記F8.ナイトメアプロジェクトJ2 ココロの森のアクシア
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時速約1200kmでの神良の超音速飛行は、本州の北端と南端を一時間で移動できるほどに速い。
一分間には約20km、つまり数分あれば首都圏のどこにでも到着できる。
即ち、全速力の神良はもうすでに、首都高速道路を走る音々の自家用車の屋根に降り立っていた。
「来てやったぞ、アクシア」
ドライブレコーダーの映像記録として、高速道の屋根上に立つ黒翼の少女が世に残るのだろうか。
CGの発達した現代では、むしろ単なる作り物だと認識されるであろうことは幸いか。
それでも風圧や目撃を考慮して、神良は幽体化を解くことなく、この世にあらぬまま言葉する。
車内には確かに、運転席で意識を失ったままの音々がいることを、黒猫電話が伝えてくる。
「はじめまして、かみら。わたし、アクシア。よろしくね」
先にまず音声が届いて、遅れて屋根上に実体化するアクシア。ふざけたことに、車内にもまだもうひとりのアクシアが存在している。
アクシアは分身できる。いや、それぞれが単なる端末なのだ。神良が複数の影の獣を自在にコントロールできるように、どれも無数に用意できる駒のひとつにすぎない。
神良やアクシアのような超常の怪物に比べて、囚われの身である音々は脆弱な生身の人間だ。ほんのすこし自動車の自動走行を狂わせるだけで大事故を起こせる現状は、圧倒的に不利。
今すぐにアクシアを切り裂いて決着がつかない以上、主導権はあちらにある。
――神良は今、力づくでは解決できない難題に直面している。
「こわいかお、どうして?」
アクシアは不思議がるような小首を傾げる仕草で、そう問うてきた。
カッと煽り文句に激怒したくなるが、わざと言うのならば挑発に乗るのは愚かなこと、本当にわからないのならば怒っても無駄だと冷静になる。
――今になって、翼や音々の指導を意識する。演技力だ。
まだ手探り、光明はみえないが、この難曲を無事に切り抜けるには交渉と演技しかない。
「ふん、つまらぬ用事に呼び立てられたのじゃ。怒りもする。たかが人間のひとりやふたり、いくらでも代用品を用意できるが、“我”が出向くまで繰り返されるのも鬱陶しいのでな」
神良は悪態をつく。
人質など、さしたる価値もないのだと尊大で強大な吸血鬼を演じる。
「この女はじつに都合のよい駒じゃ。美味なる血、豊かな肉、優れた知、金や権力もある。しかし世に二つと無き逸材ではない。交渉材料にする着想までは否定せぬが、かようなもので我を自由に操れる等とはよもや思うておるまいな?」
邪悪だ。
己のみを第一とする邪悪なる吸血鬼として振る舞うのだ。
「かみら、つめたい」
アクシアは無感動そうな表情を、ほんの少しだけ歪めている。嫌悪感だ。
感情の起伏を見せたアクシアを前にして、神良はにやりと吸血鬼の牙を剥いて笑ってみせる。
「冷たい? そなたが話しているのは吸血鬼ぞ、熱い血潮が流れておるとでも思うのかや? 吸血鬼になりたいと願うのならば、とくと学ぶがよい。我こそが吸血鬼なり!」
そう高らかに宣言するや否や、神良は待機させていた黒猫電話を自ら操って動かした。
そして黒猫は、音々の肩にするりと登って、その首筋に牙を突き立てた。
意識の途絶した音々は悲鳴をあげることもなく、血を啜り奪われる。
「きゅうけつ、なんで?」
「そなたはこやつを人質にして殺すのであろう? 極上の料理とて、皿ごと床に落ちてしまえば食えぬものよ。なれば、そなたがこの車という皿をひっくり返さぬうちに血を啜っておかぬと損じゃ」
「ねねしゃん、たすけないの? すてちゃうの?」
「そなたの要求次第じゃ。無理難題であったならば、この手で殺してしまった方が後腐れない」
