、泡立たせ――。
「ひめのカラダを汚した責任、そなたは果たしてくれぬのか?」
そう、蠱惑的に問うた。
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