記F9.アイドルマイスター ダークネススターズ
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首都と隣接する外縁都市では例年通り、市主催のハロウィンパレードが開かれていた。
神良の知らぬ、現代日本の新たな祝祭だ。
オレンジ色のカボチャランタンを模した照明や飾りつけ、蝙蝠や魔女といった西洋の魔なるものを脚色した意匠があちこちに散りばめられている。
人々は楽しげに仮装して練り歩く。ハロウィンらしい妖怪変化の仮装もあれば、およそ古今東西奇々怪々、神良には何に扮しているかも理解不能のいわゆるコスプレも目立っている。
理解はできないが、それぞれに趣向を凝らし、祝祭を満喫しようと心がけていることはわかる。
時の流れ、異文化の流れにこそ乗じているが、どこか懐かしくもある。日本古来の、神良もよく知っている、よくあるおまつりが姿形を変えたものといえようか。
百年前はあれだけ物珍しかった西洋菓子のあんパンが、今ではもう伝統の日本食であるように。
そんな和気藹々と魑魅魍魎が跋扈する、嬉し楽しい晴れの百鬼夜行を前にして――。
アクシア、否、伯爵は嘲り笑う。
「この国の言葉では“仮装”は“仮想”に通じるのだったな。秋の終わり、冬の始まり。死者の訪ねてくる日。聖人達の日。ハロウィーン。――生と死の喜びを分かち合う、魔除けの儀式。正しく執り行なえば我々を退けられよう儀式を、娯楽と商売のために浪費する。生と死の境界線が揺らぐ日に、かくも不敬な祭りに夢中になっているのだ。望み通り、菓子のひとつも頂戴しようではないか」
「言霊か。伯爵殿は異邦人にしてはよく学んでおられるようじゃ」
「なに、必要に応じて調べたに過ぎんよ」
神良と伯爵の背後には、路上駐車された音々の愛車がある。車内には未だ、アクシアの分体と神良の操る影の黒猫、そして意識を失ったままの音々が残されている。
ここで重要なのは、アクシアの分体と伯爵は同一意志で動いていないということだ。
アクシアは自らの端末となる分体全てをコントロールできるが、伯爵はそのひとつを掌握して喋っているに過ぎず、確信はないが、ここにからくりがある。
「ねねしゃん、いたくない?」
車内のアクシアは追い払った黒猫を牽制しつつ、噛みつかれた音々の傷を心配そうにする。
――その良心は、一体どこで芽生えたのか。
神良の推察として、考えられる影響は三つ。第一に、アクシアは神良の遺灰を取り込んでいるということ。第二に、アクシアは神良たちの行動をずっと監視してきたということ。第三に、アクシアはインターネットという広大な世界を自由に巡ることができたということ。
この世界は愛と慈しみによってのみ成り立っているわけではない。憎悪や嫉妬、負の感情も渦巻いている。無垢な心に無尽蔵の知識を得るチャンス、どう転んでもおかしくない。より悪辣な、自分さえ良ければいいという性格にアクシアを育ててもよかったのではないか。
伯爵の創造物である以上、望まぬ方向性に育っているのならば、再教育すればいいはずだ。
その疑問を、直接当人に聞くとしよう。
「伯爵殿、アレはなぜ血を好まぬ? 吸血鬼になりたくない等と戯けたことを申すが、不適格な人格ならば調教するべきではないか」
伯爵は、アクシアの見目にそぐわぬ老人めいた「ふぉっふぉっふぉっ」という笑い声をあげる。
「実用品と芸術品は違いましてな。醜い心に染まりきっては可愛がる面白みがない訳ですな」
「――左様か」
納得だ。神良とて、家に飾るならぬいぐるみは無邪気で愛くるしい方がよい。
それはつまり、伯爵にとってもアクシアの現状は理想に近いということ。
趣味人、それが伯爵の本質と光流は言っていた。
「伯爵殿はやはりアクシアを人形として育てたいわけじゃな」
「いや、偶像だよ」
「偶像……?」
「そう、偶像。当世の言葉でいえば、アイドルという表現も似つかわしい。アクシアは吸血鬼という怪異の新たな偶像となり、崇拝の対象となる。吸血鬼の信仰する神になりうるということだよ」
ハロウィンパレードの片隅で、吸血鬼の童女を騙る伯爵はそう口にした。
神。吸血鬼の神。アイドル。