一抹、不安になる。
もしも、こんな言いざまを音々に聴かれでもしたら、嫌われてしまうのではないかと。
この冷酷な発想を演技とはいえ思いつく時点で、ただそれだけで、神良には後ろめたさがある。
真に迫る演技をするために、心の闇の奥底に“潜る”という恐怖。
本物の演技を追求せんとするあまりに、精神の均衡を失った役者の話を翼に聞かされたことがある。彼女自身が、そういうタイプなのだ。
本心ではないというのに、ドス黒いものが湧き上がってくるのを神良は感じていた――。
「かみら、ひどい」
アクシアは、誘拐犯であるはずの幼き吸血鬼もどきは、そう神良を非難した。
車内のアクシアが、黒猫の尻尾を引っ張り、無理矢理に音々から引っ剥がしにかかっている。
――これではまるで神良こそが悪役、アクシアが主人公だ。
「なぜ止める? そなたは吸血鬼になりたいのであろう? 手本をよく見て学ぶがよい」
「アクシアは、吸血鬼になりたい。けど……」
いかなる葛藤があるのだろうか。
ヴァーチャルヴァンパイア。仮想吸血鬼。模倣する者。何のためらいもなく神良を学習するかに思えたが、アクシアは拒絶を示した。
AIとは、学習したデータを元に思考するものだと聞き及んでいる。
自らなにを学習したいのかを選別してしまうのは到底、機械的とは言い難いのではないか。
「アクシア、吸血鬼、なりたくない」
都会の夜景が、アクシアの背後を流れていく。
六十年前とは様変わりしてしまった現代の夜灯を見やって、神良は高らかに笑ってやる。
「くふふ、くはははは! これは異なことを! 見よ! あれらひとつひとつの光る地上の星々が人の営みじゃ! 星屑の、いや塵芥の数ほども人が生きておる! よりどりみどりじゃ! それら綺羅星の血と心を思うがままに蹂躙してこその吸血鬼よ! そなたもいずれ、理解しようぞ」
「やだ、きらい」
「無駄じゃ。そなたは伯爵とやらの人形であろう? 吸血鬼になれとは、伯爵の命令であろう? 人形風情が逆らうことなどできるものか」
神良は袴着の肩をずらして、首元を露わにする。
吸血鬼であれ人であれ、本能的に噛みついてしまいたくなるような美しく華奢な首まわりだ。
「さぁ望みの血じゃ。我が血を分け与えてほしいのであろう? 違うか?」
「そう。そうだけど、やだ」
「駄々をこねるな。そなたが望んだ取引ではないのか? 今更、怖気づいたのかや?」
神良とアクシア、互いに魅了の力は通じない。
否、それは“同格”ならば、そして“正常”ならばの話だ。神良は元よりアクシアより完璧な吸血鬼、そしてアクシアは明確に迷いが生じている。
アクシアの個々の身体は単なる端末。裏返せば、端末は単一のアクシア本体に繋がっている。行動ロジックの破綻、そして魅了による精神支配によって一網打尽に無力化できる。
幼心を弄ぶのは気に病むが、文字通り、赤子の手をひねるとしよう。
「我に従え、アクシア」
魔眼によって、暗澹たる支配のイメージを叩きつける。
神良に忠誠を誓い、服従する。闇と血に彩られた陰惨で退廃的な吸血鬼としての一生を疑似体験させてやる。このまま精神支配が完了するか、はたまた失敗したとしてもアクシアの反発はつまり「悪しき吸血鬼の否定」という結果を招く。
それはつまり、アクシアは“悪い子にはならない”ということだ。
――しかし、それでは困る者がひとりいる。
伯爵だ。
『もうよい、下がれ』
アクシアの雰囲気が一変する。というより、表向きの素体はそのままに別人に入れ替わっている。
黒幕のおでましというわけだ。
「そなたが伯爵殿じゃな」
「左様」
童女の姿形はそのままだというのに声質だけが老壮で威厳のある吸血鬼、伯爵のものだ。
神良は尊大な雰囲気を崩すことなく、悠然と薄ら笑いで応じる。
