記F13.悪魔嬢ドラキュライブ ハーモニーオブドーナツ
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翼の一挙一動が、五万人の観客を鳴動させている――。
無事に四曲目を歌い終えることができた時、翼は、体力と気力の限界を感じていた。
ごく単純に、たとえ一曲だけでも歌いながら踊るというのは離れ業だ。そこに大観衆の期待と注目、バンドマンやスタッフとの連携、さらにステージ演出との兼ね合いもある。
分刻みどころか秒刻みの世界だ。
緊張どころの話ではなく、翼は、小さなミスを気にせず完璧を目指さないという開き直りに近い境地に立って、とにかくやり遂げることに専念することで乗り切ってきた。
興奮と疲労が、病的な熱気が、翼を支えて蝕んでいた。
そこへ舞い込んでくる『神良、到着』の一報。
(遅い――! 遅いです!!)
第一に、五曲目に突入せずに済んだことに翼は安堵する。そして遅れて、音々が無事に救出されたことを理解する。大役を無事に果たして重責と消耗から開放されたことの方が、恩師の安否より先立つほどにステージ上での翼は外の世界から切り離されていたのだ。
プラン変更に備えて、あわただしく舞台袖でスタッフが動き回る中、翼は最後の役目を果たす。
乾いた喉、寒空の下でも止まらぬ汗、早鐘を打つ心臓。
大観衆に向けて、繋ぎのトークでバトンを渡すべく、翼は息を整えて元気な声をひねり出す。
「みんなー! ありがとーございまーす!! 次のアーティストは、一曲だけ! 翼の後輩のデビューライブにお付き合いください! その子はなんと! 和風で! 吸血鬼だそうです! ちっちゃいからって座敷わらしと間違えないよーに! 翼と約束してくれますかー?」
翼が呼びかけて、マイクを観客席に向ければわーっとレスポンスが返ってくる。
「約束しました、からね? これから皆さんがお目にかかるのは、本邦初公開の吸血鬼アイドルです! 永遠の麗しき銀月が姫君! なんと御年271歳! でも大人の事情で8時になったら翼といっしょに帰っちゃうみたいです、あっれれー、不思議ですよね?」
どっと笑いを誘って、会場を和ませつつ時間調節を心がける翼。
いつ準備が終わるのかと合図を待ち、場をつなぐ。
まさにギリッギリだ。このトークだって台本がない。ふとした瞬間に頭が真っ白になりそうになる。
それでも、翼はまだ“慣れている”のだ。
舞台袖にはもう神良が控えていて、スタッフやバックバンドと最終確認を行っている。
少々遠い暗がりで、表情も所作も伺いしれないが、きっと初舞台と大観衆に気圧されているはずだ。
「楽曲は、あのハムスターP提供の、半年ぶりの新曲です! ライブ終了後に配信予定です!」
準備よしのゴーサインが出る。あとはもう、タイミングは翼次第だ。
(神良、――私たちが連れて行ってあげる! 舞踏会へ!)