バラけていたパズルのピースがぴたりとハマった感覚だ。神良は稲妻に打たれた心地だった。
「今、アイドルと申したか」
「我輩の故郷では偶像の崇拝は禁じられしこと。本物の神、内なる神を貶め、即物的な芸術品に人々が礼賛することを戒める。神良殿に馴染みがあるのは神棚や仏像か。ああいうものを異教の偶像と断じるわけですな。然るに、吸血鬼の神たる偶像を作り上げることができれば、それは我輩にとって痛快この上ない一作となるのだよ」
「なるほど、それは育てるのが楽しくて仕方あるまいよ」
伯爵は自己陶酔してみえた。
趣味人にとって、趣味の理解者はとても貴重だ。黙々と自分の大好きなものに打ち込みたい一方、どこかで他人に理解されたいと考えるのは人の性だ。それは吸血鬼とて同じこと。
「アクシアはようできておる。我とて、完成が楽しみじゃ」
伯爵はプロデューサー、アクシアはアイドル。
奇しくも神良の構築する今の関係性に似て非なる構図だ。神良達と大いに異なるのは、彼らは人の生き血を啜る吸血鬼のアイドルを目指しているということ。人間という種の犠牲をいとわないこと。そしてアクシアを、あくまで個人ではなく所有物とみなしていることか。
しかし形は違えど愛情と情熱という点において遜色ないことが、神良は気に食わなかった。
「さて、儀式を始めるとしよう」
伯爵は、アクシア当人がおよそしそうにもない邪悪な笑みを浮かべた。
下等な者共を見下して、残忍に虐げる悦楽の笑み。
何千人という仮装行列の中、ほんの小さな童女の邪な微笑みなど、神良以外の誰も見てはいない。
これから惨劇がはじまる。
――解決の糸口を掴めたかにみえたが、神良には起死回生の策はなかった。
現状、日本列島まるごと人質になっているようなものだ。伯爵への敵対意志を垣間見せた瞬間、音々だけでなく一億人を越える人々が神良にとって弱点となる。
吸血鬼としては完全無欠の怪物だとしても、人間と一緒に生きると誓えば無力なものだ。
(何も守るべきものがなければ、なんと楽であることか……じゃが、それではつまらぬ)
無作為に選ばれる百人の贄。
顔も知らぬ、名も知らぬ犠牲者。
その生命が奪われることを見過ごせぬほどに、神良の想像力は豊かに働いていた。
二百七十一年という齢を重ねて、いくつかの時代を生きてきて、闇に生きながらも着実に人のやさしさやあたたかさ、愛おしさに神良は触れてきたのだ。
もしも突然に、音々や勝利、翼、それだけでない。長島、光流、小春。最愛の者だとしても、見知った仲に過ぎぬ者だとしても、不条理に失ってしまえばどんな心地になることか。
そうした痛みを、神良は想像することができた。
胸がズキズキと痛み、冷たき血が熱く滾っていくかのように錯覚する。
(冷静になるのじゃ。必ず、その時は――チャンスはやってくる)
「友よ。見たまえ。これよりはじまる血祭りを」
天に掌をかざす伯爵。
次の瞬間、一斉にハロウィンの街角の雑踏に着信音が響いた。
ランダムに不特定の人間が、携帯電話を手にして通話する。あるいは画面を確認する。
全国一斉送信。
何千万台という国内の携帯電話所有者の、仮装という特定要因を有する人々へ。
『わたし、アクシア』
『わたし、アクシア』
『わたし、アクシア』
ヴァーチャルヴァンパイア、アクシアが着信する。
金色の闇がやってくる。
『『『Trick or Treat。お菓子をくれなきゃ、いたずらするゾ』』』
アクシアの魔眼が、魔声が、無作為な人間たちの心を奪う。
この会場だけでも百体を越える数のアクシアの分体が、実体を伴って出現する、あるいは音声や映像のみのまま、人間を魅了していった。
「撹乱と揺動を兼ねて、十万体少々をな。実動体と形ばかりのダミーが織り交ぜてある。何者かの邪魔立てが入ったとて、これならば百や千の贄を得るのは容易かろう」
アクシアの魔力を帯びた美貌を認識してしまった人間は、老若男女を問わず、たったそれだけで意識があいまいになる。
これだけの異常事態が起きながらにして、悲鳴のひとつも起きなかった。
雑然としたハロウィンパレードの仮装だらけの状況が、暴力や苦痛を伴わない凶行を埋没させる。
『いただきます』
一斉に牙を剥き、夜闇にまぎれて吸血をはじめるアクシアたち。
