記F5.ライブクライマー
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大人になるにつれて月日の流れが早くなる、と巷ではいわれている。
音々はまさにその典型例だった。
仕事は楽しい。順調にスケジュール帳通りの予定をこなせている。家に帰れば、神良や勝利が「おかえりなさい」と出迎えてくれるようになって私生活も充実この上ない。
しかしハロウィンライブの予定日が近づくにつれて、音々は時間感覚のズレを痛感する。
青春、とでも言うべきか。
たった一ヶ月間という残りの短い準備期間のうちに、神良は見違えるほど成長していく。
プロデューサーとして徹底的に関わっている勝利だけでなく、先輩アイドルとしての翼の影響も大きい。ふたりとも異なる才能と情熱、そして愛情を神良に傾けている。
ひとつの大舞台を目指してお互いに切磋琢磨するさまは羨ましいほどに青春めいている。
一方の音々は芸能事務所の社長という立場上、ふたりに真似できない大きな支援こそできても、神良だけでなく他の所属タレントや社員にも心血を注がなくてはならない。翼が不満げだったように、上に立つからこそ誰かひとりに一意専心とはいかない。
ハロウィンライブも一大行事といっても年末年始のイベントラッシュに比べれば、前哨戦だ。神良もデビューを果たすのはスタートに過ぎず、最初にこける訳にはいかないが成功すれば後は万事うまくいくという保証はない。
それこそ神良がアイドルを引退する日まで、芸能生活は続いていく。
そういった長期的視野を有するあまりに、なんだか、同じ時間を生きている気がしなかった。
(はぁ……。あの子達、いいなぁ……)
そうやって苦悩の日々を過ごしていれば、察した神良がたっぷりと可愛がってくれる。
不思議なもので神良の吸血は、音々のストレスやもやもやを見事に解消してくれる。根本的解決ができなくてもなんとかなってしまう。
負の感情を食べてくれるだけではなくて、もう、人には言えないナイショの寵愛もしてくれる。
勝利や翼とは同じ青春体験ができなくても、ふたりとは違った恋愛経験ができている。そう自分に言い聞かせて、今日も今日とて社長の仕事をこなすのである。
そーゆー日々を音々が送っているうちに、あっという間に十月末になってしまった。
ライブ当日は関係者席で観客として晴れ舞台を見守る予定だ。
「ハーロウィン♪ はろうぃーん♪」
誰も見ていないことを確かめて、音々はルンルン気分で書類の山を減らしていく。
そう、誰も見ていないはず――。
ライブ前日の夜、帰宅すると神良がまた手料理を用意して待ってくれていた。
割烹着姿の神良は、素朴な和食も相まって、音々のおばあちゃんである小春を思い起こさせる。味つけが近い、というか教えたのが小春らしい。
「はー……しあわせ、けっこんしたい」
インスタントでないみそ汁にありつける幸福に音々はほっと一息つく。
そしてポロッと口にした一言に音々は我に返って、対面できょとんとする勝利に気づく。
「……あ」
「聞いた?」
「な、何も聞いてません!? 何でもするから命だけはお助けください!?」
大げさに怯える勝利。あるいはそこまで怖い顔をしてしまったのか。
音々はこほんと咳払いして、神良がまだ台所の片付けに夢中なことを確かめて小声で話す。
「単なるないものねだりよ。社会の枠組みの中で認められたいとまでは思ってないわ」
「なんだか、覚悟……してるんですね、音々先輩」
「生粋の、ですからね」
辛気臭い空気を払拭しようと音々は「明日、どう? いけそう?」と話題転換を図る。
勝利は「リハーサルは無事になんとか……」とためらいがちに返事する。
「裏方なのに、主役の神良ちゃんより私が緊張しちゃって……。有名なバンドや歌手に挨拶まわりするのは心労がすごくって。神良ちゃんのヒミツを守らなきゃ、ってことを意識してなんとかうまくやれたと思いたいです、はい……」
