記F11.悪魔嬢ドラキュライブX
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東欧某国のとある古城。
森林に囲まれた根城は真昼のおひさまの下、威厳高くも美しく灰褐色の城壁を誇っている。
ピーヒョロロと森の鳥達がさえずるおだやかな風景だ。
数世紀前の在り様のままに保存された古城は観光名所のひとつとして地元に根付いている。
しかして実際、そのすべてが一般公開されているわけでなく、来客の足音も響くことのない城内の奥深いところに、高貴なる吸血鬼――伯爵の棺は隠されていた。
黒塗りの、十字架の刻まれた吸血鬼らしい古典的な棺である。
伯爵は日本での死後、この故郷の棺に残しておいた分霊を元に仮初の復活を遂げ、今日まで暗躍をつづけてきた。本体を失った今、棺と墓土だけが彼の拠り所であり、最後の砦である。
光の遮られた地下暗室で、伯爵――アクシアの姿形を借りた亡霊――は愕然としていた。
「なぜ我輩の居城に、この場に今、神良殿がいるというのだ……」
神良は不敵に笑ってみせる。
世紀の大魔術を成し遂げた奇術師のように。
日本から東欧へ。約7500kmの道のりを、地球を半周した遠い位置へと神良は出現したのだ。
誰も知るはずのないヒミツの部屋に、あれから五分と経たないごく短時間で。真昼の、陽光という吸血鬼にとって最大の弱点をものともせずに――。
それはもう伯爵の驚き顔といったら、神良も手品まがいの裏技を閃いた甲斐があったものだ。
「なあに、そなたを心配して追いかけてきたのじゃ。アクシアの完成を手伝おうと思ってな」
「理由ではない! 方法である! 汝は電信のちからは使えぬはずでは……」
「くふふふふ、神出鬼没は吸血鬼のたしなみじゃろう?」
地下暗室には伯爵の棺だけではなく、伯爵らしき人物の肖像画、古めかしい城塞には似つかわしくないスパゲッティのように絡み合った配線コードに電子機器が設置されている。
パソコンのモニターがぼんやりと暗闇に光る中、それらのケーブルはもうひとつの棺へ繋がっている。まるで童話の、茨の森の美女や白雪姫が如く、アクシア――の本体がそこに眠っていた。
厳密には、映像や幻覚に近しい分体のアクシアではなくて、物質として専用に作られた精巧な人形や機械というべきか。この素体もまた、あくまでアクシアの器に過ぎないのだろう。
アクシアの棺に連なるケーブルを辿れば、巨大な水槽がある。
真っ赤な液体――血液と精神エナジーを集めて保存する受け皿は、しかし容量の四分の一も満たされてはおらず、みるからに想定より不足してみえた。
「おかしいのう。邪魔立てが入ったとて、何万人と一斉に人間の心血を奪ったのじゃ。せめて半分くらいはあって然るべきと考えるが、これでは必要不十分であろう?」
「ぬう、こんなはずでは……。何かしら妨害があることは想定した上での作戦、対処には成功したのだ。アクシア! なにかトラブルがあったのか! なぜ我輩に報告せぬ!」
伯爵が呼びかけると、アクシアはモニター上に出現する。
「……はくしゃくさま、ごめんなさい」
アクシアの謝罪に、しょんぼりとした仕草に、伯爵は冷静になって落ち着いて問いかける。
「何があったのだね、アクシア」
「てかげん、したの。わたし、あのひとたち、死んでほしくなかったから」
「……それでか」
容器を満たすべき血液の量が足りない理由は、アクシアの手加減。
そう判断する理由は、アクシア自身の心優しさにもあるが、神良による“誘導”と“暗示”のせいでもある。
演技とはいえ、音々を痛めつける神良の振る舞いは、アクシアに残忍な吸血鬼になることへの抵抗感を植えつけている。無作為に大量の人間を、生贄として死なせる行為はアクシアに良心があれば踏みとどまることができると神良は考えて、実際そうなった。
無論、アクシアの幼心を信用しきったわけではなく、魅了による精神支配を伯爵によって未遂に終わらされた時、強制力の暗示を与えて大量殺人だけは回避させようと神良は狙ったのだ。
(……もっとも、もしアクシアが根っから悪党であれば無意味であったが)