「では、お招きいたしましょう。高貴なる吸血鬼、神良様を!」
大げさに手を掲げて、今だという合図を送る。しかし、スポットライトの当たる舞台と袖の境界線上、光と陰の境目で、神良は足をすくませ、踏み出せないでいた。
光と闇。
人と魔。
他と自。
二百年という永き歳月を、人の目を忍んで闇夜の世界に生きてきた神良のことだ。
決闘の一夜、光流と戦っていた時の神良はまさに見知った仲間と戯れるように快活としていて老練だった。今夜の音々誘拐騒動も、いかな顛末を迎えたかは知らないが、きっと神良にとっては同じ闇の領分でのこと。
既知の、こうして翼がよどみなく観客とやりとりするできるような、過去に経験のあること。
未知の、はじめての体験はいつだって怖い。ちょっぴり、あるいはとっても。
「おや、おやおや? 神良さまー、どこですかー?」
翼はおどけた調子でわざと違う方向を見回したりして、このほんの小さなアクシデントを登場演出に見せかける。
「みんなおねがい! 神良様を翼といっしょに呼んでください! せーの!」
そして可憐に愛想を振りまきながらくるっと回り、マイクを観客へ向ける。
『かみらさまぁぁぁああーーーーー!!』
温まりきった会場が、五万人の観客が、一斉に神良の名を呼んでくれた。
おなかの奥まで震わせるような一体感のある呼び声は、翼ひとりに応えてくれているのではない。
ライブは、生きている。
ライブは、あたかも怪獣のように雄叫びをあげる。
「もういっかい!」
『かみらさまぁぁぁぁああーーーっ!!』
それでも神良は光と陰の境界線上を、あと一歩を踏み出せないでいた。
ちっちゃなカラダを、まだ震わせていた。
今この時においては超音速の黒翼も何ら意味をなさず、神良は人間のように二本足で踏み越えなければならない。
陽光も流水も結界も、吸血鬼の弱点というのは境界線上にある。
その一歩を踏み出せないでいることは、翼の想像を絶する霊的意味があるのか、あるいは本当にただひたすらに二百年という歳月を経ての“はじめて”は重いのか。
秒刻みの舞台スケジュール上の猶予は、もうない。
「みつけた! 神良さまです! こんなところにいたんですね!」
そこで翼は強硬策を選んだ。
自ら、神良の立ちすくんでいる舞台袖に駆けていき、光と陰の境界線上のこちら側に立った。
そして手を差し出して、待つ。
マイクをオフにして、神良にだけ聴こえるように、翼はささやく。
「シンデレラ、私と踊ってくれますか?」
「……翼、そなたが王子様とは似合わぬのう」
うつむきがちに苦笑する神良。弱々しく揺らぐ瞳は、ここまで来たのに、行かねばならぬとわかっていても勇気の足りない己を呪っているかのようだ。
失敗するかもしれない。あの特訓を経てもなお、その恐怖は消えてはいないのだろう。
けれど確実に、神良は自ら踏み出そうとしている。翼は、最後まで待つことにする。
「まだなにか、足りない魔法があるんですか?」
「わ、わからぬ! なぜじゃ! なぜ動けぬ! 会場には小春を招いておる! 長年連れ添った仲でな、ぬう、あやつに今日の晴れ姿を見せてやりたかったのじゃ! 音々のためにも、勝利のためにも、このライブを成功させねばならぬというのに!」
重責か。
翼は、ようやく神良を縛るものを理解できた気がした。
それは二百年余りの歳月を経て得てきた、人の縁だ。絆だ。絆の力という正の力がここまで神良を動かす原動力の一つとなり、その負の力が神良を追い詰めてしまっている。
自分勝手に生きるために、家族から遠ざかるためにアイドルになった翼とは対極的だ。
「ドーナツを食べたい、そう思ったんですよね?」
「……は?」
「血の滴るおいしいドーナツに恋い焦がれて、あなたは今ここにいるんですよね?」
神良と出逢った一夜のことを、彼女はまだ覚えていてくれるだろうか。
悠長に説得する時間はない。思い出してもらうしかない。
「……あ」
そして神良は自分自身で、ちゃんと答えに辿り着けたようだ。そう、気負うことなど何もない。
翼の想像力が見せる幻影――。
神良とつながる、正と負の絆が一切合切に消えていく。正しい想いだとしても、音々や勝利には悪いが、彼女らの期待に応えようという想いはあまりに重い。舞踏会で踊るいざその時に、魔法使いや馬車まで一緒では困るというはなしだ。