「まさか、神良のことを“吸血鬼というキャラ設定のアイドル”として売り出すとは逆転の発想よね。こっちから吸血鬼を名乗ったら、逆にみんな単なるキャラ作りだと納得するものね。けど、設定の説明にはずいぶん苦労したんじゃない?」
「ええ、はい、かなりイジられました……。陽キャ怖いです……」
「けど、無事に切り抜けたんでしょう? 人間不信の克服、順調そうじゃない。がんばってるわね」
音々がそう褒めてやると、勝利はいじらしく微笑む。うつむきながら盗み見るように上目遣いで。
この小動物めいた可憐さは、やはり他にない魅力だ。
「神良ちゃんのおかげです。それに音々さんや事務所の皆さんが支えてくれるから、私にプロデューサーなんて仕事ができてるんです。本当に、ありがとうございます」
深々と頭を下げる勝利に、音々は「どういたしまして」と返して、逆にこちら側からも「神良のこと、よろしくね」等とお礼と感謝を述べる。
初めて出逢った時は、神良シャワー殺しの現場に遭遇するというとんでもない状況だったけれど、不思議なほどに良好な関係を築けている。
家族でも友人でも恋人でもなく仕事付き合いともちょっぴり違う。同じ眷属という仲間。
今では家族のように、健やかにまっすぐな気持ちで勝利の成長を願うことができている。
神良という運命を狂わす吸血鬼に出逢ったがために、奇妙な縁が繋がってしまった。
「あ、お醤油いいですか」
「はいどうぞ。ね、勝利ちゃん、ナス食べてくれない? どうも苦手なのよね、ナス」
「はいはい、神良ちゃんにはナイショ、ですよね」
醤油を手渡して、ナスを食べてもらう。何気ないやりとり。愛おしいやりとり。
きれいに料理の平らげられた食器を運んでやると神良はくふふと満足気に笑ってみせる。
「先日小春にな、秋野菜のうまい調理法はないかと手ほどきを受けたのじゃ。野菜嫌いの目立つ音々もきちんと食べてくれるとは新たに学んだ甲斐があったのう」
「え、ええ、流石でしたね神良様」
「オイシカッタですヨ」
上機嫌な神良をよそに、音々と勝利はふたりのちっちゃなヒミツを墓場に持っていく決意をした。
本番に備えて夜通し、神良と勝利はレッスンをつづけている。
主に夜間に活動する神良にあわせて、元々昼夜逆転生活も珍しくない勝利は生活リズムまであわせて指導をする。
一方、音々は少々夜ふかし気味でも0時から2時には寝る。眷属化で睡眠時間がすこし短くなっても大丈夫といっても、やはり午前出社し昼間は働くスケジュールは変えられない。仕事関連で夜にも酒の席がしばしば入り、帰り着くのが真夜中ということもある。そうして帰ってきた時は、仲睦まじく音楽に打ち込んでいるふたりの音色が出迎える。――音々は疲れた心身をそのままベッドに預けて、寝る。練習の邪魔になるからだ。
(……わがままを言って困らせるのは、かわいくないものね)
明日に備えて、音々は早めに寝る。そして早めに起きて迎えたライブ当日の朝――。
レッスンを終えた神良が寝ついていた。朝日の遮られた暗室の中、勝利と折り重なって寝ていた。
ふたりしてすぅすぅと可愛げな寝息を立てている。
微笑ましい光景にみえるが、しかし音々は一抹の疑念を抱いてしまう。今夜こそ、勝利は一線を越えてしまったのではないか、と。
吸血と友情だけでは、いつかきっと満足できなくなる。まだそうした寵愛を受けていないことが不思議なくらいだ。自分の寝ている間に、着実にふたりの距離は縮まっていく。うまく折り合いをつけているつもりでも、愚かしい独占欲が排他的思考をまねく。
――このライブが終わったら、吸血してもらおう。甘えて、確かめて。嫌な感情から解き放たれて、健やかであろう。音々はそう心を整理する。
「仕事、行かなくちゃね」
スケジュールを確認する。本日午後七時、ハロウィンライブ開催とあった。
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