光流という番狂わせがなければ、神良ひとりで対処する場合、不確かな誘導と暗示に賭ける他なかった。結果としてアクシアにも幼いなりの良心はあったが、さすがに神良もこれは肝が冷える。
「伯爵殿、どうも計画は失敗に終わったらしいのう。……のわりに、おだやかじゃな」
「ああ、大失敗だがね。しかし成長は失敗からも得られるもののようだ」
伯爵に叱られなかったことにアクシアはきょとんと小首をかしげる。
その仕草、つまり首元に意識が向いたがために、伯爵は「……まさか」とある事実に気づく。
――【鳥の眷属刻印】だ。
まだ神良は隠しておくつもりだったが、遅かれ早かれバレるのはやむをえなかったことだ。
「神良殿、この紋章、まさか……貴様ッ!」
驚愕と敵意を示す伯爵を前にして、神良はこれでもかと悪辣に牙を剥いて笑った。
無理もない。お気に入りの芸術品を、我が子同然に育ててきたアクシアを、神良はあろうことか己の眷属として契約して支配下に置き、すでに奪い去っていたのだ。
だがしかし伯爵は一番大切なものを奪われようとも、百人千人と命を奪おうとしたのだから自業自得というものだ。
「くははは! 今更に気づいても手遅れよ! アクシアの主君はもう“ひめ”ただひとりじゃ!」
「バカな! いつ、どうやって!」
「ひめには丁寧に教えてやる暇も惜しい事情があるのじゃ! 悪いが、これで幕引きじゃ!」
召喚、回転式多獣身機関銃。
神良はハンドクランクを豪快にまわして、暗室の壁面を狙って魔弾を一斉発射する。
熾烈な銃口の瞬き。猫鼠狼鳥。四色の色彩を帯びた光弾の嵐が古びた石壁に穴を空けていく。
穴の向こう側から届くのは、他ならぬ太陽の光だ。
「ふはははははは!! まぶしいのう! 死ぬほどまぶしいのう!」
「やめろ! 気でも狂ったか!!」
「吸血鬼が死ぬにはやはり太陽が一番じゃ! ひめと諸共に死ぬがよい! 心配せずとも、“吸血鬼になりきれていない”アクシアは死なぬさ!」
逃げ場はない。
最後の砦である古城の棺に太陽の光が当たって、伯爵は断末魔の叫びをあげた。
無数のちいさな光の穴が、伯爵を、そして神良を穿っていく。
アクシアの姿形は紙切れに火を灯したようにパッと焼き消えてしまい、炙り出された黒い靄のようなものがちいさな無数の蝙蝠に分裂して逃げ惑う。
暗室の、残された闇を求めてキーキーと啼きながらコウモリは縦横無尽に駆け回る。
「……はくしゃくさま、こっち」
棺の中のアクシアが起き上がって、その懐中に一匹のコウモリを隠して陽光から守ろうとする。
他の蝙蝠が次々と消滅する中、それはやがて最後の一匹になるだろうと目された。
「どけ! この器を我輩に寄越すのだ、アクシア!!」
「あ」
蝙蝠となった伯爵はアクシアの本体に溶け込み、奪い、憑依する。
それは機械仕掛けの物理的肉体を得た伯爵は、ぎこちなく吊り糸で操演されるように不気味に立ち上がっては猛然と、ガトリング砲を乱射する神良へと黒翼を拡げて強襲する。
「死ね! 我が芸術品の手によって!」
伯爵は一瞬にして神良の懐へと迫って、美麗なアクシアの素体を醜悪な怪物じみた姿に変形させていびつに歪んだ鋼鉄の爪を振り下ろさんとする。
――が、その高速の猛撃は神良にはいささか遅かった。
光流の神速に比べれば、だ。
『回転式多獣身機関銃・鉄槌』
その一撃は特大の場外ホームランが如く。
機関砲の砲身を手にして豪快にフルスイングした神良の一打が、素体を粉砕しつつ場外、いや城外へと石壁を突き破って、高々とぶっ飛ばしたのだ。
「ぐああああああっ!! 我輩が、五百年の永きを生きた我輩がぁっ!」
素体の壊れた箇所から浸透する陽光が、最後の一匹のコウモリを消滅させる。
吸血鬼の亡霊、伯爵の最期である。
「さて……これでおさらばじゃ」
太陽の光は等しく、吸血鬼たる神良を灰に還していく。
「いかないで、かみら!」
古城の閉ざされた部屋に残されたのは――モニターに映るアクシアひとりとなった。
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