「ひめの、ドーナツ……。そうさな、ひめはドーナツを食べたいと願ったのじゃ」
神良が、光と陰の境界線上をまたいで、こちら側へと踏み入った。
光差す舞台の片隅で、観客にもみえる場所で。
綺羅びやかな和ドレスを纏い、三味線を携えた神良姫は――翼の手を掴んで、握る。
そして神良は自ら、翼を引っ張ってステージの中央へと元気よく走った。
ライムライトの下へ、月光よりもまばゆい脚光の下へ。
「皆のもの、くるしゅうない! またせたのう、面をあげい!」
威勢よく挨拶をはじめた神良は、さっきまでの緊張と重圧に押し潰されそうだった弱々しさを裏返したようにキャラづけの利いたトークを繰り広げる。
「なに、出番が一曲分しかない!? ええい! 主催者の水橋! そやつを島流しにせぇい!」
掴みはバッチリだ。感触は上々。
観客は、早くも神良の個性と魅力に惹かれている。なにより、これまで封印してきた吸血鬼の魔性を解禁したことが大きい。容姿も声も、魅了の魔性を秘めている。やや反則めいているが、天然自然の人間でも稀に有する才能だ。芸能の頂点に達する者たちにはむしろ必然の能力でしかない。
ハロウィンという時間、ドームという空間、温まりきった会場の空気も手伝っている。
(……手、離してくれませんね)
吸血鬼は汗を流さない、そう翼は認識していたがが、どうやら違うようだ。
ぎゅっと握って離さない手と手の間に、ほんのりと手汗の湿り気をおぼえる。四曲も歌い終えた翼も然ることながら、神良もまた、興奮や緊張に伴って発汗はするらしい。
ようやく手と手が離れた時は、もう演奏のはじまる直前だった。
「神良……。楽しんでね、最高のライブを」
「ああ、存分に楽しむのじゃ。ひめのライブを、ひめの夢見た舞台、そう――」
翼が見守る中、神良は高らかに宣言する。
関係者席では勝利が、観客席では小春が、中継映像を通して音々や光流も見ていることだろう。
神良という新米アイドルの、今のこの瞬間、とびっきりの笑顔を。
「ドラキュライブのはじまりじゃ!!」
たった五分間だ。
伝説のデビューライブの一時は流星のように煌めいて過ぎ去っていった。
『影楼』
作詞作曲編曲は山口勝利の音楽センスを十全に発揮しつつ、和洋折衷の楽曲に仕上がっている。勝利得意のネガティブベースな歌詞や激しい曲調を、神良は歌唱と演奏を同時にこなす。しかも三味線で。よくて十歳ほどの外見年齢の神良でなくても、大人の音楽家でも困難なハイレベルさだ。
三味線以外の演奏は電子音源であらかじめ収録したものを流している。主役は神良の歌唱と三味線に他ならないが、土台や音楽性は勝利そのもの。
翼の目には、神良のそばに立つ勝利を幻視することができた。それはいつの日にか、彼女が自分自身の音楽活動を再開した時、そう遠くない未来に視ることができるに違いない。
そこにプロジェクションマッピングによる特殊映像や舞台演出が追い打ちをかける。
吸血鬼をはじめとした曲のイメージを反映、秒単位で同期する映像はコンピューター・グラフィックスを駆使することで神良の有する吸血鬼という設定をあたかも現実かのように補強する。
そして何より、観客だ。
どんな名曲も閉ざした心にまで無条件に響くことはない。逆に、積極的に楽しもうとする心がある観客は響くどころか一体化して増幅してくれる。一方通行の配信メディアと、観客がそこにいる双方向性のあるライブ・コンサートの大きな違いだ。
つまりは渾然一体。神良を中心として、勝利、関係スタッフ、観客までもがひとつのライブ楽曲を織りなして、最高の音楽、至福のひと時へと昇華させている。
今宵、翼は遭遇した。
ドラキュライブという美しく巨大な魔物と。
それは8時を告げる鐘が鳴ると、ガラスの靴も残さずに舞踏会を去っていった。
これまでお読みくださり誠にありがとうございます。
約二ヶ月間に及ぶ連載、クライマックスを迎えてついにフィナーレを残すのみとなります。
吸血鬼神良のダークネスシンデレラストーリー、堂々の完結をどうか心待ちにいただけますようお願い申し上げます。
※更新時刻的に流されやすく不利なのですが、投稿時間にこだわって7時45分台を狙ってしまいました
時刻がズレませんように