「人形遊びはもう終わりかね? 幼子に交渉事など務まるわけもないというのに、もったいぶらずに最初から最後まで伯爵殿がお相手すればよかったものを、手間取らせおって」
「無礼は詫びよう。もうすぐ儀式の場に到着する。それまでの余興にと思ったまでのこと」
伯爵アクシアは慇懃無礼に、恭しく頭を垂れる。
ほとんど身振り手振りを交えないアクシアの所作とは違って、伯爵はどこか大仰だ。
「我々は吸血鬼、神良殿は同族としての心得がおありだ。同じ価値観を有するのならば話が早い。我輩の望みは、神良殿の血を分け与えていただき、アクシアを完成させることにある」
「吸血鬼の血なぞ、伯爵殿が自ら与えればよいではないか」
「この通り、我輩はとうに滅んでいる。神良殿の周囲を嗅ぎ回る、あの薄汚い番犬にやられてな」
飄々と話して、伯爵は自嘲する。
「完成したアクシアは我々吸血鬼に多大な恩恵をもたらす導き手になれる。次世代の吸血鬼、その真祖となりえる器。必ずや、神良殿の終わりなき退屈をまぎらわせてくれることであろう」
「ふむ……。あやつが望まぬ吸血鬼の真祖になるのは一興なれど、こちらの代償に見合うかのう」
「アクシアに分け与える血は、極少量でよい。大事なのはデータ、力そのものは不要。神良殿には負担を強いません。儀式に伴う犠牲は――人間どもを捧げるまでのこと」
「……ほほう、詳しく聞こう」
動揺を見抜かれぬよう、神良は強く意識する。
伯爵の取引は一貫している。神良とは敵対せず、味方につけたいのだ。眷属の音々に危害を加えていないことがその何よりの証拠である。
そして若干、アクシアの思惑とは不一致な点がある。勝利の刻印の力を奪おうとした短絡的なアクシアの行動よりも計算高く、周到。両者はほんの少し、ズレている。
今こうして伯爵が会話していることだって、不思議だ。うまくはぐらかされたものの、おそらく、伯爵は無制限に現出することができない理由がある。可能な限りはアクシアに任せ、やむなく表に出てきているのが現状だ。まさに黒幕らしく矢面に立つことを避けている。
つまり、伯爵が表に出てきたということは“事は有利に運んでいる”はずだ。
神良の悪役演技は、確実にアクシアと伯爵の間にある“何か”に楔を打っている――。
(……会話のせいで刻一刻、時間が迫っておるがな)
無数の人命に危機が迫っているという最中に、神良はライブの出演時間を気にかけてしまう。
どこかで無関係な他人の命を軽んじている。
第一に音々を、第二にライブの約束を。――そういう優先順位が無意識に決定づけられている。
『……神良だっけ、お前さぁ、都合の良いもの、好きなものだけ集めたがるタイプだろ?』
光流の言葉が蘇る。
本心と演技。没入するあまりに、危うい境界線上に立っている自覚が神良にはある。
このまま伯爵に協力すれば、きっと音々を無事に救い、ライブの約束を守ることもできる――。
悪の誘惑が匂い立つ時、光流の垣間見せた殺意の眼差しが心の闇の中に爛々と輝く。
(……伯爵の誘いに応じて、あやつを怒らせては元も子もない、か)
「儀式の場は、この島国のすべて。儀式の贄は、無作為に百人も焚べればよい」
「国一つを舞台に? どうやって儀式を成し遂げる?」
「知らんのかね? これから津々浦々ではじまるハロウィンなる儀式を」
この時、神良はさすがに顔色を曇らせた。
全国各地で催される行事を儀式に見立て、ネットワークを介して無数に分散できるアクシアの分体が一斉に贄を確保する。
それは超音速をも凌駕する、電信の速度。アクシアは、まさに次世代型吸血鬼だ。
儀式がいざはじまった時、古き吸血鬼の神良にこれを止める手立てなどあるのだろうか。
毎話お読みくださり誠にありがとうございます。
もし面白かったと感ずるならば、そなたの血を捧げるのじゃ!
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