それは神良の目からみてもなお蠱惑的で、強烈な光景だった。
「あ、んっ……!」
魔女の仮装をしていた女性がひとり、すぐそばでアクシアに襲われていた。
魔女は魔眼に操られるままに、自ら膝をついて、アクシアのちいさな背でも首に届くように吸血をさせていた。一見すれば、小さな我が子に抱きつかれているような構図だ。
しかし魔女の紅潮した頬、胡乱な瞳は親子の微笑ましいふれあいでないことを物語っている。
それは鮮血と情欲に濡れていた。
恍惚とさせる多幸感、美しく幻想的な偶像に心血を捧げる悦び。
快楽。
シンプルな快楽。
それは吸血鬼という種族の魔性、アクシアという少女の無垢な美しさ、それだけではなくて、このハロウィンという祝祭の儀式としての開放感に底支えされていた。
日常の鬱屈を発散させ、心行くまで楽しみたいという気分と雰囲気が本来あってもいいはずの吸血への抵抗意識をあっさりと奪ってしまっている。
神良にも宿る吸血鬼の本能が、ごくりと息を呑ませる。それはとても甘美で、羨ましくさえある。
「もっと、いっぱい吸って……」
魔女に扮した女性は自ら哀願する。完全に心を支配されてしまっている。
吸血には三種類のやり方がある。
安全に配慮する吸血か、致死を厭わぬ吸血か、そして致死に伴って吸血鬼として蘇生させるか。
伯爵ならば致死、そして手駒を増やすために吸血鬼化も選択肢に入る。それらには少量の吸血より時間が掛かるが、なにせアクシアの分体は日本中に拡散している。
もし今この魔女ひとりを助けたとして、超音速移動のできる神良でも残るすべてを救出することは到底できず、状況は悪化する。
しかしこのまま黙って見守っていても、いずれ吸血量は危険域に達する――。
(――ダメじゃ。“この手”は博打が過ぎる。アテを外せば取り返しがつかぬ)
そうした葛藤の果てに、神良が意を決して、右腕に竜魔の爪を纏ったその時に――。
「はーやだやだ! 何がハッピーハロウィンだよ秋祭りは芋煮会でもやってろよ愚民ども!」
岩田 光流が、最強の狩人がやってきた。
それはしかし光流であって、光流でない。人狼。否、狼男というのもまだ不正確。
狼面に人型の上半身、それでいて下半身は巨大な狼の首から下だ。ケンタウロスという西洋の人馬一体の魔物を、狼に置き換えたような異形だ。上半身はところどころ白い体毛に覆われてしなやかで屈強な身体つき、元より膨らんだ乳房は半ば白毛に覆われている。
長き黒髪と威圧的な眼差し、そして纏った殺気や口調といった断片的特徴がそれを光流とかろうじて認識させているに過ぎず、正真正銘の化け物にしか見えない。
魔獣、神獣。いずれにせよ、神代の獣と一体化した光流の異形は気圧される迫力があった。
かといって醜悪ではなくて、強靭でありつつ野性的な美しさや女らしさも秘めている。神聖で厳かな空気を纏い、不可思議な紋様や意匠がぼんやりと赤い光を帯びていた。
それは一般市民には見えていないのか、群衆に触れた箇所は半透明になって透過する。
「よぉ、元気そーじゃんクソ伯爵」
爛々と輝く真っ赤な瞳に睨まれて、アクシアに乗り移った伯爵が「ぐっ……」とうろたえる。
「アクシア、命ずる! あのケダモノを攻撃――」
一閃。
日本刀――贋作、草薙の剣が鞘を離れるや否や、もうすでにアクシアの首が切れていた。
魔女を襲っていた一体だけでない。人ゴミにまぎれた百を越える全てのアクシア分体を、ただの一振りによって斬り捨てていた。
霊気の刃というべき光輝が閃けば、数キロメートルという広範囲が薙ぎ払われていた。
それはアクシア分体のみを切り裂き、神良を含む一切には傷ひとつ生じさせなかった。
「な、何なのだ貴様は!!」
「日本武尊が臣下、大口真神の輩、名を明日香守岩田光流。古の令によりて邪なる神を喰らい人命を導く者なり」
空間と距離の概念さえも曖昧にさせる超広範囲斬撃。
草薙の剣、天叢雲剣。その担い手、大口真神の輩――。
光流の“最強”は伊達ではなかった。
毎話お読みくださり誠にありがとうございます。
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