記F7.カミライブ リターンズ
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『たす……けて、かみら……さま』
出番に備えてドームの楽屋で待機する神良たちは不意に出現した黒猫電話に騒然とした。
そしていざ受話器を取ってみれば、音々からの通話はそれっきり途絶えてしまった。
ドレッサーの前で長島にメイクの再確認をしてもらっていた翼にとっても、それは衝撃だった。
「……音々が、呼んでおる」
これから本番の舞台衣装に着替えようと勝利に手伝ってもらっていた神良は、そっと傷まないように丁寧に衣装を脱ぎ、普段の袴着に袖を通しながら静かに事情を説明する。
「アクシアじゃ。あやつに音々が誘拐されたようじゃ。今、黒猫電話の目と耳を借りて状況を確かめておるが、事は急を要する。ひめは救出へ向かわねばならぬ。――すまぬが、ドタキャンする」
神良は淡々として、動揺をみだりに見せなかった。
説明をする暇も惜しいという様子に、翼は最大限、何が起きているかを察することにする。
アクシアという吸血鬼らしき何かについて、翼も光流と勝利を通じて、注意喚起を受けてはいる。しかしアクシアは神出鬼没だ。この現代において、ネットや電波といった電子通信を介在させずに過ごすことは不可能に近く、元々その対策には限界があった。
実体が無きに等しいアクシアには光流の正面戦闘力が通じない。曰く、その場その場に現れるのは仮初のカラダに過ぎず、倒しても意味がほとんどない。アクシアは“弱い”が“しぶとい”のだとか。その性質を、光流はウサギやカラスに例えていた。
より強いものからは逃げ回り、賢く、数を増やすことで個の弱さを補う。光流が狼だとして、決してウサギやカラスに負けることはなくとも、それらを食い尽くすことは不可能だ。
それでも、あの光流が無策でまんまと出し抜かれたとは、翼には考えられなかった。
それに神良への連絡をアクシアが許したことが気になる。
「罠、とは考えないんですか? アクシアは神良の力を欲しがっていると聞きました。音々さんが敵の手中にあるとして、刻印の力が欲しいだけならとうに奪っているはずです。それで用済みとならず、誘拐されているのはつまり、人質ってことじゃないんですか」
「そうであろうな」
「必ず、光流おねえさんが動いてくれているはずです。冷静に、連携を取ってからでも」
「勝利、あとは任せる」
「……うん、なんとか、事情を説明してうまいことやってみるよ」
神良は戦支度を終えたと言わんばかりに、勝利に見送られて出ていこうとする。
あの勝利が、やけに落ち着いている。翼には少し、ふたりの心境が理解できなかった。
いや、むしろ翼は、翼自身がなにを考えているのかわからなくなっていた。
「アイドルになることがあなたの夢だったんじゃないんですか!」
バカげている。
夢の実現、音々の人命。どちらが大事かは明白だ。デビューライブは先送りにすればいい、もし夢を重んじるとしても音々なくしてはアイドル家業は続けられない。
選択の余地はないのだけれど、しかし突然に、理不尽にも夢の実現という大切なタイミングを奪われてしまったのだ。やり場のない怒りを、翼は神良の代わりに発露させていた。
「ドタキャンですか、いいでしょう。穴埋めくらい私ができます。他の皆さんもプロです、不測の事態には対処する用意があります。けど、けど、そんなにあっさり投げ出せるんですか。少しは悔しがったらどうなんですか」
翼の激情を、しかし神良は「……すまぬ」と深々頭を下げることで返してきた。
神良にとっても苦渋の決断なのだろう
そこは意を汲んで、任せてと送り出してあげるのが大人なのかもしれない。
(……ちがう、ちがう、ちがう)
感情が先走って、何を言いたいのかうまく言語化できず、翼は苦しんだ。
(一番つらいのは神良なのに、私は……)
翼は知っている。
神良の夢は、アイドルになりたいという夢は、単なる気まぐれだと最初は思っていた。
逢瀬を重ねるたびに、神良を知るほどに、じつはその直感が間違っておらず、神良の夢は「単なる気まぐれ」に端を発することを翼は理解した。
つまりはごく単純に、たまたま現代に目覚めた折に目にしたアイドルに憧れたという話だ。
二百七十一年という神良の長き人生において、ほんの数ヶ月前に、偶然から興味本位ではじめたことに他ならず、そこには一生涯を賭ける宿命めいたものはない。
――けれど、それは“きっかけ”の話だ。
ささやかなきっかけであっても、単なる気まぐれでも、神良はちゃんと本気で夢に情熱を捧げていたことを、今日まで真剣に努力してきたことを、翼は知っている。
ささやかな演奏ミスに悔し涙を流した神良が、今、晴れの大舞台を無言で立ち去っていく。
こんな理不尽を、許したくない。
「……私にひとつ、わがままを言わせてください」
「聞こう」
「音々さんを助けることができたら、必ず、ここに戻って、舞台に立ってください」
「しかし、それは時間が……」
「私と! 勝利さんで! どうにかするって言ってるんです!」
翼にしては珍しく、吠えるように荒々しく叫んでいた。
神良を睨んでいた視線をすっと勝利に流せば、一瞬「え」と驚く仕草をみせるも、すぐに勝利もまた意を決して「……そうだね、悪あがきはしてもいいよね」と勇ましく微笑んでくれた。
「なにを、バカなことを言っておるのじゃ」
冷淡に、冷静に振る舞おうとしていた神良が耐えきれず、表情を崩した。
今度は悔し涙ではなくて、嬉し涙を流していた。ぽろり、ぽろりと。
――けっこう情にもろくて、子供っぽい人だ。
「夢の舞台をあきらめたら音々さんが助かる、なんて保証は何も無いんです。どうしても無理そうな時はドタキャンを許しますが、最後まであきらめず舞台に立とうと努力する義務があなたにはあります。これからプロのアイドルになるんですからね」
「うむ、うむ……!」
感極まった神良。そのそばに勝利が寄り添って、なにかアイディアをささやく。
「いざとなったら、試してみて。いつでも大丈夫なように準備しておくから」
「かたじけない……!」
そして神良は吸血鬼の、竜の黒き翼を拡げるや否や、楽屋を天井をすり抜けて飛び立った。
幽体での飛行は超音速だと神良は豪語していた。
一分一秒が惜しい緊急事態、その飛翔能力があってもなお“出番”という刻限には際どい。
「あーりゃりゃ、安請け合いしちゃって。翼ちゃんったら」
「元々なにかあった時のために、神良が不在の時にどうするかはリハーサルで相談済みですから」
「その調整、マネージャーの私がやってるんだけどなぁ」
長島のお小言を軽く聞き流して、翼は意識を切り替える――。
ここからは翼の戦いだ。
神良の帰還まで、ライブ会場を盛り上げる。そしてスムーズに出番のバトンを渡す。
無論、前座のつもりはない。
神良が翼に学んだように、翼は神良に学んだのだ。
一流のパフォーマーは絶えず進化しつづけるのだというお手本を、見せつけてやらねば――。
それが先輩アイドルとしての、翼のプライドだ。




